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集団学法を堅持することと集団学法の中で得られた体得(二)

(明慧日本)

 集団学法を堅持することは師父が按排した道を歩んでいること

 これから例を挙げていくつかの体得を話します。

 1、修煉の中で各種の障害と問題に遭遇した同修は、早く学法に参加することです。そこは「教室」で、学法グループの中でどんな難関も解くことができます。それは師父が按排された道であり、師父は私達のそばにおられますので、何でも私達にしてくださることができるからです。もしその環境がなければ、まず三人で一組、週に三回学法し、場所は、今日は私の家で、明日はあなたの家で、明後日は彼の家で、智慧をもってやれば良いのです。最低、週に一回は一緒に学法することです。

 2、精進している同修は、三つのことを全部やっていない同修を忘れないでください。彼らに環境を作ってあげて、グループで学法をすることです。このような学法グループは精進している同修がいて、ある程度しばらく一緒にいなければなりません。精進していない同修も毎日学法していますが、内に向かって探すことと修めることはできなくて、うわべだけの現象を通して物事の本質を見ることができず、どの心を取り除くべきかが分からないのです。彼らはよく事実そのものについて論じて、時間が経つと関を越えられなくて、自信がなくなります。このような同修を、学法と内に向かって探すことを結びつけるように導いてあげなければなりません。何を見ても自分の心を修め、人の心が正しければ、一切が正されます。「あなたの空間場内のすべてがあなたの大脳の意識の支配を受けています」(『転法輪』)。精進している同修は三つのことをしっかりと行うと同時に、少し多く負担して精進の足りない同修を助けてあげて下さい。

 師父は私達に、一人の同修も置き去りにしないように教えられています。なぜなら、それぞれの同修はそれぞれの宇宙に対応しているため、同修を呼び覚ますことの意義はとても重大なのです。

 学法は一本の絆のようで、同修をつないでいます。正念を発する必要があるなどの場合、学法グループを通じて迅速に同修に伝えることができます。特に、全体的に昇華する面では良い役割を果たします。

 例えば、蘇家屯で法輪功修煉者の臓器狩りの罪悪が暴露されてから、同修達は常人の考えが生じましたが、集団の交流で、直ちにこれらの人心を一掃して、正念を強めました。A同修は「私達はいったい何を修めなければならないのかを探しましょう。私達は何をすれば良いでしょうか」と言いました。B同修は、「何を修めるのか明らかではありませんか。恐れる心、疑う心、生死を放下できない心……全部取り除くべきです」と言いました。C同修は、「この事はなぜ今になって暴露されたのでしょうか、そこの邪悪な生命が少なくなってきたからで、もうこれ以上隠せなくなったからです。師父は私達に、今の邪悪は全て刑務所と労動教養所にいると教えてくださったではありませんか。私達はそこに向かって正念を発すべきです。そこの邪悪を解体させるべきです」と言いました。A、B同修はC同修の意見に賛成したので、その晩に正念を発する時に、刑務所と労動教養所の邪悪を解体するという一念を足しました。翌日、私達はその他の学法グループの同修と交流して、皆がようやく法理を認識でき、多くの同修は刑務所と労動教養所に向かって正念を発することに加わりました。

 オリンピックの前夜、ある地区の邪悪は大法弟子に対して、さらにひどい迫害を行いました。私達の地区は学法の時、同修たちがこれらは全てうわべだけの現象であり、旧勢力の按配を認めないという共通認識を得たために、三つのことをいつも通りに行いました。それにオリンピックを利用して大法弟子を迫害する全ての邪悪な生命を解体するよう、毎日8〜9時は集団で1時間正念を発しました。なんと邪悪は大法弟子に対して何の脅しの挙動もなくて、聖火リレーのコースさえ変更しました(元のコースは私達の県政府のある町を通ることになっていた)。市町村の警察は大法弟子の家まで行きましたが、同修たちは正々堂々と真相を伝えました。聞き終えた警官らは嬉しそうに帰って行きました。ある警官は、大法弟子がいくら彼を家に入れようとしても、彼は入らず「あなた達の家が賃貸かどうかを見に来ただけです」と笑いながら言い訳を言っていました。

 この事を通じて、私達は集団の正念が邪悪を解体する威力を見ることができました。

 (完)

 2009年6月13日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/4/3/198225.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2009/5/3/107024.html