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人心をなくしてこそ、間隔を取り除ける


文/中国大陸の大法弟子

(明慧日本)間隔とは良いものではありません。間隔は大法弟子が全体をなすことを妨げます。間隔は旧勢力の要素が隙に乗じます。間隔は人心と後天的なさまざまな良くない観念が大法弟子の空間場で存続する場所でもあります。間隔はまた法を正す進展が今日に至っても、まだ依然として邪悪が大法弟子を迫害できる重要な要素の一つでもあります。大法弟子は本性から、みな大法弟子の間に間隔がないことを望んでいます。一部の同修も大法弟子の間の間隔を取り除くために、大法弟子の間を走り回っていますが、私が見たところ、実際には大法弟子の修煉環境の中に、依然として間隔が多く存在しています。ほかの同修との間、および協調人との間にしても、ある程度の間隔が形成されています。私は人心を取り除くことを通じて、これらの間隔をとても多く取り除きました。現在まだ完全に取り除かれた状態ではないのですが、私はやはり自分の人心を取り除いた過程について書き出し、同じ状況に置かれている同修の参考になることを望みます。

 私と協調人は、長い間疎遠になっていました。法理から大法弟子は一体であることを分かっていますので、協調人が、もし私を必要とし、あるプロジェックトに参加してほしい時、声をかけてくれれば、私は必ず協力すべきであると分かっていました。しかし、普段私は協調人とあまり接触がありませんでした。実際、接触がないこと自体は問題ではありません。なぜなら大法弟子はみな自分のやるべき仕事があり、重要なことは、私と協調人との心の距離がどんどん遠くなることに気づいた事です。すでに頭の中で協調人との間に互いに排斥しようとする考えが生じていまいた。とても長い間、私は、どうして私たちの間にこのような厚い物が形成されたか詳しく考えませんでした。しかも、後になって、協調人とよく接触するあの数人の同修にも会いたくなくなりました。協調人と彼(彼女)の周りにいるその数人の同修の話になると、私は本能的に認めたくないという心が生じました。反感、会いたくない、協力したくない、これらは私だけではなく、私の周りにおいて、また私たちの地区にも私と同じような、ひいては私より更に良くない考えを持っている同修が多くいました。これらは現地において、すでにとても大きな間隔を形成していました。

 師父は「心性の高さが功の高さである」(『転法輪』)という法を説かれました。これほど多くの人心がすでに形成されているのに、私はまだ自分に向けてよく考えておらず、却って自分は法をよく勉強していて、真相もよく伝えていると思っていました。後になって、複数の同修が私と協調人との間に間隔があると指摘してくれました。私はまじめに自分の過去について振りかえり始め、私と協調人との間の間隔の存在について直視し始めました。私は自分のどの人心が同修の間に間隔を作っているのかと探し始めました。冷静になって、探してみると、山ほど多い人心が明らかに存在していたことに、とても驚きました。随時、内に向けて探していなかったため、その物質はどんどん積もり積もっていました。

 まずは文句を言う事と自我を証明する心でした。この心が生じた原因とは、私は現地の古い修煉者で、自ら師父の説法を聞いたことがあり、また古い輔導員であって大法弟子の間である程度の影響力を持っていたことでした。迫害が起きてからも、修煉を放棄せず、邪悪にとてもひどく迫害されました。しかし、私はずっと巨大な難の中で大法の修煉を堅く堅持してきました。しかも、私は自分に有利な条件と、自分が学んだ特徴をもって大法を証明することを堅持していました。ですので、私は現地の大法弟子の間で、重要な一人であると思っていました。しかし、現地の協調者は却って目立たない人でした。全体的な協調の角度から見れば、私は自我を放下し、法にプラスでない人間のものを放下し、大法の仕事に協力するようにしていました。しかし、私は協調人が現地において、何か大きなことがあるとき、私に参加させず、却って、自分の周りにいる数人にやってもらっている事に気づきました。もちろん、大法を証明する仕事は誰がやっても同じであり、私に任せられれば、私は必ずそれを行うべきであり、私に任せられなければ、私は自分の手元の仕事をやれば良いのです。このこと自体は何ごとでもなかったですが、私の頭の中では協調人が自分をわざと軽視している、自分を孤立させているという恨む心が生じました。また更に、私を現地での全体的な大法の仕事に参加させないため、自分の能力を発揮できず、更に自我を証明することができないという、自分をとても重く見る心が生じ、その本質とは私(し)の心でした。それは純粋ではない心でした。ここまで書くと私の頭はとてもきれいになりました。なぜなら、修煉とは最終的に一つの心を修めることだからです。よくないものを見つけ、それを直視し、抑制し、取り除けば、私たちは純粋になります。純粋な状態で行ったことこそ、大法弟子にあるべき状態です。

 その次は嫉妬心でした。私は過去に輔導站の副站長でした。数年来、師父の新しい説法、新しい経文が送られてくると、私たちの都市では各煉功点と農村の輔導員らが常に一緒に法を勉強していました。毎回大法の仕事の中で、何か重要なことが起きると、私は発言をする重要な一人でした。それに、私は常人の仕事の中でもとても高い官職についており、政府と上流社会に対して洪法する時も積極的にやっていて、効果も良かったのです。したがって、知らないうちに私は現地の大法弟子の中でも有名になりました。現地の大法弟子の大多数が私を知っていて、常人社会でもとても多くの人が私を知っていました。1999年に迫害が始まってからも、私は大法を修煉していたので、迫害を受け、仕事をなくしました。大法を修煉しないという保証書と思想報告を書けば、仕事に復帰できるという誘惑に直面しましたが、私は邪悪の要求に協力しませんでした。しかも家庭、社会、自分の生活において、巨大な圧力に直面しても、私は大法を堅く信じ、また前後して数千人に面と向かって、大法の真相を伝え、明慧ネットと正念ネットに数十編の修煉体験、および真相を伝える方面での文章を発表しました。ですから、大法弟子の内部でもある程度の影響力を持っていました。過去において、みな何か問題があったら、私と交流し、私も彼らを手伝い、悟るように試みていました。現在、多くの人がみな協調人を囲んでいて、協調人がいかに内に向けて探し、大法の法理に対する認識がはっきりとし、次元が高いと思っていました。そもそもこれは良いことです。協調人が法の中にいて同修に認められているというのは協調人が法に基づいて修めていることを意味します。しかも、とても多くの同修は協調人と接触して、自分が受益されたからこそ、協調人を認めますので、このような声望は協調人が法をよく勉強したため得られたのです。しかし私は嫉妬心が生じ、またその心が知らないうちに形成されたため、知らないうちに私と協調人との間に間隔ができてしまいました。

 これらを書いたのは、このような不正な物質を解体し、私と協調人との間隔の働きをしている物質を取り除き、真に法の中で修煉するためです。

 2009年6月13日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/6/12/202612.html