日本明慧
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転んだらすぐに立ち上がろう


文/中国大陸の大法弟子・楊子

(明慧日本)ある日、我が家のマンションでテレビ回線の工事をしていました。工事関係者が外に出ている間に、マンションに住んでいる住人が、何本かの釘を持ち去りました。ちょうど、私の家でも照明の回線を繋ぐのに2本の釘が足りず、他人が取ったのを見て、自分も2本取って必要箇所に使いました。 

 その後、やっぱり自分のやったことは、修煉者らしくない、修煉者の基準に達していないと思って後悔し、胸が痛みました。午後はもともと学法する時間だったのですが、自分自身に怒り、学法もしませんでした。毎日学法したことを全部無駄にしてしまいました。いざという時に、やはり常人と同じような行動をしてしまい、悔しくてなりません。修煉者としてふさわしくなく、もういっそのこと法を勉強しないと思いました。

 夜になって、やっぱり落ち着かず、涙がこぼれそうな目で『転法輪』を両手で捧げました。黙々と本を読んでいくうちに、頭の中に、師父の声が響いてきました。師父が本を朗読されているのです。私が、一つの文を読むと、師父も続いて朗読してくださいます。早く読んだら、朗読も次第に早くなり、ゆっくり読んだら、ゆっくりとなります。この状態が、20分くらい続きました。

 この時、これは師父の暗示だと悟りました。過ちを犯したら、それに気づいて、次回から直せば、師父はこれ以上責めることはされません。このことを悟れた私は、声を出して読み始めました。すると頭の中の師父の声も消えました。

 今回のことを通して、修煉とは自分自身に問いかけることだと思いました。過ちを犯しても、自分の良くないところに気づいて、それを直し、同じ過ちを犯さないようにすべきだと思います。転んでも立ち上がらず、ただ後悔するだけで、法の勉強もしなくなるようでは良くないと思います。

 師父は苦心して、日々私たちを加護してくださっています。大法弟子のために心を煩わしていらっしゃいます。我々が、本当の修煉者らしくなければ、師父の苦心に対して申し訳が立ちません。

 次元が限られているため、もし何か不当なことがありましたら、ご教示をお願いします。

 2009年6月14日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/6/13/202654.html