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「神韻」のDVDを広める体得


文/大陸大法弟子 蓮蓮

(明慧日本)明慧ネットに「神韻」を広めるようにという文章が出ました。私はそれを読んで「『神韻』を広めることは、大法弟子に対する師父の慈悲です。師父は、今日になっても、まだ家から出られず、直接に大法の真相を伝えることはできない大法弟子に、再びチャンスを与えてくださり、人々に直接『神韻』のDVDを配ることによって、大法弟子が持っている恐怖心を取り除き、慈悲心を修めることができる」と悟りました。

  私は、知らない人に直接に大法の真相を伝えること、特に「三退」を勧めることがなかなかできませんでした。それは、私は以前、人としゃべることがあまり好きではなく、知らない人に話しかけることが苦手だったからです。「大法を実証する時間が少なくなっている中、私自身が後悔しないように」と認識し、それを突破しようとしました。私はある日、2009年の「神韻」のDVDを広めるため、数枚の「神韻」のDVDを持って、街を歩き回り、縁のある人を探しました。しかし、30分が過ぎても2枚しか配れず、焦りました。

  そのとき、私はふと、宣伝の広告チラシを配ると同じようなやり方で、1軒1軒の店に配ったらというアイデアを思いつきました。早速その通りにやってみたら、短い時間に数枚のDVDを全部配ることができました。本当に嬉しかったのです。師父は、私の心を見ておられ、弟子として私の衆生を救いたい心を見ておられるから、智慧を与えてくださり、その結果良い成果をもたらすことができました。その経験を生かして、その後、「神韻」のDVDを順調に配ることができました。経験を積み重ねるにつれ、人に真相を伝えることがよくできるようになりました。

 現在、私はすでに思いのままに大法の真相を伝えることができます。私は、いつも出かける前に服装をきれいに整え、人に良い印象を与えるようにしました。平日、暇がなかったとき、週末実家へ両親を見舞いに帰る2日間を利用して、バスに乗らないで道を歩きながら「神韻」のDVDを配りました。普通の店は、9時に開くので、午前9時に出かける前、正念を発し、1軒1軒に配りました。夕食後、6時半に出かけます。朝晩の時間帯は、店はお客さんが少なく、商売に影響をしないからです。DVDを配った後、どの店まで配ったか覚え、続いて次の店から始め、1軒も漏らさないようにしました。

  私は、お店に入るとき、まず、挨拶をします。そして、「神韻」のDVDを贈り、「これは、『全世界華人新年祝賀祭』のDVDです。これは、全世界80の都市を巡回し、殆ど満員になっていました。人々が受益していますよ。もしそうでなければ、そんなに多くの人が見ないでしょう、見た人は受益しますよ。(ある日、真相を伝えるとき、無意識でこの言葉を口にし、良い効果がありました。師父が弟子の智慧を啓示されたと悟りました)この演出は我々中華民族の伝統文化を広めている内容です」と話しかけると、喜んで受け取る人が多いのです。たまに、いろいろなことを聞かれる人もいますが、私は、一つ一つに答えると、最後に「ありがとうございます」と言ってくれることが多かったのです。

  最初、私は、店に1〜2人がいるなら入りましたが、人が多い店は避けていました。ある店でDVDを配るとき、店主は受け取りたがらないとき、私は「見る人だけが受益しますよ」と言ったら、隣でアルバイトの女の子がすぐにほしいと言い、受け取りました。店主は女の子の行動を見て、自分も受け取りました。このことから、その後、私は1軒1軒の店に入り、店員さんが10人以上の店もあり、人が固まっているところに「神韻」のDVDを配りに行きました。DVDの内容を紹介した後、「見る人だけが受益しますよ」と言ったら、みんながほしがり、受け取りました。受け取れなかった店員さんは私を追っかけてまで、もらいたがり、店にいるお客さんも欲しがりました。本当に「衆生は救い済度されることを待っています」と師父がおっしゃった通りです。店を出る際、「受益するように」と祝福の言葉を贈ります。

  殆どの店は数人の店員がいて、1軒の店に「神韻」のDVD数枚を配ることが多いのです。たまに、受け取らない人もいます。ある日、一つの店に入ると、店員さんは、微笑みながら迎えてくれました。私は、「神韻」のDVDの内容を紹介した後、店員らの笑顔は消え、私をじろじろ見て、「法輪功のものでしょうか? 以前、ここにこのようなDVDを持ってきた人がいた」と言われました。「もし、法輪功のものなら、みんなこれを見ないといけませんね。この演出は全世界の人々の目を引いていることは、中国伝統文化が全世界から注目されていることで、私たち中国人としてその内容をもっと知るべきでしょうね。現在、法輪功は110の国に広がり、なぜ、中共政権だけが法輪功を迫害しているのか、私たちは考えるべきではないでしょうか、見てから、法輪功がよいか悪いか自分で見分けしたほうが良いでしょう」とみんなに話しをかけました。店員らは「そういうなら、もらいますわ」と言いました。帰りに、私はみんなに「見た後受益するように」といつもの言葉を贈りました。

  最近、私は出かけるとき、「神韻」のDVDを持ってでかけます。私は、直接人々に真相を伝え始めたのは同修より遅いのですが、今、ここまで突破できたことは、「『修は己にありて、功は師にあり』なのですから、あなたにそういう願望があれば充分です。本当にこのことをやってくれるのは師で、あなたにはとてもそういう力はありません」(『転法輪』)と書いてある通りです。私たち大法弟子は、衆生を救いたい心を持ち、その気持ちに従い、やりたければ、師父が私たちにその智慧を下さいます。

  この文章を書き出したのは、同修と修煉体得を分かち合いたいからです。まだ、大法の真相を直接伝えることができない同修に話したいことは、師父が「耐え難いものを耐えてみてください。乗り越えられそうもないと見えても、行ない難いと言われても、本当にできるかどうか試しにやってみてください。もし本当にやり遂げられれば、きっと『柳暗 花明 又 一村』」(『転法輪』)とおっしゃった通りにやってみたら、どうでしょうか?

  適切ではないところは、同修からの慈悲な指摘をお願いします。

  2009年6月14日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/5/30/201912.html