神韻の公演を広める中で自分を修煉した体験
文/ワシントンDC大法弟子
(明慧日本)尊敬する師父、こんにちは! 皆様、こんにちは!
皆様ご存知のように、神韻公演のプロジェクトは近年の法を正す中で極めて重要な内容になっています。大勢の大法弟子たちはこのプロジェクトのために多くの時間と力を注いでおり、非常に著しい成果が得られています。今年の公演の中で私の貢献はほんのわずかに過ぎませんが、私の修煉にとってみれば、得られたものは多く、今までの自分の修煉の中で足りなかった部分を補足することも出来ましたし、師父の慈悲なる心と大法の威力を感じることができました。
今日の神聖な法会の場で同修の皆様と心性を向上させた体験を交流するチャンスを与えられたことに感謝すると同時に、私と同じように神韻を広めることに携わった同修からたくさんの啓発を受けたことに感謝します。何か不足があったら訂正しながらお聞きください。
一、お互いの協力について
ワシントンDCでの神韻公演が決定した後、DCの大法弟子の皆はお互いに頑張ろうと決心しました。実は今までの神韻公演を広める活動に私は全部参加していました。しかし、あくまでも宣伝用の文書を書いたり、パレードに参加したり、チラシと広告の紙を配ったりすることに留まっていました。神韻を広めるためにアメリカの主流社会に入ったことはありませんでした。法を正す勢いの進展に伴い、主流社会へ進出することは非常にさし迫ってきておりスケジュールにも上がっていました。
去年の7月から私はもう1人の同修と一緒に芸術界の基金会に通い、政治家のパーティーなど主流社会のイベントに参加していました。このプロジェクトに参加して、ある現象に気づきました。同修の間では誰もが自分の考えがベストだと考えていました。何故なら、一人一人の同修の公演に対する感覚や悟りが違うので、公演の演目を紹介する時の話しかけ方や紹介の角度、内容など、自分の心の中で神韻公演に対する最も美しいところ、最も神聖なところも異なっていました。もちろん、誰でも自分が思っている神韻に対する最も光っている部分を相手に紹介するため、どうやってお互いに協力し合うかについての問題が出てきました。
ある同修は演目の中で西洋・東洋が合奏した交響楽団が最も光っている点だと言いました。しかし、ある人は舞踊のメインダンサーが世界中国舞踊コンクールで金メダルを獲得したので、舞踊を最も紹介すべき点だと言っています。またある人はバックスクリーンの技術が3次元で世界トップを誇る点であると主張しました。ある人は衣装、道具が非常に綺麗であると主張しました。またある人は演技が最も光っていると話しました。ある人は公演が人々を精神の面で向上させるので最も重要なポイントであると言いました。また、ペアで相手に公演を紹介するとき、うまくできればお互いに足りないところを補足することができて良いのですが、うまくいかないときはお互いに各自の考えばかりを主張して、相手が話している時にも、自分がベストだと思う神韻の光っているところを争って話してしまい、人の話を中断してしまいました。これらの出来事を私に聞かせたのも偶然ではないと私は思いました。自分は絶対ほかの弟子と争わないように、お互いに協力し合いたいと心の中で決めていました。
毎回、私は同修と一緒に真相伝えに出かけました。この問題では我々は良く協力し合いました。対話式で相手の気持ちを配慮しながら、それぞれの人の受け入れ能力に応じて大法の真相を伝え、同修と交代で話しました。我々は知事、市長事務室長、あるいは軍のトップなど重要人物とも会いました。芸術界の権力者とも会いました。とてもよかったです。
私はこれをやるときあまり深く考えませんでした。まるでこのすべては自然に流れてきたように感じていました。しかし、後で師父の説法を聞いて、私はすぐもう一つの法理を悟りました。師父は説法の中で前からずっと教えておられました。「邪悪は消滅されほとんど残っていません。実際、邪悪は我々を阻止できないはずです。みんな長年修煉してきました。大法弟子の正念の力は非常に強いものであるに違いありません。たくさんの邪悪を消滅させる力を持っているはずです。たくさんのことを解決できる力が整っています。仮に目の前に大きい山が横たわっていてもこの山を切って道を開くことができます。しかし同修の間で協力しなかったら、せっかく持っている大きいエネルギーと力はお互いに相殺してしまいます。すなわち、邪悪は我々を阻止できる力はありませんが、我々の大きい力はお互いに相殺してなくなってしまいます」 そのため、神韻を広めることに対しても、政府高官に真相を伝えるにしても、難しいことはなく、問題は我々が如何にお互いに協力し合うことが出来るかどうかにあるのです。
大勢の同修は神韻を広めるときどうやってこの活動に参加すればよいのかわかりませんでした。しかし、実は参加したいと思えばすぐにも出来るのです。それは自分の心の中にある溝をなくして協力し合うことです。
ある日、我々が打ち合わせをしているときのことです。ある同修から新しいアイディアを出されました。私は彼のアイディアに実現できない理想的なものがたくさん入っている事に気づき、あなたのアイディアは実現できないと教えてあげました。しかし彼は絶対できると主張しました。後で、彼は一定の進展を得られていると聞きました。もし彼の計画が全部うまく行ったら、我々の計画を大きく変えなければなりません。時間がないから今まで数カ月努力して来たことを大きく変えなければなりません。彼はどこまで実現できるのだろうか? 私にはまだ不安がありました。しかし、彼の計画が実現できるものだったら我々は自分たちの今までやってきたことを大きく変えても彼のために道を空けてあげるべきであると自分の中で決めていました。
私はこの難関を越えられたと思いました。夜夢を見ました。夢の中で彼は私に自慢して自分をアピールしていました。私は聞きました。「あなたが全部出来たとすれば契約書を私に見せてくれませんか?」 そして私は自分の今までやったことを全部下りました。朝起きたら、この問題を綺麗にクリアできなかったことに気が付きました。夢の中で彼に契約書を見せてくれと言っているとき、心の中では納得できない気持ちがありました。自分は下りる準備は出来てもまだ完全に納得できていませんでした。
もちろん、協力し合うにもルール無しに協力するのではなく、善意を持って自分が正しいと思っているアイディアを提示してもかまいません。ただ、あくまでも相手に対することではなく、仕事に対する意見でなければなりません。
師父は『2007年ニューヨーク法会説法』の中で、現在、最も大事なことは衆生を済度することであり、たくさんの人を救うことであり、これこそ最も重要なことであると教えてくださいました。
私が思うには、いかなる理由と意見があっても、人を救うことに影響してはいけないということです。
二、常に慈悲の心を持つ
師父は『北米巡回説法』の中で、「みんなさん考えてみてください。今日(法を正す時期)終わらせるとします。中国で何人が死ぬと思いますか? たくさんの人は更なる巨大な天体の大勢の生命と相応しているのです。すぐ終わらせたら、どれぐらいの生命が生き残れないと思いますか? 我々は彼らの頭の中のある宇宙大法と敵対している邪悪な考えをクリアにしないと、彼らの中で多くは巨大な天体の代表であるから、彼らの淘汰は彼らと相応している宇宙ではどれぐらいの生命が死ぬと思いますか? どれぐらいの生命が淘汰されると思いますか? みんなこの問題を考えたことがありますか?」とおっしゃいました。
常人の中で、歴史を習ったとき、いろんな文明が崩壊したと記述しているところを読むと、いつも心が痛くなっていました。しかし、私は師父の『北米巡回説法』で説かれた「修煉が出来なかった大法弟子が自分の天体に戻ったとき、中は空っぽいになっていて、大勢の衆生は淘汰されているのです」ということは、思えば大変恐ろしいことです。これは単なる数千年の文明の崩壊の話ではなく、これは数え切れない数の文明の消滅の話です。ですから自分はできるだけ大勢の人を救うために出きるだけ頑張りたいのです。そうしなければ、師父が終わらせると言われたとき我々は大勢の生命の淘汰を見るとき、自分が大勢の人を救えなかったことを後悔するに違いありません。
この心を抱いて神韻を広めるとき、すべての生命は非常に大切であることが実感できます。ですから、相手の私に対する態度が良くても悪くても、仕事環境が如何に厳しくても私はいつも楽しく、前向きでどんな状況でも相変わらず頑張ります。常人の心は私の正念を左右することは出来ません。逆に私の強い正念と正しい態度は相手の心を動かすことができます。簡単に言えば、自分の慈悲なる心は以前より多くなって、より多くの人を救いたいと思うようになりました。かつて、師父の説法を聞いたとき、私は自発的に独り言を言ったことがあります。「師父よ、私は永遠に師父の慈悲なる心を銘記します!」と。師父が我々を救われるのは容易ではありません。ですから、我々も大法弟子の慈悲の心で衆生を救わなければなりません。
かつて、私は同修と一緒にあるスーパーマーケットの外で神韻を広めていました。当時天候はとても寒かったのです。もう1人の同修はテーブルを借りに行きました。私はテレビを設置し、看板を立てていました。彼女はテーブルを綺麗にしていました。私の正念が強くなったとき、寒くもないしお腹が減るのも感じませんでした。また、通りかかる人たちは自発的に来てチラシをとって読みました。また、お客は自ら来て名前を登録してチケットを買うのです。非常に良い効果を生じるのです。毎日1日が終わると自分が一生懸命に頑張った、常人の心に左右されなかったことを感じるのです。この安らかな気持ちは私に修煉は如何に美しいものであるかを感じさせました。正念は修煉者の苦しみを喜びに変えてくれるのです。
時に忙しくて疲れたように感じます。その時、私は自分を励まします。「あなたはもしのんびりしたいなら、天国にいれば良いじゃないの、何故人間社会に下りてくるの? でも、もう下りてきたので、のんびりしたらどうするの? 衆生を済度しないでどうするの?」こうした使命感は自分を励ましてくれてもっと頑張れるようになります。
三、神韻公演の力
去年12月頃、ニューヨークテレビ局の責任者が私のところを訪れて私に神韻公演に関するテレビドラマの脚本を書いてくれませんかと言いました。私は2回断ったのですが結局受け入れました。断った理由は私にはこのような脚本を書ける能力はないと思ったからです。
師父の『2007年ニューヨーク法会での説法』の中で、「この空間で子供が演じていますが、異なる次元では私の法身とほかの神が手伝っています。(拍手)その震撼力と人を変えさせる力は、まるで私が当時自ら大法を伝えた時の効果と同じです。(拍手)だから人を大きく変化させるのです」
神韻と関連しているすべてのプロジェクトは全部重要であることを自分は知っていました。もし、公演は師父が法を伝えるときと同じなら、我々個人の要素を少しでも入れると大変なことになります。神韻が人々を救う力を害してしまいます。脚本を書くとき、神韻の美しさを伝えなければならないし、観客には明るい慈悲と向上のパワーを感じさせなければなりません。
最初はこの仕事の難しさに戸惑っていました。仕事を受け入れた後の数日、私は真面目に法を学習し、自分の頭を空っぽになるまで落ち着かせました。同修たちは大紀元ウエブサイトから観客の書いた感想文を収集して、良い作品を選別し、編集して『世界を驚かせた芸術の盛大な事業』として出版しました。私は1日休みを取り、この本をゆっくり読んでから書こうと決めました。
1回読むと多くのものが分かりました。とてもよかったのです。以前、私の潜在意識の中では常人は何が分かりますか? 彼らの神韻に対する理解は絶対長年修煉している大法弟子に及ばないだろうと軽視していました。しかし、彼らがフィードバックした感想文を読むと、1人の生命が大法に浄化された後の変化、その感激、喜びと震撼を感じて、自分自身が法を得た当初の喜びを思い出しました。それは心の奥深いところから湧いてきた感謝の気持ちであり、本当の意味での喜びです。ここまで来て実は書くために乗り越えられない難関はありません。神韻公演そのものはとても大きいパワーを持っているため、問題は私が自分自身の執着心を書いてしまって、それによって神韻の力を相殺してしまうとまずいので、それだけを避ければ良い効果を得られます。それから脚本の作成はとても順調でした。
この本は私が後で神韻を紹介し広めるときにもとても役に立ちました。私はとても有名な芸術家たちの感想文(評論)とその人の名前を覚えてそれを神韻の紹介に使いました。これは買うかどうか迷っている観客に対する芸術面での説得力になるのです。
四、チケット販売の奇跡
師父は『2007年ニューヨーク法会での説法』の中で、「大法弟子に文書を書かせたり、資料を配らせたり、町に出したり、何を頼んでも全部やり遂げますが、マーケーティングに行かせたら行きたくなくなります」といわれました。
もう1人の同修はいつもこの言葉を読んで私に聞かせます。私も毎回この部分を読むときいつも不安になりました。まるで私に言われているようです。
去年の12月末頃から、DCでは各チェーン店での販売を正式に始めました。1人の同修は大分前から私に中国の皇帝の服を着てチケットを販売しませんかと相談していました。この方面では自分は今までの修煉で欠いていた部分であり、衆生を救うに必要なら自分もやりますとOKを出しました。
初日、店がオープンと同時にすぐにお客が来ました。我々は公演の素晴らしいところを紹介しました。彼はすぐ3枚のチケットを購入しました。これは師父が私を励ましてくださったに違いありません。その週末、我々の業績は非常に良かったのです。平均毎日50枚のチケットが売れました。第2週末になると、販売の担当者は休みを取れなくなりました。実際、ここでの販売を彼女に頼っていました。彼女はチケット販売の経験もあるし、とても親しみやすいのです。公演を紹介するとき、お客は彼女の紹介をよく聞きます。私はチケットを渡していましたが、いつも彼女が主力でした。しかし、彼女がいないので、その日、私は頼る人がおらず、自分に頼るしかありません。朝食を終わらせて、早く家を出ました。私は師父の肖像の前で静かに合掌して、心の中で「師父! 弟子は衆生を済度し救いに出かけますが、師父の援助をお願いします。縁がある人を寄せてください」とお願いをしました。私が加盟しているグループの同修たちの間では心と考えは一致しています。みんな念が正しいので、お互いに協力することが出来て、何をやっても効果が良く、午前中だけで40枚が売れました。
私は以前、営業がよく出来ない1人でした。5年前私はかつて新聞に広告を出すために営業をやったことがありますが、3カ月で一つ契約を結ぶことが出来、売り上げはたった45ドルでした。だから先日のチケットの販売から自分が悟ったのは、自分の心の中に執着心がなければ、師父が手伝って縁がある人を寄せてくださるのです。執着心が少ないとき、慈悲の心が大きくなり、話す言葉にパワーが入るのです。
もちろん、正念が強ければ販売の技がいらないと言うことではありません。今回のチケット販売前は販売に参加する人たちは一斉に販売の技術トレーニングに参加しました。担当者はみんなに綺麗な服を全部持って来るように話しました。担当者はみんなの服を一人一人チェックしました。スーツ、ネクタイ、ワイシャツを一々チェックしました。販売店の3人は新しいスーツを買いました。みんなの考えは非常に純粋で、1人が紹介しているとき、ほかの2人はその傍で発正念をして手伝います。話が出来なくなった時、もう1人が続けて紹介し、補足します。みんな絶えず経験を相談しベストな販売の技術を身につけます。簡単な言葉で通りかかる人の心を引き寄せ、販売店の前で足を止めさせます。1−2分で公演の最も良いところを相手に紹介します。お客の流れが少ないとき、みんなすぐに自分の心に問題がなかったのかと内に向かって探します。このような隙を与えない交流の結果、一日で100枚以上のチケットを販売するという売り上げを記録しました。
伯母さんたちは言葉、交通などの不便から、販売員になれません。しかし、若い弟子の子供の世話になれていて、子供の面倒を見てくれます。新聞特集号の折りこみの手伝い、蓮の花の折り紙を作るとか、ご飯を作るとかの任務を担っていました。店での販売は朝早く来て夕方遅い時間にしか帰れません。昼ご飯は十数分で終わらせないといけません。間に休みはありません。担当の人は昼食の時間もありません。ずっと十数時間立ったままで販売をします。毎日の最大の喜びはチケットをいっぱい売って、同修の家に集まり、伯母さんの作った美味しいご飯を食べるときなのです。幾つかの販売店の十数人、二十数人の同修が一カ所に集まり交流しながら夕食を楽しめることです。みんな家族みたいです。
五、衆生は法船に乗ることを望んでいる
私のチェーン店でのチケット販売の成功と2003年の新聞に広告を載せるビジネスでの失敗を比較して見ると、最も違うところは心の中での態度の違いでした。2003年のとき、私は広告のことを単にビジネスとしてやっていました。しかし、今回は人を救うためにやったのです。
衆生と縁を結ぶ中で、我々が普遍的に感じ取ったことは、衆生の分かっている一面が大法の船に乗りたがってチケットを買っているということです。ですから、大勢のお客は大事にしています。ある女性はペンを持ってテーブルの上で何回も繰り返して計算していました。30分もかかっていました。同修は引き続きこの公演の素晴らしいところを詳しく説明し是非ご覧になるようにと説得していました。すると、彼女は「あなたは説得しなくても良いのです。私は素晴らしいと知っているから家族全員に見せたいのです。説得する必要はありません。私は必ず買います。しかし、私のお金はどうしても足りません。どういうところでお金を節約できるかどうかを計算しています」 彼女は離れてから間もなくまた戻ってきました。彼女は「私にはたくさんの支払いがあるから、お金が足りません。3枚しか買えないのですが、家族に見せたいのです。自分は見なくても良いので、家族に上げます」と話しました。我々は彼女の諦めない心に感動しました。それで、彼女に言いました。「あなたがこの公演の素晴らしいところを知って、諦めない心に我々も感動しました。我々は手伝います」 そして、我々3人の弟子は彼女に10ドルずつ貸してあげました。ケネディセンターは10%以上の割引を認めません。我々も師父とダンサーたちの流した汗を軽く見ることは出来ません。値段の交渉をしたことはありません。しかし、どうしても彼女を救いたかったのです。初めて規定を破り彼女のために自分のお金を使いました。
さっきの物語は特例ではありません。我々はお金を払ってチケットを売ればよいと思っていません。衆生の救われたいという心を読み取ったからです。我々は一枚一枚のチケットの販売が成功できたのは一人一人が救われているからです。
ある日、私はある一家に公演の素晴らしさを紹介しました。しかし、一家はどうしても買う決心に至りません。また考えてみると言います。笑って私に向かって「あなたは良い販売員だね」と言いました。彼らが離れようとしたときに私は正念で離れないで、あなたたちを必ず救うからと言っていました。私は微笑んでそして迷いなくはっきり言いました。「私は実は販売員ではありません。我々がここで4人立っているのを見たでしょう。この中の3人は理学博士です。我々はみんな自分の休みを取ってここに来てチケットを販売していますが、チケットがいくら売れても我々には1円も儲からないのです。我々はお金のためではなく、今日、我々がここで立っているのはあなたにこの公演が如何に素晴らしいものであるかを言いたかったのです。私は何故この公演を素晴らしいと言ってあなたに推薦しているのでしょう? あなたにどのような重要な意義があるのかを知りたいなら、あなたはこの公演を自ら鑑賞するしか方法はありません」
彼の微笑は消えました。非常に本気で厳しい表情で私を見つめて、戻ってきて「2枚下さい」と言って買いました。
最後の日にチェーン店でチケットを販売しているとき、最後の取引は私をとても感動させました。当時、店を閉める時間になり、シャッターを下ろしていました。私ともう1人の同修は片付けをしていました。中東出身の人がテレビ画面を見ていました。私ともう1人の同修は目を合わせて、彼女はこのお客を救おうと決心しました。私は彼の傍に行って少し紹介しました。彼らをテーブルの前に寄せました。同修は続いて彼らに詳しく紹介しました。当時我々のチケットは数枚しかなく、座席番号もバラバラでほとんど端っこの座席しか残っていませんでした。我々が彼に何枚ほしいですかと聞いても答えません。座席表の空席をじっと見てから、電話するからといいながら去っていきました。数分後に戻ってきました。金曜日の夜の空席を全部買いました。全部で8枚です。お金を払った後、彼は引き続き空席を数えていました。まだ何席空いているかを数えていました。これは初めてお客さんが買いたいが席がなく、空席に応じて観客が決めるというときでした。
常人も我々の代わりに神韻を広めていました。ある同修は1人のお客さんと暫く話していました。その人は最後に喜んでチケットを買いました。暫くしてからまた戻ってきました。彼は言いました。「私はとても興奮しています。今日、ほかに何も買いませんでした。ずっと友たちに電話をしてチケットを買うように勧めました。私の友達は今電話に出ています。私はよく伝えることが出来ないので、やはりあなたが直接話して」と言いながら電話を渡しました。彼の友達は少し話を聞いた後、直ちにチケットを注文しました。このような物語はたくさんあります。同修はこう話しました。「これはまるで我々が当初法を得られるときの様子と同じです。口から口へ、耳から耳へ伝わるのです。「二人二人肩を並べてやってくる」(『精進要旨』「悟る」)
この間の神韻の公演を広める中で、私は大法の慈悲と不思議な威力を体験することができました。同修の間でお互いに協力し合ったら何にも負けない力が生まれることを体験することが出来ました。また、衆生が急いで我々に救われることを期待していることも肌で感じました。
ある日、私はチェーン店でホットドッグを食べながら、大勢で賑わっている人々を見て結構感動しました。かつての人間の歴史ではたくさんの正義のために自分を犠牲にした人もいます。彼らは巨大な利益を犠牲にして、大きい苦痛を受けていました。命まで落とした人もいます。歴史に名前を築きましたが、師父がいないので、いくら犠牲を払っても結局常人は常人のままです。またも六道輪廻から離れる事ができません。我々は師父がおられ、大法があるから、少しだけの犠牲で多くのものを得ることができます。師父は我々に巨大な智慧と衆生を救う能力を与えておられます。
私は心の中で「師父よ、私を救ってくださったことに感謝しています! 師父の後ろについて衆生を済度していることに感謝します!」と話しました。
(2009年ニューヨーク法会での修煉体験講演原稿)
2009年6月15日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/6/10/202488.html)
|