日本明慧
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内を探して観念を打破し、自分に対する執着を克服する(二)


文/カナダ・カルガリーの大法弟子

(明慧日本)

 三、内に向かって探すのは、常人の中で形成した「私」と自分に対する執着を捨てる過程

 内に向かって探す過程の中で、私が同修のトラブルを見て気分が悪くなる原因は、常人の中でできた「自我」なので、特にその「私」と繋がっている、数十年間も常人社会の中で身につけた無数の観念です。それらの後天的にできた観念は先天的な本来の私を覆い、それらはいつも私にこれが私自身の考えだと思わせ、慣れさせています。ひいては、これらの観念と一致しない観念はすべて慣れないと感じ、知らないうちにこれらの観念で是と非、正と誤、善と悪を判断し、修煉の中で現れた現象でさえこれらで判断します。

 これらの観念は、修煉者はどのような人であるべきか、教養のある人はどのように問題を処理すべきか、人の態度と口調はどのようであるべきか、人と人の間のベストの状態はどのようなものか、どんな様子が適当か、どんな様子が不合理か、どのようであれば礼儀正しいか、どのようであれば粗暴なのか、どのように処理するのが適切か、どのように処理するのが適度でないか等、 常人の中で形成した観念は私の判断を左右し、しかもそれらで修煉中の事を量ります。しかしこれらを量る基準は「私」なので、私に合うと、私は嬉しく思い、私に合わなければ、私は不愉快に感じます。それによって知らないうちに修煉の中の現象に対して喜んだり、喜ばなくなったりしました。これらの基準は師父の基準とは限らず、「真善忍」のこの宇宙の最高の基準と一致しているとは限りません。

 他の角度から見て、常人の中で形成したこの自分の判断を量る基準は、ちょうど修煉の中で絶えず変わり、昇華させなければなりません。その過程の中で、旧宇宙から生まれた「自分」がやむを得ず変わるので、常人の中で表われると、自分で熟知した観念に対して、保護と弁解をします。それは、旧宇宙で形成した「自分」に執着することです。これが同修の間で交流しにくい原因で、私がいくつかの現象を見て、不愉快になる根源なのです。

 そこで、修煉の過程の中で、絶えず自己を修正し、再び自己を造り、本質から自己を浄化することを現せば、心性の難儀を乗り越えることで、複雑な人の群れの中で「真善忍」の宇宙特性に同化し、トラブルの中、人と人の摩擦の中で自分を鍛えることです。この過程は昔その「自己」を絶えず捨て去る過程で、同時に、本当の「自己」が返本帰真する過程です。

 ここから見ると、常人社会で修煉する大法弟子が、修煉の中で表れた相互の矛盾と、自己を克服した過程の中にある経歴は、その他の空間で宇宙を再び組み立て、魂を揺さぶるような過程かも知れません。

 これらはすべて推測で、修煉は一体どうであるべきか、修煉者は結局どんな様子であるべきか、修煉の中で表す状態はもともとどうあるべきなのか、修煉中の私は実にわからないので、あれらの大法弟子の間のトラブルを見て感じた不愉快は、同じく後天的な自己の観念がもたらしたものでした。

 師父を信じ、法を信じることは、大法の中で修煉者の間にあるこれらの表現を積極的に理解し、尊敬しなければならないのではありませんか? もしかすると、このこと自身は大法修煉がある特殊な時空と条件下での正常な現れで、私が積極的にそれを理解することを要求しているのです。大法に問題があるのではなく、修煉者が本当に基準に合わないのでもなく、私の見方と後天的な自己観念を再び昇華させなければならないのです。このような過程は内に向って探す修煉なのです。

 この次元の問題を思い付いた時、私は視野が広くなってきたと感じました。内に向かって探し、絶えず視角を変化させ、さらに広大な見方で、もっと高い境地の知恵で物事を理解し、心の結びを解き、それによって輪廻の歴史の中にある恩恨を善解します。そして、内に向かって探すことは、さらに広大な理解と他人に対する寛容さを生むことができます。

 師父は言われました「修煉の中で、皆さんは良いことに出遭っても、良くないことに出遭っても、すべて良いことです」(『シカゴ法会』) 私達が修煉の中で出遭ったトラブル、特に同修の間で私達の心に衝撃を与えるかもしれない出来事は、すべて私達が向上する貴重な機会で、心の容量を拡大する貴重な源です。私達がこの難関を乗り越えたら、大法はもっと高い次元で、その素晴らしさとさらに広大な空間を現してくれます。不愉快にさせた同修は、実にすべて私達を修煉の過程の中で満ちあふれさせてくれる、感謝しなければならない対象なのです。そのため、他の同修がどのようにしても、彼らはある角度で私達にもっと高い法理を悟らせようと助けてくれていたのです。私達が悟れば、もう高まっており、この次元の空間は私達を制約しないのです。

 この点を思い付くと、当日、空がきれいで日光がとても明るく、空気の中に温かい息が満ちていると感じました。路上の通行人はひっきりなしに私に向かって善意に微笑んでいると感じました。その時から、また同修を見たら、彼らはみんな非常に親切です。心の中は師父に対する感謝の思いで満たされました。

 (続く)

 (二零零九年カナダ法会での発言原稿)

 2009年6月17日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/5/19/201241.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2009/6/9/108145.html