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修煉の中で、成熟して歩む


文/河北の大法弟子

(明慧日本)私は農村の大法弟子です。1999年以後、法輪功を修煉し始めました。修煉する前、私はひどい神経衰弱を患い、全然寝られなかったのです。しかし、修煉してから、別人に生まれ変わったようになり、すべての病気がなくなりました。師父の慈悲を実感しました。

  2001年、私たち(同修5人)は陳情するため、上京しました。しかし、江沢民集団に迫害され、不法に8カ月の労働教養を科されました。その期間、一時大法と離れたことがありましたが、師父の啓示と同修のお陰で、やっと衆生を救い済度する隊列に戻りました。

  この数年間、喜ぶ時もありますし、辛い時もあります。しかし、ますます成熟して歩むことができるようになりました。ここで、その体験を話したいと思います。

  集団学法、煉功のよい環境を切り開く

  家は集団学法はもう3年目になりました。学法グループができたばかりの時、恐れる心はまだ強かったのです。夜、私たち6人の同修が一緒に学法した時、犬が吠え、車のクラクションが鳴ると、恐れる心がすぐ出てきて、もしかしたら邪魔が来たのかと心配しました。その念が出てきたとたんに、私はすぐ「これは間違っている」と認識し、否定しました。そして、強い正念を発して、私たちの集団学法を妨害する旧勢力を取り除き、師父が安排された道しか歩まないと、集団学法と煉功を続けました。

  毎年の農繁期に、集団学法を妨害しないように私と夫(同修)はいつも早めに農作物を刈り取って、昼間の仕事を全部やり終えるようにしました。

  同修らと週1回修煉体験について交流し、一緒に真相資料を配って、どうやってよりよく衆生を救い済度できるかを相談します。私たちの努力で、村の幹部と村民らはほとんど真相と大法の素晴らしさがわかるようになりました。そして、よい集団学法、煉功の環境を切り開きました。

  慈悲の心で衆生を救う

  ある日、私は夫に「隣人たちはほとんど真相がわかって、脱党しましたが、江伯母さんはまだわかっていないですね」と言いました。夫は「江伯母さんの観念は強くて説得しにくい」と答えました。しかし、私は縁があるからこんなに近くに住んでいるので、どうしても江伯母さんを救いたいと思いました。そして、師父に安排をお願いしました。

  ちょうど江伯母さんは新居を建てたところなので、いいチャンスと思いました。私は江伯母さんの自宅を訪ねて、「料理を手伝いにきました」と言いました。江伯母さんは「ちょうど悩んでいたところで、大変助かるわ」と喜んで答えました。そして、私は料理を作りながら、江伯母さんに「4.25」から「天安門偽焼身自殺事件」、また中共の各運動で8千万の民衆が迫害されたことについて話し始めました。その時、江伯母さんは突然、息子の嫁の体調がよくないので、家のいろんなことが心配で、夜いつも寝られないという話をしました。私はすぐ「『真・善・忍』は素晴らしい、法輪大法は素晴らしい」を念じると、きっと助かると伝えました。江伯母さんはすぐ数回念じました。

  師父を信じ、大法を信じて人心を取り除く

  法を正す進展に従い、私も資料点の運用、機材を購入することに参与しました。ある日、私は機材を買って帰ったばかりの時、1台のパトロールカーが来て、3人の警官が降りました。そして、「中は何? 」と聞きました。私は「私は衣装の商売人です。何か御用ですか? 」と答えました。当時の私はどきどきし、「怖くない。私は衆生を救い済度するために来たので、誰も私を迫害できない」と自分に教えました。そして、師父の加護を願って、強い正念を発しました。その後、1人の警官は「帰ってください」と言いました。そして、師父の加護のりのもとで、私は無事に家に着きました。私は再び師父の慈悲を実感しました。

  2009年6月17日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/6/13/202659.html