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声を出して法を読み、法の神聖さを表す


文/大陸大法弟子

(明慧日本)明慧サイトで、同修達がどのように雑念を排除して法を学んでいるかに関する文章をよく見ました。例えば、学法するとき姿勢を正しくし、心理状態を正しくする。精神を集中し、ゆっくり読む。大きな声で読み、法を第一に読む気持ちで読むなどなど、色々書いてありました。同修の文章はとても参考になりました。最近、私も学法についての認識があり、これを書いて同修と交流したいと思います。

 2005年、私達は学法グループを作りました。当時の環境の下で私達は学法グループに参加する時、非常に注意しました。学法のとき、小さな声で1人が1段落ずつ読みました。もし声を大きくして読んだら、すぐ注意しました。当時の認識は、学法の時個人の感情を入れてはならず、教科書などを朗読するように読んではいけないと思いました。数年経って、私達はみんな『転法輪』をうまく読めるようになりましたが、みんなは学法のとき心が清浄にできないことに気付きました。1人の同修が読むとき、他の同修は注意力がなくなりがちで、甚だしきは居眠りまでしました。家で読む時より効果がよくないと感じました。これは一体どういうことでしょうか?

 この前、同修が書いた修煉体験文章をみました。同修は家で大きな声で法を朗読して、感覚が良かったと話しました。その時、私はあまり気にしませんでしたが、夜になって両親と学法するとき、無意識に声を大きくし、速度を緩めました。突然私は初めて法を読むことがこんなに荘厳で、こんなに神聖なのかが分かりました。

 私は学法グループで法を学ぶ時に清浄にできない原因が分かりました。私達が法を読むとき法の威厳、法の力を表さなかったためです。師父が説法されるときの様子を思い浮かべると、慈悲で威厳な表情は人々に敬意の心を持たせ、響く大きな声は一文字一文字人の心に染み込みました。講習会の場所は強大なエネルギーで覆われ、師父の声は講習会のすべての場所にこだましました。一人一人は法の厳粛さと美しさを感じ、心身に巨大な変化がありました。心性が昇華され、良くない思想は片付けられて講習会の場所から出たら丸ごと人が変わるようでした。

 私達が学法するとき、このような感受があるべきだと思います。私達が法を読むときに姿勢を正してし、敬意の心で声も響くようはっきりと一文字一文字しっかり読めば、大法の神聖さ、偉大さ、力を感じる事が出来ます。

 これらのことを認識してから法を読むとき、心の中は神聖な感覚が満ち、一文字一文字精神を集中して見ることができました。荘厳に法を読んで、法の音が耳にこだまし、思想の中は全部法の内容でした。このとき、師父の済度と巨大な慈悲に感動し思わず涙が出て、良くない雑念はなくなりました。 

 私達の学法グループでも、法を読むとき法の一文字一文字を響くよう大きく読んで法の厳粛さと神聖さを表すべきだと思います。そうすれば、学法の場所は正しいエネルギーが満ち一切の正しくない状態を正すので、注意力がなくなり、居眠りすることがなくなります。

 これは個人の悟りで、同修の慈悲なる指摘をお願いします。

 2009年6月17日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/6/14/202728.html