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湖南株洲市:劉永芬さん一家は悲惨な迫害を受けた

(明慧日本)湖南株洲市の法輪功修煉者・劉永芬さん一家4人は、大法を信仰するために、何度も中共当局に不法に連行されて拘禁され、一家は分散し肉親を失うはめに至った。1人は迫害により死亡、1人は迫害により流浪して住むところを失い、1人は重病のため服役中の一時出所をしたが、常時監視し抑制されており、1人は今なお刑務所の中で引き続き迫害を受けている。

  劉永芬さん(59才女性)は元茶陵県東鉄鉱の従業員であって、夫の劉英萼さんはかつて前立腺の末期患者で、すでに医者から死後の始末をするように言われていたが、法輪大法を修煉してから起死回生し、病状は急速に好転した。実は劉永芬さんと夫は極めて仲が悪く、いつも口喧嘩したり殴り合ったりして、すでに20年も離婚するかしないかの争いをして、現地では有名であった。ところが夫婦2人は法輪大法を修煉して以来、「真・善・忍」の基準に照らして良い人になり、矛盾に出会ったとき全て自分に原因を探すことにして、2人は互いに言い争わなく喧嘩することもなくなり、家庭はむつまじくすばらしくなった。

  1999年「7.20」中国共産党が法輪功を迫害してから、劉永芬さん一家は何度も迫害を受けてきた。10年の凄まじい迫害の中で、劉永芬さんは刑務所に7年余りいて、夫の劉英萼さんは本心とは違ってやむを得ず修煉を放棄して、結局持病が再発して死亡した。

  劉英芬さんの長女の劉春琴さんは、もとは衡陽市製鋼所の従業員であった。彼女は前後して5回不法に連行され、6年間不法に拘禁された。劉春琴さんは2000年12月〜2001年8月、8カ月不法に拘禁され、2002年9月〜2006年9月、不法に4年の刑罰を受けて、2006年11月〜2007年12月、1年不法に労働教養された。劉春琴さんは家に帰っても中共当局に迫害され続けたため、流浪して住むところを失い、今もなお家に帰ることができない。

  劉永芬さんの下の娘の劉雪琴さんは、株洲市商業銀行の従業員で、同じく修煉を堅持したがために、中共当局に不法に5回連行され拘禁され、2回の不法労働教養を受けて、職場の不法の人員はまた彼女の離職を強行した。2000年12月、劉雪琴さんは不法に15日拘禁され、2005年4月〜2006年7月、1年3カ月労働教養され、不法に3カ月延期されて、2007年4月不法に1年の労働教養をされていて、今もなお刑務所の中で迫害を受け続いている。

  劉永芬さん本人はかつてバセドー氏病、子宮筋腫等の病気を患っていたが、大法を修煉してから疾病は全快した。1999年「7.20」中国共産党が公に法輪功を迫害してから、劉永芬さんは何度も不法に連行され、1回刑罰を下され、2回労働教養されて、2000年12月〜2004年12月、不法に4年の刑罰を下され、2005年5月〜2007年1月、2年不法に労働教養されて、2007年9月、劉永芬さんは2回不法に労働教養された。そのとき職場の「610弁公室」の責任者の陳立新は退職金を名目にして、彼女を職場まで騙して、それから国保の警官とぐるになって彼女を白馬壟労働教養所まで連行した。

  2009年4月、劉永芬さんは長期にわたって迫害を受けたため、下肢は感覚がなくなり、白馬壟労働教養所はしかたなく彼女に重病のための一時出所をさせたが、職場の不法人員は意外にも茶陵県「610弁公室」の警官とぐるになって、彼女に毎日電話で報告させ、その退職金をピンはねした。劉永芬さんは故郷の資興に帰って半身不随の姑の面倒を見るようになったが、茶陵県の「610弁公室」は直ちに現地の「610弁公室」に知らせた。資興市「610弁公室」の責任者の李永生は3人の部下を連れて劉永芬さんの親戚の家に不法に侵入して、劉永芬さんに対して口汚く罵ったり、脅迫したりして、彼女が外出して活動するようなことを一切しないようにと保証させ、不法に家財を没収し、本を破り、劉永芬さんを連行しようとしたところ、劉永芬さんの親戚がちょうど帰ってきたため、「610弁公室」の企みは思い通りにならなかった。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

  2009年6月18日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/6/14/202695.html