北京市:団河労働教養所の法輪功修煉者への迫害事例
(明慧日本)北京市の団河労働教養所は、法輪功修煉者に対して残酷な迫害を行っている。以下はその一部の事例である。
趙国さん(45歳男性)は、北京市昌平区陽房鎮西馬坊村在住である。趙さんが労働教養所に監禁された後、父親が危篤状態に陥った。家族は趙さんと父親との面会を労働教養所に求めた。最初は認めて申請書を書くようにと言われたが、しかし、毎回手続きが不十分だと言われ、結局、父親が亡くなるまで家に帰ることはできなかった。父親は亡くなった時、目を開いたままであった。趙さんの妻が父親の目を閉じようとしたが、手を離すとまた開いた。まさに、死んでも死にきれないといった状態であった。(その間、趙さんは労働教養所で迫害され、警官はいつも父親の危篤のことで趙さんを威していた)。
劉金涛さん、田恩沢さん、趙宝利さんの3人は2007年5月14日、団河労働教養所に送られた。警官はさまざまな手段で3人を迫害した。例えば、殴ったり蹴ったり、顔をビンタしたり、暴言をはいたり、家族のことで威嚇したり、睡眠も、排泄も、面会も許さず、針で刺したり、口の中に痰を吐いたり、大便や尿をした服を着て入浴させるなどあらゆる方法を使った。3人は断食して迫害に抗議したが、その間、灌食され、引き続き迫害された。劉さんは、石油大学の修士で、趙さんは、中央美術学院の教授で、2人は労働教養所で1年間以上独房に監禁され、他の人との接触はできなかった。田さんは北京石景山区に住んでいる。団河労働教養所で迫害された以外にも、北京市労働人員調遣処に監禁され、3カ月間、毎日灌食されたことがある。灌食の時以外の時間は、両手、両足ともにまっすぐな姿勢で床に座らさられた。2007年4月10日から20日までの間、正常な状態での排泄を許されなかった。
楊志勇さん(50歳前後の男性)は、北京の新街口に住んでいる。副大隊長・ハン麟、小隊長・楊波の恫喝や暴言を受けてまっ直ぐに歩けなくなった。小隊長・李偉は、楊さんがわざとそうしていると言い、大隊長・グン偉の同意を得て楊さんを独房に監禁した。その上、楊さんは警官に殴られたり、罵られたり、恐喝されたりしたが、1週間後に様態が急変し、病院で検査を受けた。その結果、脳卒中と告げられた。もう言葉も話せず、痴呆状態になってしまった。そして一時出所の許可が出て、家に戻された。
李徳通さん(50歳前後)は、北京門頭溝区のザイ塘地域に住んでいる。団河労働教養所に監禁された後、まっすぐに立てなかったために、大隊長・趙偉光に蹴られた。張さんは「あなたは大隊長でしょう、何でこんなことするのですか」と言ったので、その後、1回警告処分を受けた。(2回警告処分を受けると刑期を延期される)ある日、班の会をした時、趙さんが異議を唱えたため、小隊長・李偉は趙さんの身体に跨がり酷く殴った。
呉鳳春さんは、北京市密雲に住んでいる。北京市労働人員調遣処に監禁された時、「法輪大法は素晴らしい!」と叫んだため、警官はスタンガンで呉さんの耳元に電気ショックを加えた。いまだに耳元に傷跡があり、めまいがし、記憶も減退した。団河労働教養所に監禁されて、迫害され、いつも脅迫されている。
法輪功修煉者は、団河労働教養所に送られると、とりあえず、他の人と隔離され、洗脳される。さらに、さまざまな迫害を受ける。
北京市労働人員調遣処の大隊長・李士民は大変悪質で、3大隊の眼鏡をかけている小隊長・張は、田恩沢さんと他の法輪功修煉者への迫害に参与している。
団河労働教養所4大隊で迫害を受けている法輪功修煉者のリストは以下の通りである。(敬称は略する)
劉志強、張永強、王洪成、蔡学亮、ザイ広生、劉金涛、劉リュウ、周明長、趙宝利、於彦傑、楊志勇、王建新、雷振華、張雷、張立成、辛書明、李万慶、楊明華、呉志明、鄭雲敬、鄭常国、趙長利、劉建国、趙晨、付長山、斎瑞宜、張楠、紀鳳琴、王慶照、高勇華、陳世華、崔振海、兪平、趙力、張海建、呉鳳春、厖建、王鳳山、劉継業、李春生、劉長余、張久海、趙富貴、趙国、陳蘇平、李展、劉文彬、劉克彬、何進福、劉会成、陳玉剛、李国民、付雲満、李振海、王中生、王整風、趙徳遠、斎士純、耿大海、孫良貴、李雪軍、王明月、金暁輝、蔡忠、宋京財、劉海涛、斎廣然、劉勝志、斎広順、付玉傑、楊承山、田恩沢、陳生、張春竜、蒋士元、邱鳳章、劉文和、王徳順、肖喜成、来暁清、柴小楽
(注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)
2009年6月19日
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/6/7/202046.html)
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