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師父の言われる通りに行なう(一)

(明慧日本)小さい頃、学校に2年間しか通ったことがありませんでした。あれから数十年も経ち、習ったこともほとんど忘れてしまいましたが、幸運にも大法を修め始めたことで、思いもかけないことが私の身に起こりました。

 修煉する前、体が貧弱で、全身に力が入らず、まったく仕事が出来なくて、1日中薬を抱えていました。1996年、大法を修煉し始めてから、体重が30キロから50キロにまで戻りました、正に無病であれば身軽に感じるものでした。心性においても、修煉を通じて、いろんな執着を強く持つ常人から、ことに当たって、まず他人を優先にして、時々刻々に内に向って探すような大法徒になりました。師父の慈悲なる済度に感謝します。私に集団学法する環境を按排して下さったことに感謝します。学法グループにいるとき、私の読めない字があれば、同修は優しく教えてくれます。『転法輪』を暗唱して、今は2回目の暗記に励んでいます。師父の38冊の大法の書籍もすらすらと読めるようになりました。

 数年前まで、殆ど字が書けませんでした、自分の名前さえのたくったような字でしか書けませんでした。しかし、真相を伝え、「三退」を勧める過程において、執着心を取り除くと同時に、字も本物っぽくなってきました。いきさつはこうでした。『三退』を勧める時、人の名前を記録しなければなりませんが、同修がいる時は同修に記入してもらいますが、1人になった場合は、自力に頼るしかありません、書けない字は当て字を代用して、帰宅したら、家内に聞いて、ノートに写して練習します.特に書けなかった字があれば繰り返し練習しました。徐々に同修と「三退」を勧める時に、相手の名前を自分で書くように試み始めました。こうして、何年かを経て、書けなかった字も書けるようになり、字が益々綺麗になったねと同修に褒められたりするようになりました。

 修煉の体験を思ったまま、行なったままに書いてほしいと同修に励まされました。考えただけで恐れ多いことでしたが、『明慧週刊』に同修は交流文で自分が歩んだ道を整理して書き出すことも自分を修めることだと書いてあるのを目にし、またこれは師父が皆に要求されたことでもあると思い、私も腕を振るいたく、うずうずしてきました、しかしペンを持ち出したものの、どう書けばよいかはわかりません。頭が真っ白になり、2日経っても、一文字も書けませんでした。師父の法身像の前に膝まずいで、何本かお線香に火をつけ、涙ぐんで、師父に助けを求めました。原稿用紙も師父の法身像の前に広げてみました、すると、段々と頭が冴えてきて、以前の一幕、一幕が目の前に浮かんできました。

  師父の言われる通りに行なう

 自分の教養は低いため、師父が説かれた法を時々よく理解できず、悟れないことがあります。理解できたにせよ、出来ないにせよ、師父のおっしゃる通りに行います。師父は法を良く勉強するようにと教えられました。従って、毎日少なくとも最低5時間、学法します。師父は正念を発するようにと教えられました。従って、最低でも1日12回正時の正念を発します。師父は真相を伝えるようと教えられました、どこにいっても必ず真相を伝えます。

 家内と私は1996年に修煉を始めた古い弟子です、10年間、1錠の薬も飲んだことはありません。同い年の人と比べて断然若く、子供たちも大法の素晴らしさを見て支持してくれています。家庭内の環境は伸びやかです。特にここ数年、毎日の生活リズムは規則正しく、朝の6時前に家内と五式の功法を終わらせ、6時に正念を発した後、1時間『転法輪』を読み、家中を片付けてから、資料を持って、真相を伝えに出かけます、(急な用事があるときや、雨の日は出かけません)近くなら、家内と一緒に行きますが、遠い市場に行く場合は同修と自転車かバスで行きます。午後1時間昼寝をした後、また法を勉強しますが、正時になると、本を置いて、正念を発します、夕食を摂りながら真相のDVDを観ます、夜、集団学法に参加して、7時50分から10時10分まで3回正念を発します、晴雨にかかわらず欠かせません。時には、全体でチームワークを組んで大法の仕事を行いますので、大体、家に着くのは10時半になります、帰宅したら法を暗記して、『明慧週刊』などの資料に目を通すようにします。こうして、正念を発する時刻の12時まで、すべてをやり通してから寝ます。毎日やるべきことは自然に行なわれています。師父が教えられたように、その機制は既に形成していて、計画する必要がありません。毎日の時間は少ないですが、心は満たされて充実しています。学法グループで家内とはもう専修弟子だと冗談を言っています。

  顔を合わせて真相を伝える

  外へ出かけて真相を伝えるとき、邪党が言っている、所謂「敏感日」についての概念はまったくありません。5月13日は大法弟子にとって最も誇りに思う日です。今年の5月13日に同修と5キロ離れた市場に真相を伝えに行きました、意気揚々、正念に満ち、まるで師父がすぐ側におられるように感じました。あの日「三退」した人は結構いました。夜の学法グループで交流した時、当日、パトカーが結構出回っていたことがわかりました。それもそのはずです、考えてみれば、全世界の「法輪大法日」は邪党にとって「敏感日」、「恐怖日」なのです。

  外で顔を合わせて真相を伝えるとき、最初は野菜売り、廃品回収や出稼ぎの人たちだけ対象にしましたが、現在は買い物する人、バスを待つ人や、すべての出会えた人まで、誰にでも伝えられるようになりました。その中、サラリーマンと定年退職した幹部、学生や、私服警官までいろんな人がいました。正に師父が話された「常人の中で行脚」をしているようで、いろんなことに遭遇しました。励ましてくれ、身の安全を心配してくれ、何遍もお礼を言った人もいれば、聞く耳を持たず、汚い言葉を使い、通報する人もいました。常に平常心を保って、成功が多い時には歓喜心を起こさないよう、うまくいかないときも気落ちしないように自分に言い聞かせて、努力しました。聞こえのいい事を聞いても、罵られてもただ笑って済ませることができました。通報しようとする人にはニッコッリして「そんな冗談はやめてください、ご自身によくないですよ」と言います。恐れる心がなく、師を信じ、法を信じてさえいれば、師父の慈悲なるご加護の元で、危険を感じません。今、真相を伝えるときに、本当に邪悪が少しばかりか、もう悪事を働けなくなったように感じています。

 (続く)

  2009年6月20日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/5/23/201462.html