日本明慧
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師父の言われる通りに行なう(二)

(明慧日本)

 内に向かって探すことは修煉者の宝物

 グループで学法した時、1人の同修が私に向かって当たり散らしましたが、我慢して、弁解しませんでした。気持ちを抑えながら、自分に向けて探してみましたが、自分の過ちが見つかりません。心の中で不平を感じました。家に戻ると、妻が『転法輪』を読んでいました、ちょうど「どんなことに遭遇しても心にかけず、常人の中のどんなことも全然気にとめず、常にこにこしています。どんなに大きな損をしてもにこにこして平然と笑っています」のところでした。

  これは師父が私に啓示して下さったのではないかと悟り、心がパッと明るくなり、心の中で「同修、ありがとう」と続けて3回言いました。さらに一歩進んで、内に向って探してみますと、近頃、争う心、歓喜心がまた台頭したことを見つけましたので、これらを決して認めないと、正念を発して取り除きました。次の日、その同修に会いましたが、互いに笑みを見せながら穏やかに話せました。昨日のことがまるでなかったようでした。それ以来、どんなことに遭遇しても、平常心を持って、内に向かって探すことが出来るようになり、見つけ出したその常人の心を取り除きました。心を清めれば、体も澄んできます。

  地元に何日か滞在して帰ってきたある日に、下水道が詰まり、汚物が逆流してうまく流れませんでした。そうなれば、外の公衆トイレまで行かなければならず、時間の無駄になります。大法弟子の時間はとても貴重なものであって、このまま無駄に使うことは正常ではないと悟り、妻に「私たちのどこか良く行えなかったことを内に向かって探してみましょう。きっと邪悪は隙に乗じて妨害していると思う」と言いました。妻はすぐ「ここ数日、学法が減り、煉功と発正念も追いつかない状態だ」と悟り、私も「学法、煉功、三つのことのことを行なっていなければ、常人ではないか、向かいの趙家は年中業者さんを呼んで下水道を通してもらっている。ここ数日、地元に戻っている間、三つのことを行なってはいたが、大分だらけていた。原因をすでに見つけたので改めよう。これから私たち2人は監督し合い、励ましあおう、安逸心が二度とあってはならない」と妻に言いました。

  修煉者はエネルギーを持っており、ステンレス製の板もさえぎることが出来ないようなエネルギーであると師父から聞いたことがありました。これっぽっちの汚水は何でもありません。正念を発して、解体し、決して認めないと、師父のご加持を願いました。次の日、下水道は滞りなく通じるようになりました。私は再び内に向って探すことの威力を実感しました。

  大法のすばらしさが現れる

 平底の靴を一足持っています。娘が買ってくれたものですが、とても軽くて履きやすいのです。農村に資料を配りに行くときこれを履きました。自転車に乗り「三退」を勧めに行くときもこれを履きました。天気が暖かくなり、この靴をしまおうと思い、持ち上げてみましたら、片方の靴底が完全に折れていました。手放したくないので、側に置いておきました。数日前、靴を探していたら、あの壊れていた靴があり、その底が再びくっ付いていました。裂け目が見えません。常人から見れば、これは摩訶不思議なことですが、私にはわかっています。これは師父が励ましてくださり、またこの靴を履いて精進して大法のことを行えるようにと教えられています。

  正念を持って病業の関を乗り越える

  時にはうまく悟ることができません。よく行えないこともあるので、邪悪に隙を乗じられ、病業の関は何度も現れましたが、師父のご加持により何とか乗り越えることができました。ある朝、妻と煉功していましたが、4番目の功法の時、突然気持ちが悪くなり、お腹が痛く感じ、トイレに駆けつけました、吐き気もして、目眩がしました。しばらくトイレにこもりましたが、もうすぐ6時だと気づき、がんばって立ち上がり、手と顔を洗いトイレから出て、ベッドに腰掛けて正念を発しようとしました。しかし、手が痛くて、あげることができません。仕方なく、MP3で師父の講法を聞きました。7時の正念も発して、ちょっと横になろうと思いましたが、手足がいうこと効かなくなり、体も動かない状態になり、家内に声をかけて、助けを求めましたが、彼女の力では私をどうすることもできませんでした。

  妻が私に早く『論語』を暗唱してと注意してくれて、1回目に3段目からの内容はどうしても思い出せず、最初から読み直しましたが、今度1段目を読み終わったら、またもやその下の内容を忘れてしまい、家内に「早く『転法輪』をちょうだい、邪悪が私に『論語』を暗記させないのなら、『論語』を読みます。決して邪悪のわなに掛かりません、邪悪が私に加えた迫害を決して認めません。三つのことを妨げるようなことや、グループ学法等を妨げてはいけません。早く私に正念を発して、師父の加持をお願いして」と頼みました。私は大きい声で『論語』を読み、3回読んだところで、もう手足を動かすことができましたので、座禅を組んで手印を結び、大きい声で『論語』を暗唱しました。

  何回暗唱したか覚えていませんが、暗唱すればするほど、体が軽やかになり、力がどんどん湧いてきます。ベッドを下り、足はまだ少ししびれていましたが、家内の部屋に行き、まだ正念を発していた彼女は私を見て、「もう大丈夫?」と声をかけました。「ええ、もう大丈夫」と答えました。前後2時間足らずでした。師父の加持のもとでまた一つ大きな関を乗り超えることができました。

  隙さえあれば直ちに私たちを陥れようと邪悪は虎視眈々と狙っています。法を正す最後の時期となり、師父の法を学べば学ぶほど明白になり、師父を信じ、法を信じて、正念正行、「三つのこと」を忘れなければ、どんな心性の関や、病業の関でも真の大法弟子の前ではなんでもないのです。かえって、一回一回の試練に耐えて、体が浄化され、心性もそのたびに高めることができます。話したいことはまだたくさんありますが、あまり長く書かないようにと同修にアドバイスされましたので、ここまでとします。同修の校正に感謝します。正しく悟れないところは慈悲なるご指摘をお願いします。

 (完)

  2009年6月21日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/5/23/201462.html