日本明慧
■印刷版   

正念で資料拠点に対処すべき


文/河北省の大法弟子

(明慧日本)資料拠点を創立する過程は心を修める過程で、自分のこの方面の体験について話します。

  去年オリンピックの時に、当地で中国共産党当局の気が狂ったような迫害が現れ、元の協調人も正常な生活環境を失いました。不法に拘禁された同修を救援するとき、ある同修は私に、「あなたは資料をとる勇気がありますか」と聞きました。私はそのとき、「大丈夫です」と答えました。私は元来いかなる法を実証するための協調の事もしたことがない普通の修煉者で、順次伝える仕事をする中で、ようやく協調をする同修の難しさ、難儀と苦労を体得して、協調の同修の無私の行為をありがたく思うようになりました。彼らが晴雨にかかわらず努力することによって、現地の同修に時間通りに各種の資料を得させ、全世界の大法弟子と一つの全体を形成させたのです。

  協調の事をしている間、私は常に1人の子供を連れた女性の同修と協力し合っていて、子供がとても寒い中で凍えてがたがた震えるのを見て、心の中はとてもたまらず、そこで資料拠点を作ろうという考えが芽生えました。週刊誌に載った同修の「家庭資料拠点創立のストーリー」を見たことから、これは師父の要求された「至る所ですばらしい発展を見せる」ことだと悟ったこともあって、私の願望はますます強くなり、ついにある日、自分の考えを協調責任者に言いました。同修はとても賛同してくれ、ほどなくして機械を買ってきました。機械が家に入ると、嬉しさのあまり人心も出てきて、一種の無形の圧力がついて来ました。

 パソコンをマスターする過程は心を修める過程である

 パソコンは新しく私の法器になって真相を伝えるパートナーになりましたが、しかし初心者の私にとってとても難しく、なかなか思い通りにいかず、焦りの余り時々泣きたいぐらいでした。同修が私にディスクの複製を教えたとき、やはり焦りが出て、昼間に習って、夜ぼんやりしている中でまた複製のことばかり考えていました。このようにして精神的な圧力も大きく、心は静まることができませんでした。実は、これらは自分のいらだちの心を暴露していました。しかし自分はまったく意識せずにまた前へと突っ込んで、心の中は覚えているうちになるべく多く練習したいと考えて、結局家は家でなくなり、ご飯を作るのも面倒くさくて、食事もきちんととらない中、ひたすら人間の方法(鉄は熱いうちに打て)でマスターしようとしたのです。

 法を学ぶ時間を手配せずに、事をする心が生じてきて、結果はますますまずくなりました。ある日家の電線が突然火事になったことによって、ようやく問題の深刻さを意識しました。心があまりにせっかちで腹をたてたのです。(火が出た)。そこで直ちに心を落ち着かせて、前へ突っ込まないようにと思いましたが、しかし口で言うのは簡単ですが、心の中はなかなか思い通りにいきませんでした。それで私は多く法を学び、法の中から正すことによって、次第に焦りの心を取り除くことができました。

 恐れる心を取り除く過程

 「資料拠点を設立すると迫害を受けやすい」という考えは、私にもずっとありました。ある日協調責任者が私に、「市内で同修が連行された」ので、みんなに発正念をするように知らせましょうと言いました。それを聞いて、私は歩きながら歯がひっきりなしに震えて、これは恐れる心が事を起こしていると知りました。またしばらく過ぎた頃、協調責任者は、「市内の資料拠点の何人かが不法に連行され家財を没収された」と言って、みんなが全体的に協力して救援するようにさせました。このことを聞いて、私は落ち着きがなくなり、自分の資料拠点をどうしようかと思いました。

 初日は時間通りに正念を発しましたが、正念を発し終えるととても疲れて、やりたくても力不足を感じました。2日目になると、もう堅持することができなくなり、ベッドから起きられませんでした。事態はかなり深刻だと意識して、それでようやく心を静めて内に向けて探し、自分が迫害されることを恐れたため、旧勢力に隙に乗じられて、修煉者としての心ではなく、まったく常人が保険をかけるような態度で問題を解決しようと思ったため、正念を発しても心を静めることができず、まったく邪悪を取り除くことを果たすことができなくなりました。全体を手伝いきれないだけでなく、自分がかえってびっくり仰天して、全体に隔たりを造って力を弱めてしまいました。

 考えてみれば、資料拠点を創立して以来、私はずっと正念で対処することも、法の上で認識することもなく、いつも人の考えで行って、時には邪念が出ることさえありました。いつも、「私1人が苦しい目にあうのです」と思ったり、時には止めようかと思ったりしましたが、しかしこれは本当の「私自身」ではないと知っていて、退くことができないと思いました。私の資料拠点は法を実証する中でどんな役割を果たしたかを明確に認識することができませんでしたが、しかし時には、修煉の道の中で、自分が何かをしたいからするのではなく、法があなたを必要とすることだけを行うのであって、法を正すことが私を必要とすれば、私は無条件について行き、これが法を円融することだと悟りました。しかし正念はやはり不十分で、師父は私を見て焦って、夢の中で私を悟らせました。

 初めの夢は腕に一つの優曇華の花が咲き、人に見せようとしたところ、瞬く間にべたついて毛羽を持ったものになり、腕全体一面を覆っていて、私は力を入れて取り払い、あっという間に抜き終わりました。2回目の夢は三つの優曇華の花が咲いて、私は人にこれは優曇華の花だと紹介したとき、花は瞬時にとても美しい布の花になって、それから私は手袋をはめて、オーバーを着て、花をしっかりとかぶせましたが、神の花を駄目にしてしまうことができないと思って、手早く手袋をとって、袖を引き始めたところ、花はすでに壊れてしまいました。私は悲しくて、泣きながら正念を発して功能で神の花を修復しようと思ったとたん、目が覚めました。

 正午12時に発正念をするとき、師父は資料拠点が神の花であると私に悟らせました。私は涙が流れて止まらず、自分に静まるように抑えて正念を発して、発正念をし終わってから夢の中の悟らせを考え始めました。初めの神の花が異様な花に変わったのは、自分の人心が悪魔に変異して、資料拠点を負担として扱ったことは邪念であって、正念が出て異様な花を取り除きました。2回目の神の花が常人の花に変わったのは、自分が正念で取り扱わず、手袋をはめてオーバーを着て自分を保護しようと思い、結局花を駄目にしてしまい、そしてひどく後悔して涙がぼろぼろと流れました。これらは師父の悟らせで、資料拠点自体はめったにない神の花で、私はどうして大切にすることを知らなかったのでしょう。

 私は今日ようやく資料拠点を持つことは恐ろしくなく、かえって私の誉れであることを悟りました。私は今後再び自分の資料拠点を負担と思わずに、それを守るように正念で取り扱い、必ず自分の夢の中のように残念な思いを残さないようにします。ここまで筆を走らせて、自分は一層の殻を脱いだような気がして、身体は強大に変わり、法のできないものはないと感じました。

 私と同じような恐れる心を持った同修に、良くない観念を早く取り捨てて、正念で資料拠点を取り扱い、当地で発生した事件に影響されず、しっかりと自分のするべき事をするように希望します。また、資料拠点を創立していない同修に、明慧ネットでのこのような形を利用して、人心を取り捨てるように自分を修め、資料拠点を通して自分を昇華し、師父が要求されたことを円融して、師父に手伝ってこの世を歩むことを希望します。

 師父に御礼申し上げます。同修の皆さん、ありがとうございます。合掌!

 2009年6月21日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/6/15/202759.html