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北京市宣武区の警察は武陽さんを連行し、妻の孫敏さんを殺害(写真) 文/北京市の大法弟子 (明慧日本)内モンゴル赤峰市の法輪功修煉者・武陽(武志軍ともいう)さんは、地方政府や警察による迫害を避けるため、妻を連れて各地をさ迷いながら転々とし、北京の豊台区角門に着いた。2009年4月22日午後9時ごろ、彼は「神韻芸術団の公演DVD」を配布した際、警官に誣告されて宣武区牛街拘置所に拘留された。
2日後、赤峰さんの家族は、武陽さんと妻の孫敏さんが失踪したことに気づき、北京の各公安局に彼らの行方を尋ねた。2009年4月28日、北京豊台公安局によって家族に孫敏さんの「死亡通知書」が届けられた。 通知書には、以下のように記載されていた。 「2009年4月23日1時30分、北京豊台区角門西里の晨新園小区の19号棟南側の廊下で、孫敏さんが墜落事故で死亡しているのが発見されました。それに対して、法規に沿った手続きで処理しました。遺族はこの通知書が届き次第、連絡をしてください。連絡先電話番号:010-88249210 010-88248330 担当者:王增斌」と記載されていた。 5月6日、家族は担当者・王增斌を訪ねると、孫敏さんの死因は宣武区の警官によって分かったことであり、自分は管轄区の担当者として事故現場に行っただけだという返事だった。また、宣武区の警官は4月22日夜、22時から23時の間に孫敏さんの家のドアをノックしたが、彼女は一度ドアを開けて見知らぬ人だと思ってドアを閉めた。しかし、その10分後に同地区の警官が、墜落事故で死んでいた彼女を見かけたとの情報を伝えたという。 しかし、家族は孫敏さんの遺体に、身体、頭部、肩部、首、腕、手などが、刑具によってけがを負っていることを目にした。 北京豊台公安局から依頼された「北京盛唐法医学司法鑑定所」が発行した「検死報告書」には、次のような内容が記載されている。 一、緒論 委託人:程義 委託機関:北京市公安局豊台分局 委託時間:2009年4月22日 委託事項:検死、死亡原因 事件情況:北京市公安局豊台分局の警官によると、2009年4月22日23時頃、孫敏さん(女性39歳、身分証明番号150402196709180323)は北京市豊台区の馬家堡角門西里19号棟6-502室の廊下で遺体が発見された。 二、検査 北京盛唐法医学司法鑑定所の法医・楊玉璞と何新愛によって、2009年4月23日13時45分に所内で孫敏さんの遺体の検査を実施した。 上述の報告を踏まえると、孫敏さんの死因には疑問点がいくつかある。豊台公安局の「死亡通知書」の記載した内容は、「2009年4月23日1時30分に『孫敏さんが墜落事故で死亡した』ことに対し、司法鑑定所の『検死報告書』にある『委託時間:2009年4月22日』と比べ合わせると、時間的に孫敏さんはまだ死んでいないはずだ。それなのに、司法鑑定所ではすでに、彼女の死亡鑑定書を用意していることに矛盾がある。 事実上、孫敏さんの遺体にある特徴も「検死報告書」の内容と一致せず、外見から見ると、頭部、首、身体、肢体に数箇所にけがを負っていることが分かり、「検死報告書」の信憑性が疑われる。 また、宣武区の警官は22日の22時から23時の間に孫敏さんの家を訪ねたことから考えると、「死亡通知書」に記載された「2009年4月23日の1時30分に、孫敏さんが墜落事故で死亡した」という内容から、その時空白だった2、3時間の間に、いったい何が起きたのかがあやふやで、何かが隠蔽されているかもしれないと憶測される。 現在、夫・武陽さんは宣武区公安分局に北京市公安局へ移送された。不法に北京市拘置所(豆各庄)に監禁された。監禁の理由は、武陽さんが中華伝統文化を紹介するDVDを配布し、人を救い済度するためだとコメントしたからだ。 孫敏さんが迫害されて死に至った経緯と、武陽さんが受けた迫害の情況に関して知っている人は、関係情報を提供してほしい。 2009年6月23日 (中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/6/17/202882.html) |
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