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上海の法輪功修煉者・張志雲さんは毒を入れられて死亡

(明慧日本)上海の法輪功修煉者・張さん(66)は、10年来長期の迫害で24時間住宅監視を受けた。2009年4、5月の間に中国共産党の示唆で「面談」をされた時、用意された「お茶」を飲んだ後、家に戻って調子が悪くなり急に大量吐血をして入院した。

  「610弁公室」の関係者は彼女が入院した医局に駆けつけて、「張志雲さんが入院したことをなぜ伝えてこないか? 院長と相談したから、全力で救おう」と家族を責める口調で言った。しかし、「全力で救おう」と言われた翌日の2009年5月14日に張さんは急に死亡した。それに対して、院内の医者らは怪しい、こうはならないはずだと悔んだ。

  張さんは,中国共産党が大規模に法輪功を弾圧する前に、上海法輪功の輔導站で站長を務めていた。

 1994年1月、張さんは法輪大法を始めてから、重病が治りすっかり元気になった。そのためにより多くの人にも大法の素晴らしさを知って欲しいと、上海から郊外にまで煉功場を作った。それが、彼女の人生において修煉や法を伝えることが日課となったきっかけであった。

  1999年7月20日、江沢民の邪悪集団の下で張さんも多くの法輪功修煉者と同じように上海市市政府へ迫害の停止を陳情に行った。しかし、上海市の共産党政法委書記の劉雲耕は、上海の各法輪功輔導站の站長らに向かって法輪功の禁令を出した。張志さんは非常に不満な意思を表して、法輪功を裏切る保証書やテレビの取材(弾圧に利用される材料となる)などを断った。共産党は陰謀を見破られて迫害の参与者は震撼した。

  天地を覆う大規模な弾圧で迫害を煽る中、張さんは上海で主な迫害の対象者として生活のいかんにかかわらず迫害を加えられた。彼女は受けた過酷な迫害に立ち向かって何に対しても屈しない気風を表した。かつて加害者らに押し入られて「法輪功の師父」の写真を取られそうになった時、「刀山に登っても火海に降りてもわが師に着いていく。これらの物を持っていかせるわけにはいかない」と厳正に注意した修煉者ならではの固い正念で悪い連中を追い払った。

  10年続く迫害にも修煉を放棄せず、張さんはずっと上海の「610弁公室」等の非合法組織の嫌がらせと迫害を受けて、精神と身体に与えられたダメージを味わい尽くした。長期にわたり示唆されたスパイと「倒鉤」という連中の不法監視に精神的な苦痛を受けながら、家族まで迫害されていることを目にしたが、いろいろな汚い手段を通して修煉をやめさせようとしたことに屈しなかった。

  次に迫害の情況を一部記載する。

  張さんの夫は修煉をしていないが、「1999年7・20」前に会社にとって優秀なエンジニアで不可欠の人材なのに、迫害が起きて予告なくリストラされた。張さんの息子は知り合いと共同で麺の料理屋を開いたが、迫害の当初に無理矢理取り締まられて閉店を命じられた。それによって一家の家計は崩れた。さらに、「610弁公室」が絶えず嫌がらせと干渉をして家族の生計の道を失わせた。張さんの娘は優秀な成績で大学を卒業したが、迫害のため志望の会社に就職できなくなった。

  張さんの家の電話は盗聴されていて、郵便箱も調べられ、長期にわたって家の周りにいる不審者の24時間の監視と、どこに行っても不審者のストーカー行為が続けられた。ある日、彼女は90歳あまりの叔父さんを訪ねて行ったが、これだけで叔父さん一家が検問された。彼女は親族との交際を諦めるしかなかった。

  2004年、娘は海外の学校に留学を申請して、入学許可が下りてもパスポートがなかなか取得できなかった。難儀な申請だと気づいて悔しく思いながらも、諦めずにやっと5回目でパスポートが下りた。

  2006年、同修が訪ねた後、不審者の嫌がらせを気にして帰りに駅まで同伴した張さんはその場で打撲を受けて足などに重傷を負って、そのまま警察署に連行されて拘禁された。

  2008年、息子は海外の試合に行く時、出国準備に問題がなくても、飛行場で止められて理不尽に身柄を長期に拘束された。それから2カ月も釈放の交渉を求め続けた結果、海外の試合が終わるまで釈放と出国を許されなかった。

  2006年から張さんはずっとパスポートの申請をしてきたが、時間をかけても一向に下りて来ない。2008年に娘のオーストリアでの披露宴に行くために再びパスポートの申請を試みたが、彼女はとうとう叶えることができなかった。2008年の末に娘は母に寂しい思いをさせないように一度帰国して、2次の披露宴を行おうと試みたが「610弁公室」の妨害が入ったことで諦めた。

  2008年11月、張さんは虹口区公安分局で海外の娘の卒業式に参加するため、再びパスポートの申請に行き、虹口区「610弁公室」の夏と宋及び戴と1時間くらい相談する中で、水を一杯飲んだ。しかし、家に戻ると、変に体の調子がおかしくなって咳が止まらなかった。

  2009年、張さんが娘の卒業式で出国したいと幾度も申請を出したが、虹口区公安分局の陳朝暉に「公民じゃないあなたにパスポートをあげない」とからかわれた。それから、2009年4月に彼女は同じことで虹口区公安分局へ要求に行って、公安局から出された水を飲んで帰った後、程なく吐血した。

  その後、張さんは体調が悪化して病弱になった。その上、虹口区「610弁公室」の戴と虹口区政法委書記、欧陽警察署の李楨惠による嫌がらせが絶えず、いっそう彼女を苦しめた。家族は心配して入院させたが体調は好転した。入院して5日目に、「610弁公室」の人がやって来て病院の院長と主任医と面談した。その翌日(5月14日)、張志雲さんは急に危篤に陥って亡くなった。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

  2009年6月24日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/6/16/202816.html