日本明慧
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私はどのようにして大法を信じるようになったか

(明慧日本)私は山東出身(29才)で、運送と販売に従事しています。

 2004年後半、主人の父の家に行ったとき、主人の父は私に法輪大法に関するよう言いだして、そして私に「法輪大法好、真・善・忍好」と覚えさせました。そのとき、私は受け入れられず、彼らに対してとても反感を抱き、そして彼らに大法の修煉を止めるように説得しました。しかし、私の制止はまったく効き目がありませんでした。出発のまぎわになったとき、主人の父が私に1枚の「お守り」を渡してくれたので、私はついでに身につけるようにしました。

 2006年のある日、私は同僚と徐州まで荷物を配達するため、車の上に荷物をいっぱい積みました。車がある交差点に来たとき、突然自転車に乗った人が車の‭‬7〜8メートル前方に現れて、車のスピードがあまりにも速いうえ、路面の砂が比較的に多かったため、ブレーキを底まで踏んでも、スピードは一向に落とすことができませんでした。自転車は瞬間に自動車の前まで接近しました。当時、私は大法のことを思い出せず、ただもう駄目だ、事故を起こすのだと思ったとたん、「ゴォン」と大きい音を耳にしました。私の車があるものにぶつかって、引き続きまた前方の自転車に乗った人にぶつかり、その人は7〜8メートル遠くまで跳ね上がりました。

 そのとき、私の同僚が運転していて、彼はびっくりして見る勇気も、車から下りる勇気もありませんでした。私は車から下りて、自転車がすでにくず鉄のようにつぶされていました。しかし、地面には血痕がなく、ぶつかった人は座りこみ、びっくりして泣きました。

 このような光景を見て、私は驚くやら喜ぶやら、覚悟していた心の重荷がようやく下りました。後で私は車の周りを調べて、不思議なことを発見しました。つまり車が人にぶつかる前に、車の後輪は1つの石碑に妨げられて、これに遮られたことによって、やっと深刻な交通事故の難から幸いにも逃れられました。ぶつかった人は5〜6日間で退院し、支障はありませんでした。今回、私は決して完全に大法の力だと思っていませんでしたが、その後に発生した事が徹底的に私の考えを変えました。

 2007年後半のある日、私は出張で江蘇へ行くと途中、車は豊県近くまで走ったとき、何となく車の前に人影があると感じました。すると私は、「法輪大法好、真善忍好、私に道中ご無事であるように守ってください」と念じました。そのとき、1台の乗用車が高速で私の車を追い越して、5分足らずで恐ろしい一幕が発生しました。乗用車が1人の通行人をぶつけて10メートルまで飛ばし、私は戦々恐々とびっくりしてしまいました。心の中で、大法が再び私を助けてくださり、繰り返し警告してくれたので、私は幸いにも一難を逃れることができました。心から感謝し、また幾度も「大法好」と念じました。

 2008年9月のある日、私は他の2人の同僚と一緒にワゴン車で荷物の配達に出かけて、国道105号まで走ったとき、1人のお婆さんが突然道路の真ん中まで飛び出しました。距離があまりにも近すぎるため、ブレーキを踏むのが間に合わず、私は直ちに、「大法が私を助けてくださいますように」と念じたと同時に、すぐさま思い切ってブレーキを踏みながらハンドルを切りました。すると、車はすぐに転倒しました。道ばたに深くへこんだ穴があったので、心の中ではもう終わりだと思って、穴の中に落ちてしまうと車も人も駄目になるに決まっていると思いました。巨大な音が響いた後、車は側面からひっくり返って止まり、意外にも穴の中に落ちませんでした。転倒した車の中で、私は2人の同僚が無事かどうかを確認すると、同僚たちは意外にも無事でした。私たちは車の中から出てきて、そのお婆さんを見てみようと思いましたが、人影はなく、無事で何よりだと思いました。私は1台のクレーン車を呼んできて、車を戻した後、引き続き出発しました。

 今回の重大事故は、バックミラーが壊れただけで、修理代10元で済み、ガラスを含めて、車の4〜5トンの荷物と人に少しも損傷はありませんでした。大法は実に不思議すぎます。

 私は誠実に自分の身に起きたことを皆さんに話して、みんなに法輪功の不思議さと正しさを知らせて、再び中国共産党の偽りの宣伝を信じないようにさせたいと思っています。

 ここで、命の恩人である大法の師父および大法にお礼を申し上げます。

 私は真心から「法輪大法好、真善忍好」と、大きな声で叫びます。皆さんもこれを念じて、幸せな毎日が訪れるように希望します。

 2009年6月24日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/6/6/202304.html