日本明慧
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潔癖症を取り除く


文/中国の大法弟子

(明慧日本)私にはある悪い癖があります。自分はそれほど清潔ではないのですが、いつも他人の汚さがとても気になるのです。学生時代、誰かが密かに私の本やペンに触っても、その場にいなくても分かり、怒ってペンを叩きつけたくなるほど嫌なのです。よその子供が家に来た時、何かに触ってもとても嫌なのです。自分の子供でもそうです。他の人が指摘してくれたおかけで、自分が潔癖症であると分かりました。この執着を捨てるために、師父は何度も捨てる機会を按排してくださいました。

 2002年、トイレに行くことのできない姑が家にやって来ました。そのころ、姑に大法を学ぶよう勧めていました。姑の大便や尿を捨てたりするのは嫌ではなく、それはまた難しくもありませんでした。近所の人はこれを見て、「汚いことをとても嫌がり、話すことさえも嫌な人がこんなことができるなんて」と私のことを話していました。親戚の子供が家に来た時、できるだけ嫌がる気持ちを抑え、少しずつこの癖を取り除くように心がけました。子供がどんなにベッド上で跳ねたり、テーブルの上に上がったり、家の中をかき回しても、一言も言いませんでした。逆に子供に玩具やお菓子を与えました。このように子供を持つ親戚なども大胆に家に来るようになりました。私は子供を嫌がらなくなりました。寛大に許すことは一種の美徳であり、心地よいことだと感じました。

 しかし、ある時には、完全に捨てることができず、また現れます。食事をしようとしている時、近所の子供が大声で「便をしたい!」と叫びました。私はこれを聞いて怒り、本当に意地悪をすると思いましたが、歯を食いしばって食事をしました。時には、汚いものを見て吐きたくなります。ある時、嫌な臭いのするおばさんが私の傍で私をじっと見ていました。私は直ちにその老人を避け、また我慢できず怒ってしまいました。またある時、外出して脱党を勧めた時、顔を近くで見ると、知能に障害のある老人でしたが、両目が赤く濁り、ひげに鼻汁がたくさんくっ付いて、手と顔は真っ黒で、髪も振り乱していました。最初は相手にしたくありませんでした。しかし、私はやはり真相を伝えることにしました。彼は耳がとても遠く、すぐ傍に近づかなければなりません。この時気持ちがとても複雑で、とても話す気がしませんでしたが、彼のことを可哀そうにも思いました。

  この潔癖症はまだ完全には取り除いていません。今後完全に取り除くよう努めます。

  2009年6月25日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/6/22/203209.html