日本明慧
■印刷版   

5年間監禁された張義祥さんは食事に薬物を混入された

(明慧日本)四川省成都市の彭州市麗春鎮君平の法輪功修煉者・張義祥さんは、彭州市裁判所に5年の判決を下され、楽山市五馬坪刑務所に送られた。刑務所で酷い拷問を受け、ご飯の中に脳の神経を破壊する薬物を入れられたこともあった。2008年6月20日、釈放された張さんは再び成都市新津洗脳班に連行された。

  2003年6月17日、張さんは彭州市の国安の警官に麗春派出所に連行され、重さ5キロ以上の足錠をかけられた。長時間立たされたため、両足が腫れ、歩けなくなった。張さんは、警官に睡眠がとれないように、懐中電灯で強い照明を目に当てられた。また、両手を椅子に手錠でかけられ、2人の警官に左右で同時に腹股と脇下を掴まれ、威嚇や恫喝をされた。張さんは警官に3昼夜苦しめられた。

  2003年7月1日、張さんは迫害に抗議するため断食した。彭州市留置場の医者に強制的に「囚人の椅子」に3昼夜座らされ、鼻に1本の消毒してないゴム管を入れられた。

  2003年9月、張さんは彭州市裁判所に5年の判決を言い渡された。2004年4月22日、彭州市留置場から楽山市五馬坪刑務所に移送された。当日の午後、張さんは左足の中指を悪らつな者に踏まれ、爪をはがされ、頭皮も水をつけたブラシで擦られた。2004年5月1日、張さんは煉功をしたため、管教の王易軍に就寝を許されなかった。王易軍は他の受刑者に指図し、睡魔に襲われる張さんの鼻を刺激物で突き、張さんを3昼夜寝かせなかった。張さんは同じような迫害を2回受けた。

  2004年6月1日、警官・肖斌、高虎、何清全、受刑者の呂雄超、秋謙才らに囲まれ、殴られた。その後、小さい部屋に監禁され、(刑務所の中、拷問する専用の部屋)両手が部屋のドアを抱く姿勢で、一晩立たされた。

  2007年2月28日、張さんは1監区から4監区に移送され、2昼夜牢屋に監禁された。

  2007年11月13日、張さんは、いわゆる刑務所を出る教育を受けた。そのため、一つの空いている部屋に閉じ込められ、トイレに行くのに、2人の受刑者がついていかなければならなかった。19日、警官に「大」という形に手錠をかけられ、3昼夜同じ姿勢にさせた。食事をする時と寝るときしか手錠を外さなかった。しかも、ご飯に脳の神経を損傷する興奮剤のような薬物が混入されていた。同じような迫害を再び4昼夜受けた。そのときは食事とトイレに行くにも手錠を外してくれず、人にご飯を口に入れられ、大小便も便器で取ってもらった。

  この迫害に参与した警官は、夏昭久、羅国華、鄧学文、2監区の指導教育科長・彭と副科長・陸江濤である。

  2008年6月18日、張さんは、1監区に1日監禁された。19日、彭州市の「610弁公室」、政法委、麗春鎮派出所、司法所に麗春司法所で不法に1晩と半日監禁された。20日に帰宅したが、その5時間後、再び司法所に連行され、翌日の午前、成都市の新津洗脳班に送られ、5カ月以上監禁された。

  洗脳班で、張さんは、食事に3種の薬物を入れられた。その薬物は、不眠の薬物、考えを乱す薬物、性虐待の薬物だった。また、夜に怖い音や悲惨な叫び声のテープを流された。それに加え唐辛子の水を口に流され、「トラ椅子」に座らせるなどの迫害を受けた。

  新津人民病院の中医院で、点滴を受けた張さんは、警察と結託した医者に、脳の障害を起す薬物を入れられた。11月2日から12月3日まで、張さんは一睡もしなかったという。

  2009年6月25日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/6/18/202942.html