人心を放下し、慈悲心をもって衆生を救い済度する
文/中国大陸の大法弟子
(明慧日本)師父の『法輪大法—オーストラリアの学習者に対して法を説く』のDVDを拝見した後、我々は世の人々への対処の仕方や、真相を伝え脱党を勧める時に、慈悲心をもたなければならないとうことの重要性を再認識することができました。最初、真相を受け入れた人や、脱党した人に対して、私はいつも喜びを感じることができませんでした。脱党の話を聞くと、すぐに反発し、中国共産党の邪説で弁護し、自分が如何に利口で、如何にずる賢いか、中共の社会で自由自在に生活ができ、偉そうにしていた人に対して、私は常にがっかりし憤慨していました。そして、このような人間は淘汰されても同情する必要はないと、無慈悲な気持ちで対処していたのです。
常人は金銭のために、また、自分が将来出世しようとする願望のために、毎日忙しくしています。子供が如何に出世し、自分が如何にいい生活をしているかを自慢したりする人もいれば、騙し合ったり、互いに腹を探り合って暗闘したりする人もいます。彼らは命でお金と交換していることを知らず、可哀相です。我々が救い済度しなければならない人は、これらの人達で、非常に難しいでしょう。しかし、どんなに難しくても、我々は彼らを救い済度しなければなりません。なぜなら、この世の誰もが長い歳月を経てきて、ずっと大法と出会う機縁を待っており、法を得るために大胆にも人間社会にやって来たからです。今の彼らは世に惑わされていますが、師父はこれらの衆生を見捨てていらっしゃいませんので、我々は彼らを救わなくてよいのでしょうか? 脱党しない人に対して、憤慨を抑えきれないその心は慈悲ではないのです。
正法は最後の最後の段階に入っており、我々も法が人を正すその日を待っています。ところが、師父は教えてくださいました。法が人を正す時に最初に行われることは、大法弟子の圓満成就です。師父がずっと待っていらっしゃるのは、我々がまだ多くの人を救っていないほか、大法弟子の心性もまだ基準に達していないからなのです。最後の時期になって、大法弟子への要求を決していい加減に行ってはなりません。我々の修煉状態を見て「とても焦っている」と、師父はおっしゃいました。大法弟子の誰もが反省すべきことで、一体、何の執着が我々を邪魔し、我々の精進を妨害しているのでしょうか? 人間のことにしがみつきながら、神に向かっていくのでしょうか? 師父はすべてを用意してくださったのに、人間のことを放下できないで、師父のものを得られるのでしょうか?
『2002年米国フィラデルフィア法会での説法』で、師父は「以前既に話しましたが、実は常人社会で起きた全ては今日においても、皆大法弟子の心によって促成されたのです」と、おっしゃいました。もし我々が師父の要求に従って行い、人心を放下し、慈悲心をもって衆生を済度すれば、常人社会の変化はきっと早くなり、人を正すその日はすぐに到来すると思います。
次元が限られているため、間違ったところあればぜひご指摘ください。
2009年6月26日
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/6/20/203082.html)
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