日本明慧
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法を学ぶ時、無駄な学び方をしてはならない

(明慧日本)今日も、集団学法でいつものように1人が2段落ずつ読みました。学びながら私は一つの問題点に気が付きました。私は法の表面の意味をよく考えながら読むので、読む速度が比較的遅いのです。したがって学法する時、比較的速く読む同修にはついていけません。同修の読む速度に追いつこうとするために、私は法の表面の意味を考える余裕がなく、結果的に学法の効果を得ることができません。

 更に、ある同修は、私も含めてこんな状況にありました。自分が読む番になると、顕示心のせいで、いつもスムーズに正確に読もうとし、読むこと自体を重視します。読むために読み、法の表面の意味に注意を払いませんでした。スムーズには読みましたが何を読んだのか分からず、全く心に残りませんでした。

 恐ろしいことです! ずっとこのことを認識することができなければ、学法しても向上が遅く、学んでいないことに等しいのです。私は1人で学法する時、常に法の内涵を悟ることができるのですが、集団学法となると得ることができず、全く心に残っていませんでした。

 私に一つの提案があります。皆さん考えてみてください。私達が集団学法の時、速くもなく遅くもない速度で、或いは多数ないし全部の同修が受け入れられる速度で読み、先に他の人のことを考え、自分を実証しないようにしましょう。「学法」この最も重要なことを、無駄に学ばないように、私達の修煉の道をもっと強固なものにしましょう。

  2009年6月26日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/6/24/203264.html