私心を取り除いて全体で圓容する
文/中国大陸の大法弟子
(明慧日本)最近、私は学法と正念を発することをしっかりと行なっていなかったので、真相を伝えることにかなり影響しました。恐れる心、疑心、求める心、安逸心、名利心、情欲の心などの重い人心があった為、邪悪に隙に乗じられ、長期にわたって監視されるという状態を突破できませんでした。
そこでパソコンを学んで、大法のウェブサイトや、電子メールを送るなどの方法で真相を伝えようと思いました。そこで同修甲に手伝ってもらってノートパソコンを買ってきました。聞くところによると、同修乙は、簡単で解り易く、安全、敏速でかなり良いシステムを作ったので、そのシステムをインストールしたかったのですが、なかなか願いどおりにいかず、同修乙に連絡するようにと、同修甲に催促しました。
その間、同修の間に間隔があるのを見て、取り除こうとしましたが、やり方が不適切で、心が単純ではなかったので、同修甲がついに我慢できなくなって私に八つ当たりしました。この時、私はやっと冷静になって内に向かって探すことができました。そうだ! 同修は仕事もあって、多くの大法を実証することもやっていて、非常に忙しいのに、私は少しも分担せず、ひたすら圧力を加えていたのです。自分の事にかまけて、他人のことには構わない、この強烈な私心は同修と比べて差が大きすぎます。私が諸悪の根源で、そのすべての欲求と執着は全部私からきています。
「私(し)」は古い宇宙の生命の特性でもあり、この「私」を取り除かなければ、絶対に新しい宇宙の無私の基準に達しません。自分が何度も転んで、長期にわたる難関の苦しみの中にいるのは、すべて「私心」があまりにも重く、旧勢力に隙に乗じられたのではありませんか? 法を正すことの最後の段階まで歩んできて、まだ「私」から歩み出られないのでしょうか? そこで私は、「私心」を取り除こう・・と、決心しました。
数日後、乙同修の状態が悪く、同修に会いたくないという事でした。彼だけがそのシステムを取り付けることができます。私は焦って、また私心が邪魔をしているのです。そこで乙同修が極めて苦しい境遇にいる事を、やっと知りました。乙同修は大学の学歴を持っているのですが仕事が見つからず、生活は親戚に頼っており、口数が少ないため、同修との意思の疎通がしにくく、昼夜兼行でパソコンソフトを研究しており、機械の修理やシステムの取り付けを頼まれれば必ず承諾します。
状態の良い時は大量に真相資料を作って、配りますが、状態が悪い時は、苦しい表情をして、数日間一言も話さないときがあり、誰にも会おうとしません。彼は心理的バランスが悪く、よくない物質を排除できないのです。苦しくて、よく死にたいと思うのですが、法を破壊する行為であることを知っているために、非常に苦しんでいます。その他の同修も何度も救いの手を差し伸べ、法理上で交流したり、彼の為に正念を発したりしました。しかし長くは続かず、彼の状態は良くなったり悪くなったりしますので、最後には、同修たちはいわば鉄が鋼にならないのを残念に思い、失望して、愚痴を言い、非難する中でまた同修乙に多くのよくない物質を押し付けてしまいました。彼は更に耐えられなくなりました。今度は、彼の親戚までが彼に生活費を与えなくなり、旧勢力は本当に彼を袋小路へと追い込み、彼を壊そうとしています。
このことを耳にして、私は大いに驚きました。何故このようになっているのでしょうか? 同修たちは、これは旧勢力の仕業で、同修乙を壊そうとしていると悟ったので、私達はすぐに同修乙の為に正念を発しました。この時に尊師は同修乙が耐えているものを私に見せてくださいました。旧勢力は彼に内向的な性格を按排して、人との疎通に隔たりを作り、彼を人から理解を得られないように経済上の面で迫害しているのです。彼が開発したソフトウェアは、悪人が解読することができず、大いに同修の法を正すことに協力しているのです。
それは衆生を救い済度することの強力な助けとなり、邪悪は同修に対する迫害を軽減させたため、邪悪の恨みは骨髄にまで徹し、これほどまでの威徳を樹立するのなら、それなりの巨大な難を与えなければと、彼の空間場にたくさんよくない物質を押し込んだのです。同修の依存心は、彼に学法も煉功する時間さえもないほど忙しくさせた上、常に強い正念を維持できないようにさせました。
崇拝する心も作用しています。機械の故障は、他の空間で起きているので、多くのよくない物質があり、自分の修煉と関係しています、機械を修理する前に、まず自分を修めなければならないという事を、みな知っていますが、機械の多くの不具合を同修が探し当てれば、多くのよくない物質を全部彼に負担させ、彼に消してもらうことになります。
また多くの同修は、彼を理解できずに愚痴などを言い、また、良くないものも彼に重圧として加えてしまい、彼はそれらを全て負担できるのでしょか? 彼に対する迫害は修煉者全体に対する迫害と妨害です。決して彼個人の業力と負担すべきものではありません。私はこれらが分かった時、心にやましさを感じ、私達が同修から提供された便利さと援助を受けている時、彼(彼女)らが耐えている巨大な負担を考えた事があったでしょうか?
同修のために思ったことがあったのでしょうか? いくら分担したのでしょうか? 彼らのために何回正念を発したのでしょうか? 彼の事を自分の事にしましたか? 正念で同修の異なった状態に対応したのでしょうか? 「私」という一文字が私の目を遮って、私を冷酷にさせ、いささかの慈悲心もあったのでしょうか? この事を通じて、私は深く自分を内に向かって探しました。全体を圓容しようとするなら、必ず私心を取り除かなければならないと悟りました。
この文章を書く際、このことが順調でなかったのは、パソコンを学ぶ出発点が正しくなかったことに関係していることをも悟りました。警官に尾行されたら迫害されるのを恐れて、回り道しようとし、面と向かい合って真相を伝える勇気がないからです。しかし面と向かい合って真相を伝え、「三退」を勧める事は、私の得意とするところであり、その上尊師も私に知恵を開いて下さったのに、私は自分の私心と、恐怖心のため、尊師が按排して下さった道程を歩めませんでした。私はしっかりと学法し、内に向かって探して実修し、尊師が按排して下さった道程をしっかりと歩みます。
たとえ漏れがあっても尊師に管理されているので、誰も試す資格はありません。私は必ず正念で邪悪を解体し、邪悪が作った間隔を打ち破り、正念で同修を加持して、大法の中で全体で圓容し、昇華します。
多くの同修がまだ悟っていないのを見て、この交流文を書きました。正しくない所があれば、ご指摘ください。
2009年6月29日
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/5/30/201903.html)
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