日本明慧
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内に向けて探し 円容と不破の全体を形成する


文/中国大陸大法弟子

(明慧日本)長期にわたって私たちの地域の学法グループはずっと安定せず、私も精進したり緩んだりして、師父が残してくださったこの学法の環境を守りませんでした。時間があっても学法グループに参加しない同修に対して、私は常に「法に従っていない」と思っています。グループの中で人心が強い人に対しては、「長年修煉してきたのに、人心がまだこんなに多い、どうやって修煉していたのか」という思いもあります。「この学法のグループを作ったからには、この環境を守るべきだ。みんな協力すべきで、私だけのことではない」と思い込みで、心のバランスが取れず、他人の不足を見て、他人に要求するだけで、内に向けて探しませんでした。

 法の勉強を通じて、私には自分を実証し、不満や文句を言いふらし、名声を求め、嫉妬心があることをやっと意識しました。このような汚い心を持って神聖な法を守ることができるでしょうか? 師父は『オーストラリアの学習者に対して法を説く』で、相手が良くできなかった時、我々は相手に文句を言ったり、責めたりしてはならず、かえって理解してあげなければならないと、我々に教えてくださいました。確かに、修煉は自分の心を修めることです。

  どうして他人を責めなければなりませんか? 本当に落ち着いて内に向けて探すと、師父の法がまた私を啓発してくださいました。「それでは、彼らの心はどういう状態なのでしょうか? それは寛容であり、非常に洪大な寛容であり、他の生命を受け容れ、本当に相手の立場に立って他の生命のことを考えてあげることができます」(『2002年米国フィラデルフィア法会での説法』) その後、私は二度と同修を責めることなく、いらだつ気持ちもなく、和やかな心境で同修と接触し始めました。

 自分の心を正した後、他の同修も精進し始め、上を目指して向上する意識が出てきました。グループの学法に参加しなかった同修も自分が参加し始めただけでなく、夫(昔の同修)も連れて改めて修煉し始めました。これは師父の偉大なる慈悲で、内に向けて探すことの大切さを啓発してくださったのです。

 同修の不足を見つめる時、他でもなく同修に良くない意念を加え、同修を妨害することになります。自分の心を正せば、周りのすべてが変わります。同修達よ、法を良く勉強して、いつも内に向けて探し、同修との隔てを取り除き、円容と不破の全体を形成して、師を助け、法を正し、衆生を救い済度する道で勇猛精進しましょう。

  個人の認識なので、不足の点はご指摘ください。

  2009年6月30日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/6/27/203520.html