遼寧省:彰武県の傑彩雲さんは連行された
(明慧日本)遼寧省彰武県の法輪功修煉者・傑彩雲さん(51歳女性)は、2009年6月1日、悪辣な警官の崔海峰が大法修煉者・劉英さんを連行した悪行を暴露するチラシを張り付けた際に、連行された。現在、当県の留置場に監禁されており、家も家宅捜索されたという。
普段の生活で、傑さんは明るくて親切な女性であった。修煉前には、傑さんはいろいろな病気を患っており、生活も困難で、どうすることもできない状態だった。幼いころから、腕と肘が腫れ、5本の指を伸ばすことが出来ず、いつも拳を握っていた。その上、傑さんは頭から全身に乾癬があり、痛くて、痒くてたまらなかった。そのために毎日寝る前に塩水で洗い、そしてごま油を塗ってから初めて少し眠る事ができた。1年中冬も夏も関係なく、いつも袖口とズボンの裾を縛っておかなければならなかった。そうしなければ少しこすれたら皮膚が落ちて、毎日油くさかった。
傑さんの家庭は豊かでないため、仕事も失い、病気だらけの人が仕事をしようとしても採用されなかった。仕方なく、実家の前で湯を沸かしてお茶の販売をした。しかし、父親は傑さんのことが気に入らないため、毎日やかんを傷つけたり自転車の空気を抜いたりした。傑さんは毎日泣くばかりで、弟と一緒に御飯を食べようとしても父親に罵られ、怒られた。母親がこっそりお金を渡そうとしても父親に内緒にしなければならず、傑さんは母を困らせたくないため一切拒否した。当時、傑さんの息子が専門学校に合格したが、金がないため仕方なくやめて出稼ぎに行った。母親としてどんなに辛かっただろうか? 子供のためでなければ生きて行く勇気もないはずだった。
しかし、天は人に生きる一筋の道を残した。傑さんは法輪功を紹介され、それから修煉の道を歩み始めた。師父の指導通り、大法の要求に従い、学法や煉功をし、心性を修めて、真・善・忍に基づいて自分を律して良い人になり、よい行いをしたので、いろいろな病気がなくなり、性格も明るくなって、人の手助けもよくした。
傑さんの家の近くに公衆便所があり、いつもきれいに掃除をした。体も健康になったため、家政婦の仕事も上手くこなした。ある日、周さんの家を掃除したが、周さんは自分の金を間違ってどこかに置いたため、傑さんに盗られるたと疑ったが、周さんの娘さんは、傑さんはそんな人ではない、きっとどこかに置いているはずで、よく考えてみるようにと話した。結局、一家は探して、その金を探し当てた。傑さんは、私は法輪大法を修煉しているので、師父の真・善・忍に従わなければならない、私は平気ですよと言った。それから、周さん一家は傑さんを家族の一員のように見なした。
もう一つは、程家で家事を手伝うことになった。程さんの母親は重病でベッドに寝て、自立した生活ができなかった。傑さんは病人の体をきれいに洗って、匂いもきれいに拭き取った。母親は世話をしてもらって、そのうえ、法輪大法が素晴らしいと教えてもらい、徐々に話をするようになり、それから傑さんを自分の義理の娘と認めた。本人が入院中に、医師、看護師、患者たちはみな傑さんが本当の娘だと思っていた。病室の掃除も他のことも積極的にしたので、病院中のみなからよい評判を得、このような人はなかなかいないと話していた。傑さんはそれを聞いて、いつもにこにこして、師父に真・善・忍を修めるように教えられて、法輪大法を修煉しているからだと答えた。
傑さんの父親が脳血栓で倒れた。母親も亡くなって、兄弟姉妹たちはよい仕事がなくて誰も父親の世話をする余裕がなかった。誰も傑さんに世話をさせる話を口に出せなかったが、傑さんは自分から進んでみんなに任せてと話した。弟は感激して涙を流した。傑さんは、私は法輪大法を修煉しており、誰にでもよくするようにと師父の教えがあり、まして自分の父親だからするのは当然だと言った。
2006年3月5日、大雪の日だった。雪がたくさん積もって、ドアさえ開けられなくなったが、傑さんはドア開けて僅かな隙間から出て、歩いて2時間ほどかけて、姑の家に着き、家の前の雪をきれいに取り除いた。義理の母親は感動のあまり、「彩雲よ、この世であなたに報いる機会はないけれど、来世にはきっと償います」と言った。傑さんはにこにこして、「お母さん、心配しないで、私は法輪大法を修煉し、師父に教えられたからよ」と答えた。
どこへ行っても微笑みを運んで行く傑さんは、法輪大法の素晴らしさを善良な世人と友人に伝え、すべての人々が健康な身体で、幸福な人生であるようにと祈った。
このような素晴らしい人が、いまは野蛮に連行された。道義はどこにあるのか? 天理はどこにあるのか?
2009年7月1日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/6/23/203262.html)
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