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多くの大法弟子が明慧ネットを見るように


文/大陸大法弟子

(明慧日本)私はこの数年間明慧ネットを見てきました。時期によっては私にとって違う感想がありました。私はそれらの感想を同修と交流したいと思います。

 10年前、明慧ネットが創られたばかりのとき、名前は「北アメリカにある法輪大法」という名前でした。当時の中国大陸も大法弟子が多い地域に、大法弟子が心性の面での交流ができる新聞がありました。例えば、「大連にある法輪大法」、「長春にある法輪大法」、「北京にある法輪大法」など、それらの名前は師父の自筆で書かれたものでした。中国大陸では、1998年〜1999年に、インターネットは普及しておらず、数が限られているので数人しか明慧ネットを見る事ができませんでした。

  私は仕事の関係で見る事ができましたが、その時は自由な修煉環境があり、「煉功点」も多くありました。大法弟子の集団煉功と学法、交流も自由で便利でした。師父の経文が出た時は、各「煉功点」のボランティアの方が、直ちに大法弟子に伝えました。ですから、その時の大法のネットは大法弟子にはそこまで必要ではありませんでした。

 1999年7月20日から、中共政権は、明慧ネットを封鎖し始め、直接アクセスが出来なくなり、高度なソフトウェアを使わないと明慧ネットが見られなくなりました。当時の環境は、邪悪の密度が高く、だいたい毎日、隅々から邪悪の虚言が浮き上がるようになり、本当に天が落ちてくるような感じがして、息ができないようで苦しかったのです。

  1999年7月20日当日、中共政権は、全国的に法輪功修煉者を連行し、当時の大連の6人の「煉功指導点」の責任者を連行しました。大連の大法弟子は、人民広場にある市政府に連行された大法弟子の釈放を求めに行きましたが、多くの警官と多くの制服を着ている人たちに殴られたり、掴まれたりしました。特に若い大法弟子は猛打されました。翌日、7月21日、大法弟子は、先日と同じような行動をしましたが、警官は用意したバスに大勢の大法弟子を乗せ、郊外に連れて行きました。しかし、大法弟子は郊外から人民広場に戻り再び同じ要求をしました。また、警官がバスである学校に連れて行き、一人ひとりのことを登録し、登録された大法弟子は夜11時になって釈放されました。22日、私は市政府に陳情に行っても意味がないと考え、もう1人の同修と一緒にバスに乗って北京に行きました。

 北京にいる多くの知識ある大法弟子は、明慧ネットにアクセスが出来ますが、当時、師父が暫くの間公開説法をしておられなかったため、突然降りかかってきた迫害に対して、大法弟子はどうしたらよいか分かりませんでした。しかし、大勢の大法弟子が大法を守り、大法を実証するため、さまざまな妨害を突破し、北京に大法の真相を伝えに行きました。

 私は当時、北京にいました。北京には全国各地から来た大法弟子が多くいました。その時に私は多くの大法弟子と接することが出来ました。たくさんの大法弟子は大法を堅く信じており、その信念に私はとても敬服しました。大法弟子が経験した玄妙な出来事に励まされ、大法弟子の紆余曲折の経験に涙が溢れ、大法弟子同士でお互いに交流して、励まし合い、大法を守る自信を固めました。全国の大法弟子は絶えず、家から出て来て、天安門広場に集まって来ました。現在、その時のことを思い出すと依然として感慨深く、感動しています。

 その当時の事について、多くの大法弟子と交流した時、「当時邪悪が多く存在している圧力の中で、師父の説法がない状況の下で、家から出て大法を守ろうとしている大法弟子が体得したことは、家でいわゆる修煉を続けている人より、永遠に体験出来ないことだった」と共感しました。当時の明慧ネットは出来たばかりでした。「明慧ネットに大法弟子が書いた文章は二つに分かれた意見の文章が多く載せてあった。一つは、天を覆うような虚言、法輪功への迫害に対して大法弟子として大法を守る為に、家から出て大法の陳情をしなければならない。もう一つは、 家で修煉を続け、良い人になればよい」とそれらの文章が印象深く残っています。

  本当の事をいうと、私はその時、明慧の編集の方に北京へ来てほしかったのです。全国から北京に来て、大法を守ろうといている大法弟子の本当の姿と状況を把握してほしかったのです。なぜかというと、家で修煉を続ける文章を載せる事は、大法弟子の大法を守る行動に消極的な役目にしかないと私は感じたからです。しかし、その後、多くの大法弟子が絶えず、家から出て大法の真相を伝えて行くことにつれて、明慧ネットもそれらの文章が少なくなりました。

 師父は、明慧ネットで『心自明』の経文を発表された後、師父は明確に「重大な問題は明慧ネットの態度を見るように」と大法弟子に呼びかけてくださいました。その後、明慧ネットは、大法弟子にとってますます信頼出来るホームページになりました。大法弟子が明慧ネットを見ることは修煉にとって重要なことになりました。師父が続々と発表される新しい説法は、明慧ネットに載り、一番早いスピードで大法弟子に伝えられました。多くの迫害情報も、明慧ネットを通じて、大法弟子は皆が分かるようになり、邪悪を暴露することができました。多くの真相資料は明慧ネットからダウンロードができ、全国各地に伝えられ、衆生を救い済度出来るようになりました。

  しかし、邪悪自身が暴露されることを恐れ、この数年「資料点」は、邪悪な迫害の重点になりました。私は、その迫害を受けたため、3年間明慧ネットが見られなくなりました。

 大法弟子により開発されたソフトウェアでウェブを見られるようになり、現在、明慧ネットに簡単にアクセス出来るようになりました。普及したアップロード技術を通して、「資料点」が花のように各地に咲きました。とても交通不便な田舎でさえ明慧にアクセス出来ました。中国大陸の情勢の下で、明慧ネットを見る大法弟子と見ない大法弟子や修煉環境が悪い大法弟子の修煉状態に大きな差が現れ、後者は明らかに大法を実証する行程に追いついていないと感じているようです。ですから、私は、同修に明慧ネットにアクセスが出来る技術を教え、いっそう多くの大法弟子が明慧ネットを見られるように努めたいと思います。

 現在、我々大法弟子はすでに成熟し、多くの大法弟子が大法を師とし、大法を実証する道を歩いています。師父に聞かなければならない質問はほぼ無くなりましたが、私たち大法弟子は、とても偉大な師父を思い、何時か師父とお会い出来ることを期待しています。慈悲なる師父が常に私を加護してくださった事を思うと、涙が溢れてきます。今現在、この文章を書く時も涙がこぼれています。

 ここで師父にご挨拶を申し上げたいのです。この思いを必ず師父に伝えてほしいのです。本当に師父とお会いしたいのです。合掌

  2009年7月4日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/6/25/203102.html