朱紅兵さんは大慶衛星刑務所の迫害により死亡
(明慧日本)大慶石油管理局の第7採油場に勤めていた法輪功修煉者・朱紅兵さんは、刑務所で7年間迫害を受けた末、生命の危機に陥り、2008年12月29日に4人に運ばれて刑務所から出ることが出来たが、2009年6月18日に迫害の停止を見届けることなく無念のまま生涯を終えた。
朱さんは2001年の年末に邪悪な610弁公室及び大慶大同区警察分署の役人らの手によって7年の服役刑を科され、大慶衛星刑務所に収容されていた。朱さんはいわゆる「 転向」に応じず、囚人服の着用を拒んでいたため、非人道的な迫害を受けた。2002年になってから間もなく警官に殴打されていた朱さんは、身体のダメージが酷く入院させられた。半年後体内に溜まっていた水などを排出するため管を挿入され、入院していた期間中24日間昏睡状態が続いたこともあった。
2005年5月12日、朱さんともう1人の法輪功修煉者・程●(人偏+風)明さんは強制的に着ていた服を脱がされ囚人服を着せられ、1日中縛り付けられた。
2007年3月、第5監視隊の悪辣な警官・楊友龍は服役囚の高原、謄毅民らに指示し朱さんに暴行させ、朱さんの身体中に痣が出来た。朱さんは残酷な迫害によって病気に罹った。ある日、朱さんは服役囚から携帯電話を借り家族と連絡したことを楊に知られ、楊は800元を強要した。
2008年2月29日の午後、朱さんは部屋で正念を発していたとき楊に見られ、楊は服役囚の高原、鄭洪宇、謄毅民らに指示し朱さんを殴打し、朱さんは地面に殴り倒され、鼻から血が噴出し,胸部に激痛がはしり、痰に血が混じり、歩行が困難になった。
2008年12月に刑期が満了したにも関わらず、刑務所は朱さんを出所させなかったため、朱さんはハンストをもって抗議し、生命の危機に陥ったと見た刑務所側は仕方なく朱さんを出所させた。朱さんは病気治療のため入院し検査した結果、両方の肺が卵ほどの大きさに萎縮していたことが分かった。それでも朱さんは頑張り続け6カ月生き続けたが、2009年6月18日に死亡した。
2009年4月、もう1人の法輪功修煉者・李敏さんは歩行できないほど大慶衛星刑務所に迫害され、家族が面会に行ったとき、李さんは服役囚に背負われて面会室に来た。家族は李さんの状態を見て、刑務所に対し李さんを釈放するよう要求した。第7監視隊長は「 何時になったら釈放するのでしようね! 家に返してもどうせ生きる望みがないよ! 長くても10日間しか生きられないでしようね!」と公然といった。李敏さんも2009年5月23日に迫害により死亡した。
(注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)
2009年7月5日
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/6/26/203444.html)
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