二言三言:口を修めること
(明慧日本)少し前に、私はある常人の友人と会ったとき、次のことを話しました。「私の住む村では昼間なのに泥棒にあった住宅が数軒あって、そのうちの一軒は法輪功修煉者です。その法輪功修煉者は私の隣人です。この法輪功修煉者は私に対して、『私の場合は現金を引き出しの中に置いています。私たちの師父が見守っているからです・・・。決して無くなったりはしません』と話しました」と、友人はこのことを話してから突然笑い出しました。ほら、煉功してこんな現実離れな話をするようになって、精神的におかしいでしょう、と付け加えました。
友人の話を聞いて、私は簡単に説明しました。思えば、同修がこのように言うのは法を広めるためかも知れず、常人に大法の素晴らしさを知ってもらいたいがゆえこのように言ったのかもしれません。しかし、このように言うと常人は理解できないし、さらに大法を否定するような良くないことを話すように促してしまいました。
師父は、理智をもって法を実証する、というような話をされたことがあります。常人の受け入れ能力に応じて話すべきです。話す前に、私たちの話したことを常人が受け入れることができるかどうかを考えるべきです。注意して言うべきです。
以上は個人の悟りに過ぎず、間違いがあればご指摘お願いいたします。
2009年7月6日
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/6/11/202549.html)
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