湖北省咸寧市の女性医師が迫害により死亡
(明慧日本)
陶維香さんは警官に数回にわたり迫害され死亡
法輪功修煉者の陶維香さん(60歳女性)は湖北省咸寧市咸安区人民医院の医師である。かつて数回にわたって、地元公安の警官に連行され不法に監禁され迫害されて、精神的にも、肉体的にも大きなダメージを受けた。絶えず迫害されたことよって彼女の体は悪化し、脳出血の症状が現れた。治療を受けたが、残念ながら2009年4月6日この世を去った。
2004年〜2006年の間、咸寧市公安局、温泉公安局、咸安区公安支局国保大隊の数人の悪辣な警官らは陶維香さんの自宅に不法に侵入、騒動を起こし、そして所謂「社会治安を乱した」罪で陶維香さんを行政拘留、刑事拘留、及び労働教養を科して、長期に監禁し迫害した。心身ともに大きなダメージを受けた陶維香さんは、法輪功を修煉したことで治った病気が再び現れた。
2005年9月5日、陶維香さんは咸寧市公安局、温泉公安局、及び国保大隊の数人の悪辣な警官らに連行された。その時のリーダーは宋瑞生で、数人の警官を率いて、不法に陶維香さん宅の家宅捜査を強行し、個人財産のPCなどを没収し、持ち去った。同時に陶維香さんを湖北省洗脳班に護送し迫害した。迫害によって、陶維香さんはひどい高血圧症状が現れ、病院に搬送され救急措置を受けても、悪辣な警官は陶維香さんを釈放しなかった。家族が強く要求したので危篤状態に陥った陶維香さんはやっと釈放された。
2006年1月17日、咸安区公安支局国保大隊大隊長の曽国華、教導員の黄順安らの数人の警官は、家族が強く反対したにもかかわらず、陶維香さんを再び連行し咸安区第一留置場に監禁した。2006年2月になって、陶維香さんの血圧は急上昇し、昏睡状態に陥った。家族は慌てて病院に駆けつけ、陶維香さんを病院から自宅に連れ帰った。命を奪う寸前まで迫害した警官は迫害理由について何のコメントもしなかった。
陶維香さんはこうして数回にわたって迫害され、2006年の11月から脳出血の症状が出て、言葉もはっきり言えなくなり、右半身が麻痺状態に陥り、自力で生活が出来なくなった。治療の甲斐もなく、2009年4月6日にこの世を去った。
河北省遷安市の鄭愛華さんが生前受けた数々の迫害
鄭愛華さん(60歳女性)は、河北省遷安市遷安鎮の某村在住。1999年7.20以後、上京し政府機関に陳情に行って連行され、遷安鎮城関公安出張所に40数日監禁され迫害された。悪辣な警官の彭明輝、哈福龍らが鄭愛華さんの拷問と脅迫に関わった。
2000年7月、警官の彭明輝、王士武(王はその後「悪には悪の報いがある」という天意どおり死亡)は鄭愛華さんの自宅に侵入し不法に家宅捜査を強行して大法の書籍等と個人財産を奪い、鄭愛華さんを遷安鎮城関公安出張所に護送し、手錠をかけたまま2日間にわたり拷問した。その後、遷安鎮劉季庄村にある洗脳班に護送し更に迫害した。当時の610弁公室のボスは楊玉林で、ナンバー2が趙老二である。
鄭愛華さんはこうして3カ月半(105日間)監禁され迫害された。洗脳班では楊玉林は鄭愛華さんの家族を唆して脅迫し、鄭愛華さんに暴力を振るわせた。その後、警官の彭明輝、哈福龍らは鄭愛華さんを公安局まで強制連行し、大法の書籍をどこに保管しているのかを聞きだすため拷問し、恐怖の脅迫を繰り返した。鄭愛華さんは何もしゃべらなかったので、またも洗脳班に入れられた。家族が1600元を強請り盗られてから鄭愛華さんはやっと釈放された。
2001年5月、公安支局の警察、張雨、及び郷に派遣された警官らと共に鄭愛華さんの自宅に不法侵入し、修煉を指導する本『転法輪』を没収して、鄭愛華さんを遷安市留置場に15日間監禁した。留置場では所長の恵志江は彼女の顔を強く殴り、更に拳で頭を強く打ち、家族から320元を没収し釈放した。
鄭愛華さんは絶えず連行、監禁、家宅捜査を繰り返され、心身ともに大きなダメージを受け、家族と社会からのプレッシャーの下で突然病状が現れ2006年頃に亡くなった。
2009年7月8日
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/7/5/203809.html)
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