二〇〇九年大ニューヨーク国際法会での説法
 

 (李洪志、二〇〇九年六月七日)

 

 皆さん、こんにちは!(弟子たち:師父、こんにちは!)

 皆さん、ご苦労様です!(弟子たち:師父、お疲れ様です!)

 皆さんに会うことができとても嬉しく思います。一年あまり会いませんでした。(熱烈な拍手) 私は意図的に多く話さないようにしており、なぜなら、私がはっきり説法すればするほど、皆さんの修煉はより難しくなり、旧勢力の要素がますますかく乱すると私は非常にはっきり分かっているからです。法はすでに伝えだされており、師父は皆さんに教えますが、この法に従ってしっかり修煉すれば、何でも得ることができます。これは間違いありません。したがって、皆さんがしっかり学んでさえいれば、私が説法するのと同じです。そこで、いろいろ考えて、やはりあまり話さないほうがいいと思いました。このようにすれば皆さんに自分で向上し、悟る機会、自分の道を歩む機会をより多く与えることができます。しかし、あまり説法していないと、あることを心配してしまいます。つまり、修煉の中で、皆さんは苦を嘗めることがとても難しいと感じていますが、実はこれは最も難しいことではありません。苦しいことは、いくら苦しくても、乗り越えると分かるようになります。しかし、望みのない寂しさの中で黙々と修煉し、希望が見えず、これは最も難しいことです。いかなる修煉もこのような試練があり、このような道を歩むのです。ですから、終始一貫して、絶えず精進することこそ本当の精進なのです。このように話していますが、行なうことは本当に難しいのです。ですから、初心を忘れずに修煉していけば、必ず正果を得ることができると言われています。

 とりわけ現在のこの社会に、皆さんも目にしましたが、良くないものがあまりに多くあり、人の執着を抓み、人の心を引っ張って、世の人々を絶えず下へと引きずっていくのです。これは非常に恐ろしいことです。大法弟子は修煉している人間であり、修煉している神ではなく、修煉中の人なので、多かれ少なかれ妨害されるのです。自分を制御できなければ、常人と同じようになり、妨害されるときの現れは常人と何の違いもありません。何かの魔難に遭っていませんが、だんだん精進しなくなった一部の学習者は、実は常人社会の各種の誘惑に対して執着が生じ、社会の誘惑によって引き下ろされたのです。もちろん、異なる人は修煉に対して異なる考え方があり、根基が違えば、修煉に対する態度も当然違うのです。最も貴いのは、この厳しい環境下と圧力の下で、希望も見えない情況の中で、絶えず精進できれば、これこそ最も貴重なことで、最も素晴らしいことです。

 多くの学習者は私が見えないこの間、比較的緩めてしまい、自分にそれほど厳しく要求していないことに私は気づいたのです。修煉は本当に非常に厳粛なことです。創世以来、すでに二つの地球を経てきました。この億万年の歴史の中に今日という最後の一刻を待っています。この一刻は実は一瞬のことであり、神からみれば手を振る間のことですが、人類という空間では一つの時間の過程が必要なのです。人間のこの空間での時間がいくら長くても、神から見れば一瞬のことですが、人間のところでは長い年月を要します。時間が長くなると、一部の学習者は精進しなくなり、自分を緩めてしまいがちです。この点において、はっきりと認識すべきです。今後注意すればそれでよいと思います。角度を変えて話しましょう。皆さんが歩んだ道、直面しているこのすべて、経験したこのすべて、大法の広まり、修煉者の現れ、これは偶然なことではありません。皆さんが経験したすべては普通の常人が出くわすことのできるようなことではありません。人類社会で決して偶然にこれほど大きな出来事が起きることはありえません。実は考えてみれば、本当に簡単なことではありません。長い歳月を歩んできたのに、なぜ最後の道のりをしっかり歩むことができないのでしょうか? 実は修煉は単に精進していないという簡単なことではなく、自らを緩めてしまえば、常人の心に動かされ、回り道をしてしまい、法を実証し真相を伝えるときの互いの協調も取れなくなります。

 大法弟子が真相を伝え、人を救うための各プロジェクトはいずれも、大法弟子が自ら進んで法を実証するために立ち上げたもので、実際皆さんも自らの成果を目にしました。大法弟子が作ったマスコミ、ウェブサイト、皆さんが行ったこのすべてを邪悪の要素は非常に恐れています。中共邪党は全国のすべての機関をフル回転させ、宣伝機関だけではなく、国外のすべての外交活動も停滞状態に陥り、法輪功を迫害するための存在となりました。大法弟子は真相をはっきりと伝える中で、一人は百人、千人に匹敵し、邪悪が大法弟子にもたらした今回の魔難を力強く暴露しました。中共邪党は数十年来、世界に邪党政権の合法性を認めさせようと、ずっと表面を飾り立て、太平を装ってきました。現在の状況から見れば、他の空間の邪悪は大量に解体され、人間を制御する能力が弱まり、全体の形勢は大法弟子にとってますます緩和されました。しかし、緩和されればされるほど、圧力は軽減しますが、それによって安逸心が生じやすくなり、少し心地よくなりたいとか、少しのんびりしたいとか、ゆっくりしたいとかなどの具合です。実は大法弟子の生活はすでに修煉と一環一環、緊密につながって溶け合っているため、自分を緩めてしまったことは、すなわち修煉を緩めたことになります。

 一部の大法弟子は人を救うプロジェクトで忙しくしており、とても忙しくて大変です。私はすべてを知っており、一部の弟子は休む時間が非常に少なく、たくさんのことを担当しなければなりません。しかし、どんなことがあっても、私たちが待っているのは今日ではないでしょうか? 歴史上、皆さんが願を立てたにせよ、このことのためにやってきたにせよ、今日のこの一刻のことは大法弟子がやるべきことであり、大法弟子はこの一刻を待っていたのです。人を救っていますが、皆さん自身も修煉しており、見た目では人類のこの環境の中では完全に神と同じようになるはずはありません。もし世の人々が、皆さんが神と同じように行動しているのを目にして、皆さんの行為の超常的な様子を目にしたなら、常人のこの環境の謎を破ったことになり、そうなれば大法弟子の修煉は存在しなくなり、人を救うこともなければ、苦しいこともなく、皆さんの修煉もそれほど神聖ではなくなります。ですから、皆さんに現れた状態はすべて、常人の状況と同じなのです。しかし、これだけではなく、先ほど言いましたが、先の見えないこの修煉環境、長期の寂しさの中では最も忍び難く、人が最も緩みやすくなります。これは修煉の中の最大の試練です。

 もちろん、中国大陸のこの環境で邪悪の要素は一部の地区でまだかなりはびこっています。多くの良くない要素が取り除かれましたが、一部の地区と環境で邪悪の要素はまだ悪人を制御することができ、現れはまだ非常に邪悪なのです。そのため、一部の学習者は本当に何かを行おうとするとき、圧力が非常に大きいと感じます。海外においても同じです。本当に第一線で大法の仕事をする学習者もこの圧力を感じています。いずれにせよ、いかなる環境下においても、大法弟子はしっかり行なわなければなりません。

 昨日、新唐人テレビの大法弟子に現在の幾らかの状況についてお話しました。今存在しているもう一つの問題ですが、ご存知のように、一部の精進していない学習者は長い間表に出ておらず、意気地がないのですが、環境が変わるにつれ、また相次いで出てきました。中国大陸の大法弟子の中で、迫害がひどく圧力が強い地区に、長い間表に出てこれなかった一部の学習者も出てきました。また、一部の人は中国大陸から海外に出てきて、海外の大法弟子との協調において幾らかのトラブルが現れました。それによって、現在の国際環境の中で大法弟子は環境が少し複雑になったと感じていますが、主な原因は修煉の状態だけによるものではありません。

 中国大陸の人の観念は中共邪党の文化に染められた状態の下で形成されたのです。考え方、観念、生活様式、生活行為、いずれもあの状態下で形成されたのです。西洋社会または非共産邪党社会にいる人は人間の自然な状態を持っており、お互いの文化が違うだけです。このような自然社会では、人々は穏やかで、善を行い、心は開いており、相手をあまり警戒しないという共通の正常な生存状態を持っています。これは正常な状態で、邪党が現れる前の中国人も以前、同じでした。しかし、現在の中国社会では、中共邪党は人が生まれてからの成長過程において、ずっと虚言と恨み、闘争をもって人々を教育しており、嘘偽りの道理で人々を教育し、邪党の需要に応じて人々を教育し、人々の生活行為が低俗であればあるほど、邪党は満足するのです。一部の中国大陸の人はまだ古い伝統を重んじ、少数の人はまだ伝統的観念を持っています。そのために「文化大革命」を起こし、あれこれの政治運動を相次いで起こし、絶えず中国人のこの伝統を攻撃し破壊しているのです。特に、現在の若者は完全に党文化と虚言の中で育ったので、虚言の中で形成された観念、行動、物事の対処方法において現在の国際社会の人と大きな差異があります。国際社会では、二人が会えば、心の中を何でも打ち明けて話すことができ、知らない人にも心を開いて話すことができますが、中国大陸の人にとっては絶対あり得ないことです。ですから、大陸から出てきた学習者は物事のやり方と人との付き合い方において海外の学習者とは異なっています。海外の学習者は中国大陸から出てきた学習者を理解することができず、「なぜこのように事を行なうのか、この人はなぜ変わっているのか」と彼らの話と行動を理解することができません。実は各種の政治運動の中で、邪党は人々に互いに闘い合い、告発し合うようにさせてきたので、こういう迫害を経験した中国人は心を閉ざしてしまいがちで、特に大法弟子が迫害される中でより目立っています。大法弟子は互いに理解し合うべきです。実は、中国大陸で形成されたこの観念では国際社会の人を理解することができず、外国人が皆とても愚かに見えるのです。長く海外で生活している華人を見ても理解することができず、なぜこのように行動するのかと思ってしまいます。そうですね、人間にとって正常な状態で生活すべきです。この点において互いに理解し合い、協調し合うべきです。

 観念が違うため、互いに協調が取れず、物事の考え方にも問題があり、いつもこじれてしまい、その上、大陸の学習者が心を閉ざしているので、一部の海外の大法弟子は中国大陸から出てきた学習者がスパイではないかと思ってしまいます。このことによって各地区に不調和をもたらしています。私が思うに、ご存知のように、以前私はスパイをも済度すると話したことがあります。今生はスパイですが、以前の数世はかつて非常に素晴らしく、しかもこの法のために来たのです。なぜ私たちは彼の今生しか見ないのでしょうか? もう彼を済度しないのでしょうか? このような人は職業が違うだけなのです。もちろん、彼の職業は本当に良くない作用を働き、大法に罪を犯すのです。しかし、私が思うには、法が大きいので、宇宙大法だから、すべてを解決することができ、心を開き、寛容でさえあれば、何でも変えることができると思います。当時、中国大陸で法を伝えたとき、たくさんの邪党の党員、紅軍の古参幹部、党委員会の書記、国家安全部や公安、軍隊に勤める学習者がいました。さらに総参三部、二部などのスパイ機関に勤務する学習者もいました。彼らは迫害の中で本当に反対の立場を取ったのではなく、恐れる心があるため、圧力の前で愚かになったのです。何といっても人間なので、圧力の前でこのようにあのようになるかもしれませんが、一旦目覚めれば、必ず戻ってきますが、ただ時間の問題です。

 人を済度することは即ちすべての人を済度することであり、人を選ぶことは慈悲ではありません。特に人類社会はここまで至り、すべてだめになったので、ただ人間自身が何を選ぶかを見ています。昨日もこのことについて話しましたが、歴史上のいかなる時期でも人間はここまで悪くなったことがないと言いました。今日のようになったことはなく、特に、中国大陸の人の道徳が全面的に空前の腐敗堕落に達し、街を歩いて人々の頭を見てみれば、良いことを考えている人は非常に少ないのです。多くの人は時々刻々、良くないことを考え、行なっていることの多くは悪いことです。全社会がこれらのことを助長しており、邪党は人を下へと引っ張っています。ですから、今回の迫害は大法弟子にとって、何があっても、どんな肉体上の痛み、または精神的な苦痛を受けても、迫害がどんなにひどくても、いずれも業を滅することができ、圓満成就に向かうことができます。大法弟子を待っているのはいずれも最も素晴らしいもので、これは皆さんの修煉の目的ではありませんか? しかし、旧勢力は邪悪な按排の中で、いわゆる大法弟子を圓満成就させることを理由に、旧勢力が造ったこの邪党が世の人々、特に中国人に対して最も厳しい迫害を加えました。つまり、人々を腐敗堕落させ、大法に罪を犯すように仕向けたのです。これは中国人を壊滅させているのではありませんか? 旧勢力はこの邪悪な迫害を按排しましたが、なんと言っても中国人は大法弟子のために、これらの屈辱を受け、これほど多くの苦難を受けたのです。この点から言えば、皆さんは彼らを救い済度すべきではありませんか? 大法弟子は心を広くすべきではありませんか? 邪悪の首魁を除けば、実は迫害の参与者自身も迫害の対象になっているのではありませんか?

 ですから、特に現在において、各プロジェクトは人手が足りませんが、大陸から出てきた一部の大法弟子も使うことができません。実は、その人が「転向」されたことがあるかどうかを気にすべきではありません。彼はあの邪悪な環境を出れば、目覚めるようになり、後悔するのです。それは恥辱ですが、彼らに戻ってくる機会を与えなければなりません。修煉している人なので、人心があるから修煉できるのです。このような人は古傷に触れられたくないため、時に弁解しますが、それは見下されることを恐れているからです。ですから、いずれにせよ、出てきたら、彼はまた大法弟子のこの環境に戻るので、皆さんは彼らを押し出してはならず、彼らと親しく接し、ある程度の暖かさを与えるべきです。彼らがどのように考えても、行動や観念に皆さんとどのような違いがあっても、徐々に理解できるようになり、徐々に国際社会の人の生活状態が分かるようになります。心を広くし、彼らは皆さんの同修であり、皆師父の大法弟子なので、彼らに対して寛容であるべきです。もしどうしても安心してプロジェクトに参加させたり、仕事を任せたりすることができなければ、その人の状況を中国大陸の現地の大法弟子に問い合わせればいいのです。その人が当初大法弟子であれば、問題ないと思います。大法は金剛を熔錬することができるのに、私たちはなぜ一人の人間を熔錬することができないのでしょうか? 大法弟子の環境はどの環境よりも優れています。皆さんの正念が強く、大法弟子の間の協調もよく、トラブルが少なければ、人を救う力はさらに強くなります。

 現在皆さんは行なっている一部のプロジェクトのためにとても苦労しています。一部のマスコミのプロジェクトにおいては特にそうです。マスコミは人手を多く要します。マスコミが本当に衆生を救い済度する作用を働き、本当にマスコミの強みを発揮させるために、常人社会に立脚点を置かなければなりません。これは口先で言うだけでなく、本当に着実にこのようにしなければなりません。常人社会に立脚しようとすれば、うまく経営しなければなりません。常人社会のいかなる会社もその最終目的と出発点は経営のため、営利のためです。皆さんの出発点は人を救うためですが、常人社会に立脚しなければならず、良性循環を遂げ、最大限に社会の経営方式に符合すべきです。人類社会において間違ったものであれば、人類社会に広く採用されるはずはありません。経営のために人々が皆、このような方式を採用していれば、人々の需要に合っているということになり、神もこの社会方式を許可していることを物語っています。特にこの一、二百年来、この会社方式は運営の中で実用できることが証明され、これも常人の経験であり、ならば私たちはなぜそのように行なうことができないのでしょうか?

 大法弟子は皆ある考えを持っています。つまり、とにかく第一線に突き進んで、いくら苦しくても、疲れても、夜更かししても、寝なくても、何でもやるし、何でもできます。しかし、経営の話になると、気が進まなくなります。皆さんは何でもできるのではありませんか?(笑) 皆さんはすべてのことにおいて最初できなかった状態からできるようになったのではありませんか? なぜこのことを良く行なうことができないのでしょうか? マスコミの運営が良くなれば、マスコミはさらに効果的になり、さらに力を発揮することができます。現在、運営が続けられるようにたくさんの時間が浪費され、あちこちからお金を探してきてそれを維持していますが、相当難しいのではありませんか? もし、皆さんはこの面で努力し、力を入れれば、運営状況は必ずよくなると思います。スポンサー探しにしても、広告の営業にしても、マスコミの運営資金のために行なったすべては第一線で行なったことと同じであり、威徳は同じなのです。決して記事を作成する人だからとか、編集者、翻訳者、マスコミによく出ている人だから、または仕事が特殊だから、威徳が大きいというわけではありません。このマスコミに参与しているすべての大法弟子は何を行なっても、同じなのです。

 長い間皆さんを悩ますこの問題において、皆さんは難しいと知りながら、さらに進んで行なうのではなく、難しいから退いてしまい、やる気を失ったのです。ここで皆さんに教えますが、師父として、マスコミの経営が順調に行なわれるようにしてほしいのです。この面に関して、私は幾つかのマスコミの責任者に対して、力を入れるべきだと話しました。しかし、多くの人はそれをあまり分からず、一時的な仕事だと思い、法を正すことに必要だから行なっており、やり終えたら必要がないと思っています。そうではありません。大法弟子が何を行なっても単なる一つのことのためだけではありません。皆さんは何を行なっても、現在のことを考えるだけでなく、将来のことも考えなければなりません。そのこと自体を考えるだけでなく、付随の要素も考えなければなりません。今はマスコミを利用して人を救い、法を実証していますが、この文化形式も未来に残る可能性があるのではありませんか? 未来の人間の参照になるのではありませんか?

 また、皆さんが運営するマスコミで、管理上、もう一つの問題があります。皆さんはやりたいからやっていますが、誰かに管理されたら承知できないと考えています。そのようにしていいのですか? あなたは大法弟子であり、常人の会社に勤めていれば、社長の管理にすべて従っているのに、なぜ大法のプロジェクトのため、大法のことのため、指摘されたり、管理されたり、何かの仕事を頼まれたりすると、それに従わないのでしょうか? これは正しいのでしょうか? 常人社会に立脚してこのマスコミにさらに強い力を発揮させたいのであれば、皆さんは常人のやり方で管理しなければなりません。これは私がテレビ局、ラジオ局、大紀元新聞、その他のマスコミに対して話したことであり、私は彼らに教えたのです。皆さんがこの方式で真相を伝え、人を救うのであれば、このように行なわなければなりません。常人の会社の経営方式と同じようにすべきです。ただ、皆さんの出発点は人を救うところにあり、ここが違います。

 実践が証明したように、人間の経営方式はとても有効であり、それなら皆さんはなぜそのように行ない、この面の困難を解決しないのでしょうか? この形式は未来に残るものかもしれず、管理の上で、互いに誰も従わなければ、未来に残していいのでしょうか? それではいけません。仕事を指示されたら、それをやりたがらず、自分のやりたいことしかやらない人がおり、それぞれ自己中心的に動き、それではいけません。まさにこのこぶしを突き出すように、五本の指は固く握って初めて威力が発揮できます。(こぶしを握るしぐさをする) 各指がそれぞれ自分のやりたいことをやっていれば(五本の指を広げ、各指を示して)、力が入らず、威力が発揮できません。そうではありませんか? 皆さんは企画を立て、段取りをすべきであり、しっかり協調し、互いに良く協力しあうべきです。

 なぜあの人の言うことを聞かなければならないのか、自分の修煉が彼より良くできていると思っている人がいます。このように思ってはいけません。あなたは修煉が良くできていれば、指示に従うことができるはずですが、これではまさに修煉が良くできていないことを物語っています。私は話しましたが、皆さんが運営するマスコミは大法のものではなく、仕事の分担は修煉の次元を意味するものではありません。皆さんは大法弟子であって、関連するマスコミは衆生を救い済度し、法を実証するために自発的に立ち上げたプロジェクトであり、つまりこういう関係です。大法の一部でない以上、常人社会に立脚すべきであり、つまり常人の会社です。常人の会社であれば、なぜ常人のやり方で管理できないのでしょうか? 常人の何かの肩書きは、以前の天上での次元の高さ、修煉者の現在の境地の高さ、修煉の精進状態を意味しているわけではありません。皆さんはこの道理を分かっており、その人は自分を管理する立場にいるから、自分より次元が高いというわけではありません。ここに納得するとかしないとか、嫉妬するとかしないとかの問題があるのでしょうか? 管理されたらされたで、それは大法のためです。大法弟子は人の上にも立てるし、人の下にもいられるのではありませんか? しかも、刑務所でひどく迫害された状況下で、邪悪の徒に殴られ罵られて管理されたとき、納得しない心があるのでしょうか? しかし、こういう状況下で、これほど神聖なことを行なうとき、なぜそれをやり遂げることができず、それができないのでしょうか?

 今日、これほど多くの大法弟子を前に、このことをはっきりと説明します。皆さんが運営するマスコミは非常に素晴らしく、衆生を救い済度する中で、すでに非常に大きな作用を働いており、しっかり運営すべきです。これは師父の願いであり、皆さんはマスコミを常人社会に立脚させ、良性循環を遂げ、もっと大きな作用を発揮させ、衆生を救い済度する中でさらに大きな作用を働く会社に育て上げるべきです。これこそ私が強調したいことです。管理において、部署や管理職があって、具体的に実行する人もいます。分担は違いますが、目標は皆同じであり、いずれも法を実証するためです。管理職と実際に実行する人は威徳が同じで、皆さんが支えているのは、このマスコミの形式であり、これを利用して衆生を救い済度しているのであって、同じ作用を果たしています。

 話したいことはたくさんあるので、何を話してもそれを強調することになります。もう多くは話しません。私は大まかに現在の状況について話しているだけです。後で皆さんは特別に聞きたいことや差し迫って解決したい問題があれば、メモを出してください。私は解答します。(拍手)

 実は、現在の形勢から見ると、皆さんも目にしましたが、邪悪の要素は終わりになり、中共邪党の邪霊はすでに消滅されました。ただ幾らかの信息がまだ存在しており、たとえば以前の邪党の本やそれらの絵画、及び他の邪悪の要素、これらの邪悪の要素の多くはそれ自身も消滅されました。法を正す中で触れた低次元の環境にあるそれらの最も次元の低いでたらめな霊、卑しい鬼はまだ大法弟子が行なっていることを妨害し破壊しており、しかも邪悪の要素によって直接、制御されており、さらに次元の高いところにある旧くて良くない要素が各次元で作用をしています。中国において、あの中共邪霊は随分前にすでに終わりになりました。ご存知のように、邪党の背後にその邪霊の要素があり、今まで邪党が良くないと言う勇気を持つ人がいたのでしょうか? 自分の家でドアを閉めても言う勇気がなく、ひいてはそれを考えるだけで恐怖を覚えてしまい、何かに監視されている感じがしました。今は誰もが公の場で邪党の悪口を言えるようになり、邪党の中央から普通の市民まで、集まると中共邪党の悪口を言っており、つまり人を制御する邪悪の要素はすでになくなり、終わりになったということです。それなら、邪党の政権はなぜまだ続いているのでしょうか? つまりならず者の一味は、国民を抑圧して、手中の権力を守りたいので、これらの道徳が極めて低下したものが、その権力を維持しています。ちょうどこの旧宇宙の邪悪要素はこれらの悪い心を利用し、大法弟子やまだ表に出てきていない大法弟子、修煉がまだできていない大法弟子に圧力を与え続けており、邪悪な環境を維持しています。現在、あの社会はすでに芯まで腐っています。

 私が今現在このことを終わらせてしまえば、消滅される未来の生命はあまりにも多くなります。法を得るために下りてきた人、法を得るためにやってきた人は無駄になってしまいます。当初、これらの生命は現在どういう身分にせよ、いずれも神であり、この世の中がこれほど恐ろしいと分かっていても、それを顧みず下りてきて、非常に勇気がありました。なぜでしょうか? 彼らは法を正すこと、大法に対して希望と非常に堅い信念をもっているので、やってきたのです。その人の現在の現れがどうなっていても、当初を見なければならず、歴史を見なければならず、この生命の過去がどうだったのかを見なければならないので、できるだけ彼らを救い済度すべきです。なんといっても宇宙大法であり、無量の衆生にとって得がたい機会であり、今回だけであるので、残れるなら残りますが、残ることができなければ永遠に消えてしまいます。ですから、私たちはやはり行なわなければならず、彼らを救うべきです。もし今日法を得たのがあなたたちではなく、ほかの人であれば、皆さんはあの環境に身を置き、常人の中にいて、考えてみてください、気の毒ではありませんか? しかも最もひどく迫害されているそれらの中国人は、それは旧勢力が皆さんを妨害するために、彼らはここまで迫害されたのです。そうであれば、なおさら彼らを救い済度すべきです。現在、皆さんが三つのことをしっかり行ない、自らをしっかり修めることは当然のことです。正念を強く持ち、自らをしっかり修めていれば当然正念が強くなります。ですから、衆生を救い済度することは皆さんの責任であり、歴史的使命でもあり、非常に重大なことであると同時に、非常に難しいことでもあります。

 ご存知のように、私たちが一人の人間を救うのは難しくないのですが、邪悪の妨害と圧力があるから難しいのです。その人が真相を分かるようになれば救われますが、実はこの人がいったん救われたら、彼が代表している彼の背後にある宇宙体系の生命が全部救われることになります。無量の衆生、厖大な体系ですが、これほど多くの生命が救われたのです。この人にとって、真相を聞くことができ、真相の前で分かるようになり、その難しさはそれほど大きな要素によりもたらされたのです。真相を伝える中で見られる各種の邪悪な要素の妨害は、実はその背後にこれほど大きな要素があるのです。先ほど大法弟子が重大な責任を背負っていると話しましたが、この歴史的使命は誰でも簡単に背負うことのできるものではなく、大法弟子しかこれを行なう資格はありません。素晴らしいのです。本当に素晴らしいのです。

 ついでにお話したいのですが、以前皆さんに話したことがなく、昨日の会議で次のことを話したので、今日はそれをもう一度言わなければなりません。でなければ、間違って伝わるかもしれません。今まで歴史上、法を正す中で、各次元の神はいずれも法を正した後の人類に対する扱い方を按排しました。ある次元の神は最後のとき大審判を行なうことを按排しました。これは西洋の伝説の中にもありますが、人類は大審判に臨むということです。人類だけではなく、三界内のすべての衆生も全部この問題に直面します。亡くなった人も復活し、審判に臨むのです。審判は創世から最後の終わりまで、大法が伝えだされ、衆生を救い済度することの終わりも含まれており、特に最後の法を正す期間中の生命の現れはすべてが曝け出されることになります。今まで私が話した衆生は広義的なもので、すべてが含まれており、宇宙のすべてが含まれており、人間の科学が言っている有機物質か、無機物質かにかかわらず、実はすべてに生命があるのです。各空間の生命、すべての衆生はいずれもこの大法のためにやってきたのであって、すべての衆生が存在する環境はいずれもこの大法のために切り開かれたので、最後になって皆この審判に臨まなければならないと私は言ったのです。今までの説法の中でこのことに触れなかったのは、あの次元の按排がみな作用しなくなり、最後には私がどうすべきかを決めるからです。しかし、彼らが按排した最後の審判はそれらの悪い作用、負の作用と悪事を働いた人を審判するだけでなく、正しい作用を働いた人も審判を受けるのです。どのように受けるのでしょうか? たとえば、法を正す中で正しい作用を果たすときに職責を全うしたのでしょうか? また大法弟子になった人はどういう願をかけたのでしょうか? 自分の願を実現させたのでしょうか? 創世主の要求はどういうものでしょうか? あなたはその要求どおりに行ったのでしょうか? あなたは当初掛けた願を実現させず、創世主の要求どおりに行なっていなければ、行なうべき事を全うしなかったことになり、あなたは主を騙し、当時の局部の環境、法を正す進展と救われなかった衆生に損失をもたらし、宇宙の異なる次元に損害をもたらしたことに責任を取らなければなりません。昨日このことを話しましたが、今日それを繰り返さなければならず、でなければ間違って伝わるかもしれません。今までこのように話したことがなく、それを明らかにしたくなかったのです。なぜなら、皆さんが大変苦労して行なっているからです。最後にどのように法を正すことと自分自身と向き合うかにかかわらず、しっかり行なわなければ、間違いなく責任があるのです。

 それでは、メモを提出してください。私は解答します。(拍手)

 弟子:神韻公演がこの歴史時期において法を正す中でどのような作用と意義を持っているのかについて師父にお伺いしたいと思います。

 師:皆さんは目にしましたが、神韻芸術団の公演において観客数は毎回、少なくとも数百人、一般的には千人以上、場合によっては二千人、三千人以上、多いときは五千人以上に達するときもあり、劇場の大きさによって異なります。しかも、神韻を見た人の九十パーセント以上は大法に対する態度が変わり、邪悪に対してはっきりとした認識を持つようになり、人はすでに完全に正しい考え方を持つようになりました。皆さんが真相を伝えるとき、一度でこれほど多くの人を変化させるのは本当にやり遂げがたいことで、どのくらいの大法弟子が同時に真相を伝えればできることなのでしょうか? もちろん、ほかのマスコミも大きな作用を働いていますが、すぐさまこれほど大きな効果を見られるのは現在、神韻の公演しかないのです。

 神韻の公演に対して、人によって感じることも違います。中国人は理性から認識しています。善美を尽くした舞台効果は視覚的、感受的に人々を震撼させ、特に伝統の神伝文化の基礎の上に立脚し、少しの党文化もなく、正真正銘の人間のもの、人間の歴史であり、公演の中で大法弟子の大いなる善と忍の胸襟を表現し、特に中共邪党の虚言が暴かれた後、確かに中国人を震撼させました。西洋人とほかの民族にとって、彼らは深い感銘を受け、人によっては恍惚の中で、本当に神が舞台にいるのを見たのです。俳優たちのレベルの高さと舞台の良い効果は神韻以外の公演では見られないのです。多くの人は鑑賞後、これは天上からやってきたもので、神が手助けしており、これは未来の希望であり、神韻は芸術の復興を引き起こしているなどなどと言っています。このように話した人の多くは地位のある人で、軽々しくそれを口にしているのではなく、中には涙を流しながら話している人もおり、感極まっています。これは神韻の公演が本当にこの作用を果たしたことを物語っています。私たちは知っていますが、神韻公演は本当に人を救う効果を得ることができます。大法弟子にとって、神韻の一回の巡回公演は数十万人を救うことができ、これは行なう価値のあることで、なぜ喜んで行なわないのでしょうか?

 このことについてはこのくらいにしましょう。

 弟子:世界各国からニューヨーク法会に参加した大法弟子は師父にご挨拶を申し上げます!

 師:ありがとうございます!(熱烈な拍手)

 弟子:神韻公演はインドで開かれてもいいのでしょうか? インドで多くの人、特に学生は速いスピードで法を得て、煉功を始めています。しかし、大法資料が充分でないため、彼らが法を得た後、引き続き精進して煉功を続け、法を理解することを保障できません。どのようにこれらの新しい学習者を助けるのでしょうか? また、今インドで英文大紀元の発行を始めてもいいのでしょうか?

 師:神韻公演は問題ありません。英文大紀元も条件が整えば行なっても大丈夫です。このマスコミに関して制限はありません。条件が整えば、将来中国大陸でも発行されることになります。

 新しい学習者の場合、法を多く勉強しなければならず、ほかに近道はありません。大法弟子全体の修煉状況から見れば、これまでの経験からも法を多く勉強することの重要性を証明しました。人間は容器のように、法を多く入れられると、特にこれは宇宙大法なので、人は正念を持つようになり、正しい作用を働くようになり、これは間違いのないことです。ですから、方法は一つしかなく、つまり法を多く勉強することです。煉功の形式に流れてはならず、皆さんと一緒に法を多く勉強し、特にインドでは学生が比較的に多いので、学生が異なる環境で集まって法を勉強するように働きかける、これが最も良いのです。

 弟子:神韻のチケット販売のとき、もし最後の一日、二日にまだたくさんのチケットが残っていれば、往々にして学習者に二通りの意見があります。一つは値下げをし、空席がないようにすべきです。もう一つは値下げをしてはならず、神韻のブランドを守ることです。

 師:この話になりましたが、私は次のように話したいと思います。つまり、国際社会で多くの商品はブランド商品であり、ブランド商品は社会経済の衝撃を受けにくく、通常経済が悪化しても影響されないのです。なぜでしょうか? 経済が悪化すると、多くの場合、影響を受けるのは社会の下流階層であり、上流階層の人は貯蓄があるので、大きく影響されないのです。ほかの角度から言えば、人類社会では確かに、上流階層の人は福が多く、根基が高いのです。これは絶対的ではありませんが、絶対多数の場合はこのようになり、福がなければこれらのことを得られないからです。中共邪党の嘘偽りの道理が言っているようなことではありません。私たちは貧富に関係なく、すべての衆生を救っており、社会階層を見ていませんが、上流階層の人たちを放っておくわけにもいきません。

 もう一つはチケットの問題です。神韻公演の効果はすでに世界最高のショーになり、最も素晴らしいのです。(拍手) 現在に限らず、私は歴史上の様々な時期の公演の質を調べても、やはり最も素晴らしいのです。これは舞台演出の効果について言っていますが、中に芸術の形式と表現の芸術的手法も含まれています。実は常人の公演は神韻と比べ物にならず、彼らは修煉者であり、出発点は衆生を救い済度するためであり、舞台のあらゆるところで神が手伝っています。常人の公演はこのようなことができるのでしょうか? できません。

 チケットの値段に関して、ご存知のように、西洋社会では人間に社会階層があり、社会階層について人々がどんなに不満を持っていても、それは確実に存在しているものです。異なる階層の人は異なるお店、異なる消費場所を利用します。これは間違いのないことです。これは中国人が邪党の環境下でまったく知らないことです。社会の上流階層の人を下流階層のことに参加させても、絶対行かないのです。人間は面子を大事にし、顕示したい心理を持っているため、多くの人は上流階層の仲間入りをしたいと思っています。一流の劇場で公演を開催すれば、上流階層の人、下流階層の人も見にいきたいと思います。下流階層の区域で、または三流の演劇を上演する劇場で公演を開催すれば、中流、上流階層の人は絶対行かないのです。人間がどのように考えているのかにかかわらず、これは社会の現実です。私たちは人を救いたいので、人間の状況を見て救わなければならず、思い込みで行なってはいけません。

 それでは、神韻のチケット販売について私はこのように考えています。皆さんはみな、公演の直前に残ったチケットをどう扱うかについて話していますが、まず修煉者の角度から話します。実は各地のチケット販売の状況は各地の学習者の修煉状況と協調状況の真実の現れであり、具体的な現れなのです。(拍手) 師父は神韻が重要だと思っているから、このように言っているのではありません。そうではありません。本当に修煉状態の現れなのです。一部の地区において責任者は心が狭く、これらの学習者は信用しているので一緒にやりますが、気に入らない学習者は参与させず、ほかの人を排斥しています。一部の地区では人心の強い学習者がいて、協調を第一に考えておらず、互いに論争が止まず、法を実証することとチケット販売に影響してしまいました。また、それぞれ学習者を取り込み、各自で行動する地区もあり、まったく協調していません。本当に良くない目的を持っている人がかく乱している地区もあります。さらに、一部の地区では、スパイに知られるのを恐れ、ひた隠しにしたり、秘密にしたりしているため、学習者までどういうことなのかが分からず、これではどのように協調するのでしょうか?(拍手) 密かにまるで人目に触れてはいけない事をしているようですが、これはもともと正々堂々とすべきことです。私は再三お話しましたが、形式と邪悪の要素に騙されないようにすべきで、この時期の歴史は大法弟子が法を実証するために用意されたもので、道を正しく歩めば、いかなることもあなたを阻むことができず、あなたが正しく歩むことができたかどうかのみを見ています。心がそれほど狭いのであれば、どのように行なうのでしょうか? できません。もちろん、神韻の公演を開催すること自体は各地区の学習者が自ら進んで行なうことで、やりたければやってもいいのですが、やりたくなければ師父はどうしても行なうようにと言わないのです。それは大法弟子が自分の意思で法を実証したいと思って行なうことだからです。しかし、私はある実際の状況を目にしましたが、つまり神韻の公演は当地に非常に大きな変化をもたらし、多くの人が一度に大法のことを理解し、正しい考え方を持つようになったのです。これは皆さんが普段なかなかやり遂げられないことです。神韻の公演を見てから、大法に接触し始めたり、大法を修煉し始めた人もおり、これもよく見られることです。

 チケットの価値ですが、これは世界最高の舞台芸術であり、神が演じており、公演を見ているとき病気も良くなりました。経済不安を前に、ストレスがどんなに大きくても、公演を見ているときストレスはすべてなくなり、解きほぐされ、外に出ると困難が本当に変化し、前途も明るくなり(笑)、自分自身または経済状況にも変化が起きたようです。(拍手) これは公演を見ているとき、この人は正しい選択を持つようになったので、業が滅され、福に変わったからです。公演を見て病気が良くなった人もたくさんいます。皆さん考えてみてください。これはどれほどの価値があるでしょうか? 単に最も表面から公演の質を見ても、多くの観客はこの公演の一枚のチケットは五百ドルの価値があると言っています。アメリカドルです。(拍手) ヨーロッパにおいても、アメリカやほかの地区においても、多くの観客はこの公演のチケットは五百ドルの価値があると言っています。

 もちろん、チケットが完売できないことにはもう一つの問題があり、大法弟子自身の協調の問題だけではなく、多くの地区では神韻があまり知られていません。神韻がいくら良くても、全世界の七十億人を対象にしているので、数十万人が見たとしても、ただの端数に過ぎません。それに対し、西洋社会のそれらの芸術団、バレエ団は百年の歴史を有し、人々は子供の頃から親に連れられて見に行ったことがあり、年寄りになるまでずっとそれを見てきたのです。そのバレエ団のレベル、出演する俳優、俳優の状況など具体的な状況を全部知っているのです。ですから、そのバレエ団が来ると、その広告には何々バレエ団がいついつ公演すると書くだけで十分であり、とても簡単なものだけで十分効果があり、観客がやってくるのです。皆さんは、広告をいくら素晴らしく仕上げてもまだ足りないと思っており、広告で一度にこの公演を全部表現できたらとも考えています。それはありえないことです。広告がいくら良くできても、見に来ないかもしれません。一昨年、大ニューヨーク地区で千万に上る人々がほとんど五回も神韻の広告を目にしました。ここまでしましたが、それでも見に来ませんでした。なぜでしょうか? 人々は公演があることを知っていますが、公演が私の好みに合うかどうか、質がどうなのかを知らないからです。これらのことは観客に知られておらず、つまりまだそれほどの知名度がないということです。ですから、広告の問題ではなく、努力が足りないだけの問題ではなく、まだ知られていないという要素があります。

 もう一つの原因があります。中国大陸の団体がアメリカまたは世界各地で行なった公演は、何を演出したのでしょうか? 寄せ集めのものです。たとえば、ダンスにバレエの動作、中国古典舞踊の動作、いわゆる現代舞踊の動作、さらに訳の分からない規範に合っていないものも含まれます。これらのものは西洋社会で規範的なもの、分類がはっきりしているものに慣れている人々にとっては、どうして受け入れられるのでしょうか? 大陸の人はこれを分かっておらず、中共邪党の文化を注ぎ込まれた中国人はプロデューサーにしても、俳優にしても、すでにこれらのことをまったく分からなくなっており、正常な人の心理状態をも理解できないのです。邪党の邪霊には分かっており、邪霊の本来の目的は中国人を迫害し、中国文化を破壊するためであり、中国人にこのように行なうように仕向けたのです。ですから、上演したものはでたらめで、創意も低俗であるため、国際社会でそれを評価する人はおらず、これは神韻の公演にある程度の障碍をもたらしました。人々は中国の公演と聞くと、良い印象が浮かばないのです。

 しかし、私も目にしましたが、神韻公演の完璧な質は本当に人を救い済度し、人を震撼させる作用を果たすことができます。神韻公演を継続するにしたがって、影響はますます大きくなります。実は、神韻公演の社会に与えた震撼と影響はすでに、ほかのいかなる公演もやり遂げられないものとなり、相当大きいものとなりました。しかも、すべてが神韻自身の実力と公演を主催した現地の大法弟子の努力によるものです。公演を見た人は心から社会で伝えており、人から人へと伝えており、口コミで伝わっています。もうすぐ発酵効果が現れ、局面が打開されるでしょう。そのとき、皆さんも「神韻が来ました」と数文字書くだけで十分であり、多くの広告をする必要はありません。(拍手)

 それでは、現在残ったチケットはどうしますか? しっかり行なわなかったから、チケットが残ってしまいました。私は値下げをすべきではないと思います。(熱烈な拍手) 衆生を救い済度しているので、一人でも多く来たほうがいいのではないか、観客が多ければ多いほどいいのではないかと思う人がいますが、そうではなく、あなたが思っているようなことではありません。一部の中国人学習者はまだ国際社会の状況を分かっていません。本当に値下げをし、本当にこのようにしたら、後で非常に良くない効果を引き起こしてしまいます。たとえば、ある公演で、最も高いチケットを買った人は隣の人が値引きしたチケットを買ってそこに座っているのを聞いて激怒し、劇場の責任者と喧嘩をしてしまいました。また、ある公演の開演前、学習者は三階の観客を一階の空席に移動させましたが、一階の最も良い席に座っている観客は承知しなくなり、すぐに責任者にチケット代金の払い戻しを要求しました。「なぜ安いチケットを買った人をここに移動させたのか」と、とても怒っており、彼はこれが彼に対する侮辱だと思っています。人間の考えが正しいかどうかはさておいて、ここでそれについてコメントしませんが、人を救うとき、現実社会の状況に合わせて行なってはじめて、効果を得られるのです。さらに、どのブランドもデビューのとき、困難な時期を経なければならず、値段に相応する質を求められ、西洋社会ではこれは信用だと言います。今日の大陸の中国人は商売をするとき、速い回転を求め、商品が来たらすぐに売りさばこうとし、少しでも儲かればそれでよいと思い、企業イメージや信用、品質をまったく重視していません。結局、すべてがだめになってしまいました。私たちはこのように行なってはならず、質を守り、私たちのこの社会でのイメージを守らなければならず、これは今後の衆生を救い済度することに有利なのです。値下げするかどうかの問題ではなく、皆さんが協調にもっと力を入れると、多くのチケットを販売することができます。

 弟子:最近、執着心がなかなか取り除かれないことの原因は修煉の決意が足りず、意志が強くないところにあると気づきました。最後の段階まで来て、問題は目立ってきました。

 師:分かっていれば良いのです。これは向上の始まりです。自分の足りないところが分かったら、早く追いついてきてください。現在一部の人はこれが分かっておらず、自分の修煉状態を直視する勇気がなく、自分の不足を見る勇気がありませんが、それなら何を修めているのでしょうか?

 弟子:日本の一部の協調人は強引に仕事を進めており、意見を聞き入れることができないため、一部の弟子と対立してしまい、多くの弟子は意気消沈しています。弟子は学会に対して希望を失ってはならず、表面上の正しいとか間違っているとかの争いに留まるべきではなく、法理上の交流を通じて、最終的に問題は解決でき、正しい出発点から相手の不足に寛容であるべきだと思います。

 師:修煉は外に向けて修煉してはならず、自分の意見を聞いてもらえなければ消極的になるのでしょうか? 誰のために修煉しているのでしょうか? 中国大陸で邪悪の要素にそそのかされた凶悪な警官がどのように大法弟子を迫害しているのかを知っていますか? あれほどの迫害でも消極的にならず、落ち込んだりしませんが、これくらいのことで消極的になるのでしょうか?(拍手) 自ら積極的に真相を伝え、自分で自分の道を歩み、責任者ばかり見ないでください。

 確かに一部の新しい学習者は法の勉強が浅く、影響を受けています。それでは角度を変えて責任者について話したいと思います。仕事を進めるとき、師父がどのように行なっているのかを見て、見習ってください。修煉者は胸襟を広く開いてはじめて、多くの人を率いることができ、人を救うことができます。場合によって、皆さんは必ず佛学会の指揮に従って、統一して行動すべきです。また、場合によって、佛学会は管理を緩めて学習者が自分で行なうようにすべきです。しかし、意見がまとまらないとき、佛学会はこのようにすべきだと皆さんに教えるべきです。いったん決まったら、皆さんはそのように行動し、協力すべきです。(拍手) 意見が一致していないからといって、仕事に影響してはなりません。本当に互いに理解し合い、また向上することができれば、それはとても良いので、このようにすべきです。しかし、時には皆さんが落ち着くのを待ってから仕事を進めるほどの時間もない場合、必ず佛学会の統一した決定に従うべきです。分かりましたか?(熱烈な拍手)

 弟子:父は古い学習者で、しかも海外にいながら、表に出る勇気はありません。どのようにしたらいいのか分かりません。

 師:意気地がないですね。(笑) 一つは彼自身が分かるようになれば、それに越したことはありません。修煉だからです。もう一つは外的要因の作用を利用して、彼を助けてください。邪悪はある日、あなたを迫害しないから、修煉したければどうぞと言うはずはありません。実は恐れる心があるのです。「生死を放下する」と誰もが言うのですが、圧力が強くなると、負けてしまうのです。道を聞いた下士にならないでください。

 弟子:どうぞおかけください。

 師:幾つかのメモに座ってくださいと書いてありますが、私は立っていたいと思います。(皆笑って、拍手) 長い間皆さんに会わなかったので、皆さんをはっきり見たいし、皆さんも私をはっきり見たいと思っているでしょう。(熱烈な拍手)

 弟子:私の子供は去年神韻を見たとき、とても感動し、涙を流していました。今年も神韻を見て、音楽が鳴り始め、幕がまだ上がっていないときから、静かに泣いていました。また同じ光景が見え、天上ではこの光景だと言っています。この子は大法と縁があり、大法と師父をとても信じていますが、時々疑問を抱いています。これは妨害なのでしょうか?

 師:以前の説法で話したことがあり、実は法を勉強すれば分かるはずです。人間には善と悪の両方が備わっており、三界内のすべての物質と生物はみな、善と悪の二種類の要素によって同時に構成されており、いずれも作用することができます。人は善で行為を主導すれば、善になりますが、悪で主導すれば、善ではなくなります。修煉の中で善が多ければ、それに相応する状態が現れますが、善が少ないとき、愚見が現れます。つまり、どちらが主導するかにより変わります。修煉はつまり、善ではないもの、負のものを取り除き、完全に正のものになるということで、これはすなわち善果です。この子はこんなに良いのだから、神のようになるべきで、いつも正の状態が保たれるべきだと思ってはいけません。そうではありません。人間は所詮人間であり、神が見えても、やはり人間であり、ただ人間の状態が違うだけです。

 弟子:母は十年以上修煉していましたが、この前亡くなりました。修煉においても、生活においても、母は私をよく助けてくれましたが、私は彼女が生死の関に遭うとき、助けてあげられませんでした。

 師:多く考えないでください。考えすぎると、また執着になります。しっかり修煉してください。自分の修煉が良くできてから、はじめて衆生を助けることができます。実はこの世を去った大法弟子はいずれも善果を得たので、心配する必要はありません。

 弟子:なぜ大陸から明慧ネットに投稿された文章に党文化の要素があるのでしょうか?

 師:大陸からの文章の多くは党文化の話し方で書かれています。彼らはほかの書き方ができず、あの環境で学んだ文化だからです。しかし、修正した後、中に述べた事実はまだ使えるので、このことに影響されないでください。

 弟子:大陸からの学習者の思惟状態と行為をどのように理解するのでしょうか?

 師:彼らの角度から多く理解してあげてください。みな修煉者なので、根本は同じです。三つのことはみな行なっており、いずれも私の弟子であり、これで充分協調がとれるのです。徐々に彼らも気づくようになり、このことは皆さんがはっきり認識すべきであり、これが原因で互いに排斥しないでください。

 弟子:子ども弟子にダンスや新体操、音楽を学ばせるべきでしょうか?

 師:飛天学院の子どもたちはとても可愛くて、福があって、舞台での姿も素晴らしいからと思い、みな子どもを飛天学院に入れて、将来神韻の一員になると思っているのでしょうか? しかし、そんなにたくさんの子どもがみな神韻に入るはずはありません。しかも、飛天の要求はとても高く、飛天が養成した学生が神韻に入団するのです。神韻は一流であり、要求はますます高くなり、身体条件はプロの養成学校の募集条件に合わせているので、ダンス科の学生は細くて背が高く、骨格が細く、足が長く、柔軟性が良く、ばねの強い子どもでなければなりません。男の子も女の子もこのように要求しているため、太ったり、骨太だったりまたは背が高くない子だったら、参加できません。音楽専門の場合、音感とリズム感の優れた子どもでなければなりません。しかし、神韻はすでに養成済みの人を募集しています。

 大法弟子にたくさんのプロジェクトがあるので、ほかのプロジェクトに参加してもいいのです。本当に条件が整っていれば、あなたが言わなくても声をかけられるでしょう。条件に合わなければ、無理にしないでください。

 弟子:毎回の活動のとき、記事作成と美術編集を担当できる学習者が非常に少ないので、多くの場合、私一人が時間に追われて作業しており、常人の仕事と家庭などとぶつかったりして、トラブルがあります。(師:そうですね) 法を勉強し修煉する時間もありません。

 師:実は大法弟子は皆、この状況に置かれており、皆家庭を持っており、家のこともかまわなければならず、同時に修煉をし、法を実証しなければならず、皆同じ状況です。きちんと按排すべきです。もちろん、時には、特別な状況があり、ほかの人ができず、あなたしかできませんが、それならほかの人に教えればよいのです。

 弟子:私は自分の誓約を知りません。あれこれをすべきだと言っている学習者がいますが、私は全部行なうことができません。どのように自分の道と自分の誓約を確実に知ることができるのでしょうか?

 師:私は誰それにこれを行なうべきだとか、あれを行なうべきだとかを言ったことはありません。各方面に人手が必要です。あなたの得意分野であれば、またはやりたいことであれば着実にそれを行なってください。衆生を救い済度することができ、衆生を救い済度することに作用を果たすことのできることであれば、行なえばよいのです。それで結構です。あなたは当初、誓約の中で具体的に下りてきたら記者になるとか、俳優になるとかを書いたのではありません。(皆笑って)

 弟子:現在の法を正す環境について師父にお話をいただけないでしょうか?

 師:中国大陸の環境と国際社会の環境は異なっています。国際社会で直面している問題、置かれている環境はこういうものです。大法弟子はこの環境に合わせて修煉し、法を実証し、人を救うべきです。現在、中国大陸の一部の地区では邪悪がとてもはびこっているため、そういう環境で真相を伝えるとき、できるだけ安全に注意すべきです。真相を伝えることは個人の修煉と一体になっており、心の状態が間違って、正念が足りなければ、問題が起こります。なぜなら、自分の修煉が根本であり、低次元で直接大法弟子を迫害する卑しい鬼と邪悪は衆生が救われないように働いています。

 弟子:多くのプロジェクトは大法弟子の参与を必要としており、まだ多くの弟子は大法弟子が運営するマスコミの将来を認識していません。

 師:そうです。私は分かっています。特に英語大紀元とその他の言語の大紀元またはほかのマスコミは人手がひどく不足しており、多くの仕事は困難に遭っています。私が思うには、プロジェクトの全体の協調は本当にできたのでしょうか? まだ不足があるのではありませんか? もし本当にしっかり行なうことができ、作用も発揮していれば、環境を変えることができ、場合によってはマスコミの影響で社会のさらに多くの人がマスコミを見にきたり、真相を求めたり、大法を探しにきたりします。本当にここまでできれば、人手が足りるようになり、絶えず新しい人、能力のある人が参加するようになります。実は、その一歩を踏み出せないときは、どこかの不足によるもので、それが原因で困難に遭っているのではないかと見るべきです。本当に良く行なうことができれば、状況が変わり、改善されます。本当にこのようになります。もちろん、原因は全部ここにあるのではなく、なんといっても邪悪の要素は皆さんを邪魔しており、それらのものは皆さんが苦の中で、難の中で、厳しい環境の中で修煉してはじめて、威徳があると思っているので、妨害をしています。現在はこういう状況です。

 弟子:師父の説法と経文の中の署名、日付と括弧の中の「拍手」、「師父が笑って」などの内容は集団で法を勉強するとき、読み上げるべきでしょうか?

 師:(笑)必要はありません。署名、日付、読点、括弧は読み上げる必要がなく、(笑)(皆笑って)法を読み上げるだけであり、法の内容を読み上げればいいのです。大陸の学習者の中で、法を勉強するとき師父の名前が出てきたら、読み上げてはならず、「師父」、「師尊」に変えて読む人がいます。法を読むときはただ法を読むだけでいいので、変えてはいけません。

 弟子:韓国にいる大陸の大法弟子は師父にご挨拶を申し上げます。

 師:ありがとうございます。

 弟子:マスコミの管理者はどのようにスタッフの意見に対処すべきでしょうか? 特に自分と違う意見を持つ学習者をどのように扱うのでしょうか? シドニーの大紀元の協調者は国外から、ほかのところから新しい人を見つけてきていますが、もともと社内で長く働いている学習者を大事にしようとしません。

 師:そうですね。私たちは往々にしてこのように行なっています。お互いの協調がうまくとれなくなったら、ほかの人に仕事をお願いし、それでも協調がとれなかったら、またほかの人を探してきて、このように繰り返していますが、結局のところ、大紀元は大きな煉功場となりました。(皆笑って)

 しかし、ここまで話しましたが、一部の学習者が管理者ばかりを見ていることについて話したいと思います。あなたは勤務先で、上司ばかり見ることができるでしょうか? できますか? できません。なぜ法を実証し、自らを修めるとき、かえって目を外に向けるのでしょうか? しかも、師父は皆さんに教えたのですが、修煉は自らを修め、内に向けて修め、内に向けて探すべきです。皆これができれば、どんな問題も解決され、これは協調をとる最も良い方法で、最も有効な手段であり、なぜこのようにしないのでしょうか? 管理をする側に責任があり、協力する側にも責任があり、いずれも責任があります。皆さん考えてみてください。私たちはいつも相手が協力しないとか、管理者に問題があるとかを言っていますが、いずれも外に向けて探し、外に向けて修めており、相手の間違いを探しています。なぜ自分を探さないのでしょうか? 本当にしっかり行い、正しく行なうことができたら、相手はどのようにあなたを見るのでしょうか? 責任者は急いで仕事を進めたいと思っていますが、自分のどこがしっかり行えず、学習者がなぜ自分の話を聞いてくれないのかと考えないのでしょうか? ですから、必ず考えなければなりません。それが修煉なのです。それがすなわち、修煉なのです!

 弟子:大陸の一部の古い学習者はいわゆる「全法」と「第十講」を信じています。

 師:いずれもならず者のスパイが作ったものです。卑しい鬼の「全法」も「第十講」もありません。「脚法」などもあるでしょう?(笑)つまり邪霊がスパイの頭(あたま)を利用して作ったもので、それらが思っている精進していない人、噂話が好きな人、新奇をてらうのが好きな人、顕示欲のある人を乱すためであり、ほかでもなくこれらの人を乱そうとしているのです。着実に修煉している人は誰も影響されません。

 弟子:国内で神韻公演の録画を見ることは、海外の劇場で公演を見るのと同じで、いずれも救われるのでしょうか?

 師:邪悪をはっきりと認識し、大法が良いもので、大法弟子が良い人であると分かっていればよいのです。しかし、どんな場合でも、録画を見る場合、劇場での効果を得ることができません。広い場所で大画面のスクリーンで神韻を上映し、もっと多くの人に神韻を見てもらってもいいのかと言っている人がいますが、このようにしてはいけません。海外では絶対このようにしてはならず、人々が救われる機会を失ってしまうのです。本当に機縁があって劇場で神韻の公演を見ても、それほど震撼されなくなり、場合によって録画と同じなので来なくてもいいと思ってしまうので、皆さんはこのようにしないでください。劇場で見た場合、神は直接そこにいるのですが、録画を見るとき、それほど大きな力がなく、しかも上映の環境も人に対して妨害してしまうかもしれません。中国大陸では状況が違っており、神韻を見ることができないので、録画を見てもいいのであって、ある程度の作用を果たすことができます。海外ではこのようにしないでください。

 弟子:マスコミの主力スタッフがよく離れて、ほかのプロジェクトに参加してしまい、仕事の質を保証できなくなり、どのようにこの問題を解決するのでしょうか?

 師:確かに、順調に仕事をしているのに、急にほかのプロジェクトに行ってしまい、人手が突然足りなくなります。一部の学習者は不機嫌になると、相手のことを配慮せず、法を実証することに対する影響も考えずに、気ままに行動しています。私はこれらの学習者を目にしていますが、神も彼らを感心しないのです。しかし、ほかのプロジェクトは確かに人を必要としており、時間があれば、手伝ってください。多くの大法弟子は掛け持ちでやっていますので、これは問題ないのです。あれこれを言っていますが、いずれも協調の問題であり、修煉の問題でもあります。

 弟子:「九つのコンクール」についてお話をいただけないでしょうか?

 師:新唐人主催の「九つのコンクール」はすでに二年開催され、精彩を放っており、センセーションを巻き起こしています。実は「九つのコンクール」はいずれも伝統文化、神伝文化であり、本当の人間の文化であり、失いつつあるものです。長い目で見れば、未来の人にこれらのものを残すためですが、現在の意義に関しては、表面上新唐人テレビの名を広め、視聴者を増やすためですが、実は真相を伝え衆生を救う中でもっと大きな作用を果たすためです。「九つのコンクール」が終わると、これ以上宣伝せず、終わりにすべきです。引き続き展示会を開き、全世界で開催してしまえば、常人のものを宣伝することになり、もともとその多くは常人のものだからです。コンクールそのものはテレビ局を宣伝するためであり、番組を豊かにし、知名度を高めるためです。さらに、九つのコンクールは伝統文化のものを取り上げているので、未来の人、人間が伝統に回帰することにメリットがあるのです。

 弟子:今年の声楽コンクールにベルカント唱法しかありませんが、民族唱法はないので、民族唱法が認められておらず、または残されないのでしょうか?

 師:以前話したことがありますが、各種の唱法はこの世界でたくさんあります。各民族が異なる天体の文化と対応しているので、それらのものはその天体体系の文化の特徴かもしれません。ですから、社会で良くない作用を働くもの、良くないものでなければ、私たちはどの唱法も否定せず、それらの良くないものは私が認めないのです。しかし、選択肢があまりに多くあり、すべてのものを全部取り入れるわけにはいかないので、今は考慮して選んで使っています。未来の人類社会に何を残すかについて、それは将来の人のことであり、良いものであれば残します。今年は民族唱法がなく、ベルカント唱法しかありませんが、この唱法は各民族にとって実用性があります。

 弟子:お聞きしたいのですが、法輪大法情報センターも常人の会社のように管理すべきなのでしょうか?

 師:そこまで具体的に話すことができません。今、情報センターの管理について話したら、帰ると、情報センターはこのように管理しないといけないと師父が言ったから、師父の話に誰もが従わないといけないと皆さんは言うのです。私はこのように具体的に話してはいけません。能力があって、条件があれば、このように行なってもいいのですが、能力や条件が揃っていなければ、急いで行なわないほうがいいのです。大紀元や新唐人のようなマスコミは今の状況ではこのようにやらざるを得ないと思います。

 弟子:長春の大法弟子から師父にご挨拶を申し上げるようにと頼まれました。その弟子は周りの学習者が法を実証することを非常に積極的に行なっていますが、長い間しっかり法を勉強し、煉功することができておらず、これは深刻な問題だと言っています。私もある時期同じ状況でした。そのため、法を実証するプロジェクトもそれほど神聖ではなくなり、効果もなかなか得られず、学習者同士のトラブルも法をしっかり勉強していないから起きたのであって、そのため内に向けて探すことができず、協調がとれません。

 師:そうです。私も同感です。長春の大法弟子だけでなく、中国大陸のすべての地区の大法弟子が皆、三つのことを同時にしっかり行なうことができるよう期待しています。それではじめて、本当に行なうべき事を完成したのであって、大法弟子が精進していることになります。

 弟子:東南アジアは大きな妨害を受けていますが、大法弟子が充分に真相を伝えなかったからなのでしょうか?

 師:この歴史は大法弟子が法を実証するために残されたものとはいえ、環境は複雑であり、邪悪の要素が作用しているのです。これほど難しいのです。しかし、皆さんがしっかり行ない、正念が充分であり、協調をとることができれば、状況は変わります。皆さんはこのように行なうことができず、恐れる心があり、または人心があまりに多ければ、しっかり行なうことができないかもしれません。しっかり行なうことができなければ、邪悪の要素がますますはびこり、マイナスの要素が優勢に立ち、目に映ったのはすべて妨害であり、困難なのです。大法弟子よ、皆さんは広い範囲に分布しており、(手でしぐさをする)すでにこの世で各自が自分の地域を管轄し、あなたの考えが変化すれば、周辺環境に変化をもたらすことができます。あなたの地域の人間の状態はあなたがどのくらい真相を伝えたかの反映です。環境は人心によるもので、環境が良くないのは、皆さんがそうさせたのです。もちろん、自分が神だと言い、理性的に行なうことができなければ、それがまた自分で自分を妨害することになります。必ず理性を持って、正々堂々と行ない、自分が何を行なうべきかについて、はっきり分かっていなければなりません。

 弟子:ロシアの弟子は師父にご挨拶を申し上げます。

 師:ありがとうございます。(拍手)

 弟子:努力して真相を伝えたのですが、状況は大きく好転しませんでした。どのようにすればロシアで神韻を開催することができるのでしょうか?

 師:政治的要素は確かに大きな困難をきたしています。焦らないでください。もし、大法弟子が本当にしっかり行なっても、やはり良くならないのであれば、もう少し待ってみましょう。旧勢力の邪悪の要素は中共邪党がだめになったのを見て、もし国境の北側にもアメリカのように対抗してくる国があれば、邪悪は大法弟子を迫害する余裕がなくなるのです。特殊な状況の場合、必ずしも大法弟子がしっかり行なわなかったとは限らず、全体の形勢において、このような問題があり、このことに関して少し待ってみましょう。しかし、真相を伝え、人を救うことに関して、大法弟子は行なうべきことをしっかりすべきです。

 弟子:広告営業をするとき、次の問題に遭うことがあります。つまり、お客さんは私たちが伝えた真相を聞いて、大法を分かるようになったのですが、しばらく広告を掲載して、たいした効果がないから止めてしまいました。これは弟子がしっかり行なわなかったからなのか、それとも、お客さんが大法のために行なうべきことを終えたから離れたのでしょうか?

 師:真相を伝えたからといって、相手が変わったとは限りません。真相を伝えるとき、相手の間違った認識を正し、中共の邪悪な目的を知ってもらわなければなりません。真相をきちんと説明することができず、広告も効果がなければ、お客さんはもちろんやめてしまいます。しかし、もし契約を結んでいれば、契約を履行しなければなりません。契約を履行しないためにもたらした損失は、損失を作った側が責任を負うべきです。もし、経済的な要素がなければ、お客さんが広告を掲載するかどうかは、情況によって判断するのです。お客さんが大法のために何かを行なうべきだということはなく、衆生を救うだけであり、衆生が皆さんのために何かをしなければならないということはありません。しっかり行なったかどうかに関して、これらのことについて実は師父が何かを言う必要はありません。皆さんはどこに問題があるかを探せば、分かるようになります。

 弟子:どのようにブラジルに在住している二十万の中国人により良く真相を伝えることができるのでしょうか?

 師:大法弟子なので、できるだけ行なってください。真相を伝えることはあなたの責任です。これほど多くの人を救わなければなりませんが、どのようにすれば全員に伝えることができるのかと、あなたは言うかもしれません。できるだけ行ない、できる範囲で行なってください。大法弟子は行なうべきことをしっかり行なったら、状況が変わるはずです。

 弟子:多くの新しい学習者はプロジェクトに参加したいのですが、古い学習者に批判されることを恐れ、それを言い出せないでいます。また、活動に参加することを修煉だと思っている古い学習者がいて、新しい学習者と連れ立ってあちこちの活動に参加しています。

 師:それなら古い学習者に問題があります。新しい学習者は何と言っても新しい学習者で、私たちは衆生を救い済度することを言っているのではありませんか? 新しい学習者は入ってきたばかりで、本当に助けが必要なので、彼らと一緒に多く法を勉強することこそ最も重要なのです。

 また、大人数が必要な上、直接真相を伝えることのできない地域活動(たとえば中国人の居住地ではない地区でのパレードなど)は今後行なわないでください。実質的な意義があまりなく、効果も良くないからです。

 弟子:もし、神韻を常人の会社に任せ、大法弟子が主導的でなく、チケット販売もしなければ、神韻を見に来た観客は同じように救われ済度されるのでしょうか?

 師:同じです。神韻を見た人は救われ、誰が行なっても同じです。

 弟子:ほぼ毎年大陸に戻る学習者がいますが、こういう人は重要なプロジェクトを担当してもいいのでしょうか?

 師:やはり担当しないほうがいいと思います。ある日、邪党の凶悪な警官に捕まえられ、恐れる心が出てきて、何でも言ってしまうかもしれません。(笑)(溜め息をつく)

 弟子:神韻はいつ大陸公演を行なうのでしょうか?

 師:私も同じ事を考えていますが、(拍手)必ず行きます!(熱烈な拍手、歓声が起こる)

 弟子:多くの弟子は仕事が修煉ではないと分かっていますが、やはりマスコミでの仕事で成果をあげているかどうかを重く見ています。個人修煉として、どのように純粋で清らかな心を保ちながら、大法弟子の作用を発揮することができるのでしょうか?

 師:正念が充分であり、自分が行なったこのことが人を救っていると分かっていなければなりません。修煉者として、仕事をするときの出発点は神聖なのですが、その過程での正しくないやり方は仕事や、修煉に妨害と陰りをもたらすのです。

 弟子:現在の金融危機は人類の道徳が滑落し、特に執権者の道徳が滑落したから起きたのでしょうか?

 師:世界の経済がどうなっているのか、私たちは関わらないのです。今日は誰それが統治者になったとか、どこそこに何かの出来事があったとか、これは修煉と関係ありません。私たちはただ、人を救い、人を救うのです。人類社会の正常な按排は必ず、人間の福に応じて、人間の業力の大きさに応じて行なわれるのです。

 弟子:遼寧省東港、新疆ウィグル自治区、山東省高密、甘粛省蘭州、青島、北京玉淵潭(ぎょくえんだん)、陝西(せんせい)省、上海市楊浦区、上海市、北京市昌平、山東省イ坊、重慶、深圳、遼寧省葫芦島、瀋陽、河北省承徳、雲南省昆明、河北省石家荘、山東省煙台、済南、黒竜江省、江蘇省連雲港、浙江大学、山東省冠(かん)県、安徽省合肥、江門、貴州省貴陽、西安、広州市衛生局、遼寧省朝陽、武穴、湖北省黄岡、浠水、麻城市、撫順、山西省大同、河南省鶴壁(かくへき)、山東省威海、チチハル、富陽、天津、甘粛省金昌、長春、河北省邯鄲(かんたん)、潮汕(ちょうさん)、徐州、泰安のすべての大法弟子は師父にご挨拶を申し上げます。

 師:ありがとうございます。(熱烈な拍手)

 弟子:明慧学校の大法弟子は慈悲深くて偉大な師父にご挨拶を申し上げます。アメリカの国土安全部は、中国語教育の経費を中共が海外に浸透するための機構に割り当てました。私たちの関わっている正規の中国語学校組織はかえって経費を得ていません。これを機会に真相を伝え、邪悪を暴露すべきと考えている学習者がいるのに対し、これが直接的な迫害ではないので、関わるべきではないと思っている学習者もいます。

 師:迫害されている中、世の人々に中共邪党が国際社会でしでかしたこれらのことを伝えることができますが、多くの精力をここに費やさないでください。衆生を救い済度することが第一位のことであり、ほかでもなく、人を多く、多く救ってください。条件が整い、機会があれば、これらの邪悪の要素を暴露することができます。実は、私は時々考えていますが、中共邪党はもうすぐ終わりになりますが、邪党があれこれの手を尽くして騙し取ったものは誰のものになるのでしょうか? 誰のものになるのかはまだ分かりませんね。

 弟子:大陸の刑務所にいる大法弟子のためにお言葉をいただけないでしょうか? 刑務所でどのようにすればしっかり行なうことができ、正念を強めることができるのでしょうか?

 師:その場所は邪悪が最後に巣くっている黒巣であり、それぞれの大法弟子が直面している状況はいずれも違うので、何があっても自分の正念を失ってはならず、いつになっても自分が大法弟子であることを忘れてはならず、法を第一位に置くことができれば、正念を保つことができ、邪悪を食い止めることができ、邪悪を前にどのように行なうべきかが分かるようになります。しかし、状況は複雑であり、状態が異なるため、本当に命を失う人がおり、ひどく迫害される人もいます。それぞれの状況が違い、それぞれの歴史上の状況があり、さらに旧勢力は大法弟子が騙された状況下で按排したことがあるため、これらのことはとても複雑な状況を作ったのです。どんなことがあっても、心の中に大法があれば、必ず乗り越えることができ、命を失っても位に戻ることができ、一時的に愚かになったとしても、最終的に乗り越えることができます。

 弟子:私が所在する地区のある煉功場に来ているのは、主にアメリカの黒人であり、もう八年も来ている人がいますが、煉功しかせず、本は一、二回読んだかもしれません。新しく来た人も同じ状況です。どのように彼らを助けるのでしょうか?

 師:彼らが法を勉強するように手助けし、法の勉強の重要性をはっきり説明すべきです。

 弟子:ヨーロッパ合唱団は引き続き合唱の形式で真相を伝え、世の人々を救うべきなのでしょうか?

 師:私は時々思うのですが、皆さんの合唱は本当に神韻のような作用を果たし、人を救うことができるのでしょうか? 実はなかなか難しいのです。この合唱団は衆生を救い済度することに実際の作用を果たすことができなければ、それほど大きな意義がありません。なぜなら、皆さんの練習にしても、一緒に合唱するにしても、ほかでもなく人的資源の消耗なのです。もし本当にそれほど大きな作用を果たし、衆生を救い済度し、たくさん保証できなくても、一部の人が救われ済度されれば、皆さんは行なってください。くれぐれも合唱団そのものに執着しないでください。

 弟子:天梯書店トロント支店はオープンして一年近くになりますが、書店に来て真相を知り、法を学ぶ人が徐々に増えてきましたが、書店の経営はまだ満足のいくものではありません。書店の経営もほかのマスコミと同じように、マーケティングを開拓したり、広告を出す必要があるのでしょうか?

 師:このことまで私に聞いています。(皆笑って) 経営上のことは経営管理にほかなりません。間違っていません。しっかり行なうことができなければ、妨害され、困難が現れます。今はこういう状況です。どんなことでも、行ないたければしっかり行なうべきです。

 弟子:フラッシングの邪悪の徒は先週、アメリカ連邦司法部調査員の目の前で、学習者のビデオカメラを奪おうとしていました。私たちは邪悪の徒を提訴するつもりです。アメリカの警察は彼らが「強盗を企む罪」にしか相当しないと言いました。

 師:確かに「強盗を企む」です。奪われなかったからです。(笑) 警察だからこのように言うに違いありません。奪われなかったものを奪われたと言うわけにはいきません。本当に奪われたら提訴していいのです。

 弟子:これらの暴徒が長い間、私たちの信仰に対して挑発し、脅迫してきたことを連邦政府に説明したいと思います。

 師:これは単なる信仰の問題ではなく、中共邪党が背後で指図しています。このことは実は言わなくても彼らは知っており、警官まで知っています。私はあることを考えています。フラッシングの学習者、先頭を歩いている学習者は邪悪に対抗したいと思っており、出発点は良いのであって、本当に良いのです。このことについて、私は皆さんを評価しています。しかし、方法に関して、少し急ぎすぎではありませんか? 冷静に考え、心をもっと広くし、我々は本当にすべての人を救い済度したい衆生として救い済度すれば、相手に変化があるかどうかを見たらどうでしょうか? 邪悪がフラッシングで姿を現し、人間を制御して悪事を働いているのは決して偶然ではなく、間違いなく学習者の漏れているところを目掛けてやってきたのです。人間の一面に対して、ひたすら突っ走ってはならず、彼らを打ちひしぐのではなく、彼らを救い済度するのです。慈悲を以て行ない、冷静に行ない、どのような効果があるのか見てください。

 弟子:神韻報道を担当する記者は少ない時間で重大な仕事を終わらせなければならない状況下で、各マスコミの間と記者の間の情報共有はとても難しく、なかなかできないため、取材記者の定員について争う問題が起きました。

 師:確かにそうです。定員を争うほどのことはないと思いますが、時には、観客が多くないのに、記者はあちこちで見られ、圧迫感があります。これは公演ですので、皆さんは観客がどのようにあなたたちを見ているのか考えたことはないのでしょうか? 目立ちたがり屋の学習者がおり、カメラを持って、「パチパチ」とずっと写真を撮っており、なかなか終わらないので、観客に嫌われてしまいました。これは教養の問題だけではなく、修煉の問題でもあり、衆生を救い済度することを第一位に置いていませんでした。報道は良いことであり、このことを宣伝したいのですが、記者が多くなると本当に逆効果になります。劇場の観客も耐えられません。ですから、定員を制限しないとやはりいけません。

 弟子:北京航空業界のすべての大法弟子、北京市甘家口(かんかこう)、展覧路、阜成(ふせい)門外、北京市海淀双秀煉功場、湖南省長沙、広州、武漢東湖地区、洪山地区、中国科学院、社会科学院、珠海、南昌洪都公園、湖南省莱陽(らいよう)、郴(ちん)州、衡南、西寧、広西省柳州、ハルピン、河北省東光県、阜城(ふじょう)県、成都、遼寧本渓、瀋陽二〇四地区、長青地区、浙江省寧波、海南省東方、河南省信陽、広東省江門地区、大連東北財経大学、江蘇省のすべての大法弟子は師父にご挨拶を申し上げます。

 師:ありがとうございます。(拍手)

 弟子:神韻(師:神韻の会議を開いているのではないのに、なぜこの話ばかりなのでしょうか?) チケット販売の中で、神韻公演は人を救い済度するためであり、大法弟子の修煉の要素も含まれており、真相を伝えることをメインにすべきだと悟りました。しかし、一流のマスコミで広告を出すことが重要だと思っている学習者がいます。

 師:チケット販売のとき、チケットを売ればいいのですが、問題があるときだけ真相を伝えるのであり、公演の中で人を救っているのです。一流のマスコミで広告を出すにしても、三流のマスコミで広告を出すにしても、いずれも間違っていません。どのように広告を出すのかは、所在地区の具体的な状況に合わせて行なえばいいのです。チラシを配るだけでいいとか、販売センターでチケットを売ればいいとか、広告を出したほうがいいとか、どのように行なってもいいのです。一部の地区では、広告をあまり出さず、学習者は互いに協力し合い、幾つかのお店に行ってチケットを完売したのです。つまり、異なる地区の状況に合わせて行なうということです。

 弟子:マスコミに関わる学習者は集団で法を勉強しなければなりませんが、皆さんは世界各地に分散しているので、ネットを通じて集団で法を勉強するのは適切なのでしょうか?

 師:これは試してみましょう。しかし、私が思うには、大法弟子はどこにいても、世界のどの隅にいても、マスコミの仕事をする学習者は現地の佛学会から離れず、できるだけ現地の煉功場から離れず、現地の大法弟子と一緒に法を勉強すべきです。

 弟子:邪党の政権が崩壊したら、大陸の人々は緩和された環境下で大法を認識し、救われ済度される機会がまだあるのでしょうか? 私たちはどのようにすれば、これをやり遂げることができるのでしょうか?

 師:邪悪が本当に崩壊し、法がこの世を正すとき、そのときの状態があり、この状態ではなく、完全に変わるのです。このことはとりあえず気にしないでください。私たちは今、現在の状況に従って行ない、現在の状況に従って人を救うだけです。

 弟子:どのように師父の啓示と旧勢力の妨害を区別するのでしょうか?

 師:師父と一部の正しい神はあなたに啓示を与えることがあり、これは間違いのないことです。しかし、多くの場合、あなたにとって、いずれも皆さんの執着を取り除くため、または危険を回避させるためであり、あなたの修煉のためなのです。邪悪の要素の妨害は多くの場合、あなたの執着、あなたの歓喜心、好み、各種の人心に沿って偽の啓示を与えるのです。啓示を受けてあなたはさらに喜んでしまい、執着し、間違った道に入るのですが、それが師父から教えられたからだと言うのです。多くの場合はこういう状況です。実はどのように区別するのでしょうか? 夢を頼りに修煉していると言っている人がいますが、それはでたらめです。(皆笑って) 夢の中の啓示に執着するのは修煉ではなく、それは邪道に入ることです。大法弟子はほかでもなく、大法のこの本に従い、法を基準にしています。あなたは夢の中にいても、ほかの環境にいても、法をもって正しいかどうかを判断しなければならず、このようにしてはじめて、妨害されないのです。皆さんは修煉する必要がなく、法身の言うとおりに行動すればいいという修煉方法を私は皆さんに残していません。私はこれを修煉だと認めていません。大法弟子の誰もが私のそばにいるわけがなく、私は皆さんに「法をもって師とする」ということを教えました。この法があれば、どのように修煉するのかが分かるようになります。

 弟子:師父がオーストラリアの学習者に説法された後、オーストラリアの状況はある程度改善されましたが、しばらくしてまた元の状態に戻り、中国人学習者と西洋人学習者はやはり交流せず、多くの学習者は問題に遭ったとき、口では「法を多く勉強すべきだ」、「執着を放下すべきだ」と言っていますが、本当に内に向けて探していません。

 師:人心はどうしてもあります。師父の一回の説法で彼らの執着が全部なくなれば、私は喜んで毎日皆さんに説法します。実は法があるので、どのようにそれに従うかの事です。修煉には過程があり、徐々に取り除かれますが、この時間はやはり見ないといけません。速くしないといけません。本当に速くしないといけません。佛学会がまた昔に戻り、閉ざしてしまったと言われていますが、そうでしょうか? 見てみたいと思います。しかし、何があっても、佛学会がしっかり行なうかどうかに関わらず、大法弟子として、皆さんは自分を修煉しており、自分がしっかり行なうべきです。師父は希望、すべてのオーストラリアの希望をある人または佛学会に託しておらず、私はすべての大法弟子一人一人がどのように良く修煉するかに託しているのです。皆さんはそこの衆生が救われる希望であり、皆さんは法を実証している大法弟子で、師が法を正すことを手伝っているのです。佛学会と責任者だけが師が法を正すことを手伝っているのではありません。もし、皆さんが執着して佛学会ばかりを見ていれば、それも間違いです。佛学会に本当に問題があれば、私が処理しますが、それはあなたの執着のために行なうのではありません。

 弟子:私たちは最後の大審判を見ることができるのでしょうか?

 師:師父が何かを言うと、それに執着しないでください。(皆笑って) そのことを気にせず、自分が行なうべき事をしっかり行なってください。

 弟子:積極的に大法のプロジェクトの仕事を行ない、心性も修めていますが、煉功したくなく、正念を発することも重視していません。このような学習者は円満成就することができるのでしょうか?

 師:本当にこういう状況であれば、その人は実はあまりしっかり修煉していないのですが、気をつければいいのです。しかし、法を勉強せず仕事だけをする人もいます。三つのことを全部やらないといけません。仕事だけをして法を勉強しなければ、それは常人として大法の仕事を行なっていることになります。常人が大法の仕事をしていても、円満成就することができず、徳を積んだことにしかなりません。徳を積んで福を積んで、来世に福があり、これしかなく、円満成就することはできません。それなら、行なったことは無駄になったのではありませんか? 修煉者は修煉しなくて良いのでしょうか? 心に法があってはじめて、真相を伝えるときに人を救うことができ、話したことに震撼力があるのです。

 弟子:真相を伝えるときに出会った常人は大法弟子の誰それと知り合いですが、その弟子が普通の常人よりも劣っており、口では良いことを言っていますが、行ないはよくできていないと言っています。

 師:こういう話は私も聞いたことがあります。行ないが大法弟子らしくなければ、旧勢力が望んでいる作用を果たすことになり、危険です。しかし、この話を聞いた人も自分を考えてほしいと思います。私の話が分かったでしょうか?

 弟子:私は十二歳の子ども弟子ですが、父親の反対で、飛天学校に行く機会を逃してしまいました。私はまだ機会があるのでしょうか?

 師:まだ成人ではないので、法律の規定によっても親の管理に従わなければならず、親が同意しなければやはりいけません。もし身体条件が基準に達していれば、機会はいつかまたあります。もし基準に達していなければ、執着しないでください。

 弟子:西洋人の学習者は中国語を勉強するとき、簡体字と繁体字のどちらを習うべきなのでしょうか?

 師:簡体字と繁体字のどちらも大きな問題ではありません。簡体字を習ってもいいし、繁体字を習ってもいいので、どちらも問題ではありません。簡体字を習う人は繁体字が分かるし、繁体字を習う人も簡体字が分かるからです。人間のことは将来考えればいいのですが、今現在は衆生を救い済度することだけです。しかし、多くの中国語の簡体字は中共邪党が作ったのであって、内涵は良くありませんが、これほど多くの人、十数億の人が簡体字を使っているので、このことを将来のとき処理しましょう。

 弟子:「邪悪は終わりになった」とは、邪党がもうすぐ解体することなのでしょうか?

 師:この邪党の要素がなくなったということです。先ほどすでに話しましたが、その体制を維持しているそれらの人が彼らの権力を守っているのです。

 弟子:私が所在する地区にたくさんのスパイが来ました。どのように彼らに対処するのでしょうか?

 師:すべてのスパイはアメリカの安全部門と情報部門または秘密警察に監視されており、中共邪党の文化に教育されたスパイも邪党の文化に騙されており、彼らこそ危険に晒されています。衆生を救い済度しているので、皆に機会を与えています。しかし、一部の人はむやみに騒いでおり、スパイと言っても本当のスパイではありません。やり方はスパイのようにうまくできておらず、自分が良いことをしているように思っていますが、自分の振る舞いを気にもせず、それによって多くの学習者は彼を排斥しています。

 弟子:多くの大陸の人が脱党のホットラインを通じて師父にご挨拶を申し上げています。彼らが口にした師父への感謝の言葉はとても感動的なものなので、ここで師父にお伝えします。

 師:機会があれば、私の代わりに彼らに感謝を伝えてください。(拍手)

 弟子:西側諸国の政府の邪党に対する態度はますます軟化しており、彼らを救い済度することに入れた力が足りず、このことに参加する学習者はあまりに少ないのです。

 師:これらのことにかまわないでください。旧勢力はバランスゲームをしています。旧勢力は今どちらかを勝たせることをしません。大法弟子に試練を与える邪悪が足りなくなったと思い、バランスゲームをやっています。しかし、全体の形勢は変化し、全般的な形勢は変化し、良い方向に向かって変化しています。

 弟子:先日、国連のビルでまた二人の難民申請をする人を見かけました。一人は黄色いTシャツを着ており、聞いてみたところ、学習者から借りてきたのだと言うのです。

 師:どの学習者が貸したのでしょうか? 皆さんが着ている服は大法弟子を意味しています。勝手に合法ではないこと、してはいけないことをする常人に貸して、あなたは衆生を救い済度しているのか、それとも衆生をだめにしているのでしょうか? いつもこのような意気地のない人がいます。(笑) もし誰もがしっかり行なうことができれば、皆さんの魔難は今日のこの状態ではなくなります。

 弟子:大法弟子は邪党の歌の替え歌を作って歌っています。もちろん歌詞は中共邪党に反対する内容ですが、曲は同じで、聞いてみるとやはり不快になります。

 師:それは大法弟子は歌わないほうがいいと思います。一般市民は歌っても問題ありません。

 弟子:大陸の人に真相を伝えるとき、二種類の人がいます。一種類は「共産党関連組織を脱退する」ことに同意しますが、大法を認めていません。もう一種類は大法を認めていますが、脱退はしたくはありません。将来、淘汰がやってきたとき、彼らの運命はどうなるのでしょうか?

 師:これは根本から変わっておらず、真相をはっきり伝えませんでした。運命の如何はここから線引きするのです。あなたが取った立場によって判断されます。少しもいい加減なところはありません。これを認めるとか、あれを認めないとかを言っていますが、実はその人は心から変わっていません。彼はあなたの前で二人の関係を壊したくないから良いことを言っているかもしれず、彼は実質上変わっていないので、こういう言い方をしたのです。

 弟子:ニューヨークで多くの人は政治亡命を通じて大法に触れましたが、多くの学習者は彼らの行為に嫌気がさして、彼らを排斥しています。

 師:私が思うには、それらの政治亡命の人が大法弟子に接触してきたのは、その目的は良くありませんが、私たちは何と言っても衆生を救い済度しているのです。慈悲をもってその人に接してください。あなたの言動を彼は永遠に覚えているかもしれず、彼にやはり影響があるのです。これで将来彼を救う機縁を作ったのかもしれません。もし、彼に冷たくしたら、彼らが機縁を失ってしまうかもしれません。いずれにせよ、私たちは人を救っていることを自覚しましょう。

 弟子:常人の仕事で変異した芸術と接触しており、正念をもって、正しくない要素を神韻のように正すことができるのでしょうか?

 師:常人の現代芸術を正そうとしていますが、あなたの言うことを聞いてもらえるのでしょうか? 今それらのことをする暇はありません。皆さんは人を救っており、それらのことは現在関わらないでください。現在、これらのことは全部かまわず、法がこの世を正すとき、おのずとそのときのやり方があるのです。

 弟子:広東の珠江(しゅこう)デルタ周辺と沿海都市の企業でほかの地区から来た人が多く、人口密度が高いのですが、弟子はまだ充分行なっていません。

 師:国内の具体的な状況は全部異なっており、その地区の状況に従って行なうしかなく、同時に安全に注意すべきです。中国大陸のどの地区の大法弟子も自分の責任が分かっており、自分をしっかり修め、衆生を救い済度し、これはすなわち行なうべきことです。救った人が多ければ多いほど良いのであって、それは皆さんが背負っている責任だからです。

 弟子:私たちのテレビ局の幾つかの技術はまだプロのレベルに達していませんが、常人と合作していいのでしょうか?

 師:常人を雇って何かのプロジェクトをするのは問題ないはずですが、常人と一緒に会社を作るとか、何かのプロジェクトを合作で行なうことはやめた方がいいと思います。その人が妨害されると、厄介なことになり、こういう例は多くありました。あなたは大法弟子で、あなたは神聖なことを行なっており、彼は人間のことを行なっているので、一緒に行なうことができません。もし、あなたが社長で常人を雇うのであれば、問題はありません。彼は社員で、彼に指示を出せばいいのです。もし合作するのであれば、多くの場合問題が現れて来ます。彼が妨害されてしまえば、すぐにだめになってしまいます。

 弟子:数年前にすでに法を得た古い学習者は幾つかのしこりと執着のために修煉を離れてしまいました。私たちはそれをほぐすことができず、とても残念に思い、同時にとても焦っています。どのように彼らを助けるのでしょうか?

 師:丹念にやってみて、根本的な原因がどこにあるのかを探してみてください。本当に中共邪党から離れたくなく、または根本から真に修煉しようとせず、当初は興味本位で始めたのであれば、もう関わらなくていいのです。しかし、いずれにしても、大法弟子として、相手がどんな状況であっても、皆さんは衆生を救い済度するだけであり、助けてあげるべきです。そういう人を見たら、行なうべきです。どうしてもできなければ、あなたの問題ではありません。

 弟子:私は参加できるプロジェクトがたくさんあり、神韻のほか、どのプロジェクトが私の先史の誓約と関係があるのか、どう判断すべきでしょうか?

 師:判断してはならず、多く考えると執着になります。大法弟子が行なうべきことを行なえばよいのです。

 このくらいにしましょう。皆さんが来るのは容易いことではなく、後で交流会を続けなければなりません。この交流会を通じて皆さんが向上できることを期待しています。ほかの人がしっかり行なったところ、どのように行なったのかを見て、良いものを持ち帰ってください。今回の法会で本当に収穫があり、皆さんの修煉に役立つことができれば、今回は無駄足にならなかったのです。毎回の法会に多額の資金がかかり、全部を計算すると、飛行機代だけで数百万ドルかかります。本当に莫大な資金がかかります。形式に流れず、見物するだけで終わってはいけません。また、好奇心を抱いて師父がまた何を話すのかを聞いてみたいというのもいけません。師父は、最後の道をしっかり歩み、あなたの使命を全うしなさいとあなたに教えるだけで、私はいつになってもこのように話すのです。

 最後に、皆さんが緩めないことを期待しています。皆さんはすでに曙光(しょこう)を目にしたのではありませんか? 邪悪も終わりになり、最後になればなるほど、元気を出すべきです。大法弟子が完成させるべきことを完成させ、多くの衆生を救い済度することができれば、それはすなわち、威徳です。救われたすべての生命の背後に厖大な生命群があり、素晴らしいことです。

 ほかにもメモを出した人がいるかも知れず、会議を運営するスタッフはそれを出しておらず、多くの人はまだ質問したいと思っています。実は皆さんは聞いても聞かなくても、この法から答えを見つけることができるので、本を多く読んでください。皆さんは迷いの中で修めており、法がどういうものなのかを目にすることはできません。本当に見たとき、それは言葉で言い表すことができるものではなく、言い表しようもありません。以前皆さんに教えたのですが、すべての字の背後に幾重にも重なり合った佛、道、神がいます。師父がすべてのものをこの法の中に詰め込んだという言葉を皆さんは理解することができません。皆さんは現在、人間の考えでこの言葉を理解することができません。何でも得ることができますが、あなたがどれくらい心を込めたか、皆さんの心の状態がどうであるかによります。どんなものもこの法から得ることができます。修煉は厳粛なものであり、少しのいい加減さも許されません。様々な雑念を抱きながら、法を読み、本を読むのであれば、何も見ることはできず、何も得られません。人間、多くの大法弟子が、長く迫害されている間、法を読んでも向上できないと言っています。実は、皆さんはそのとき、頭の中に迫害のことがいっぱいで、心を静めることができませんでした。修煉は厳粛なことであり、必ず純潔で清らかな状態で、誠意を込めて法を読み、修煉してはじめて向上することができ、収穫を得ることができるのです。

 最後にやはりいつもの話ですが、最後の道をしっかり歩み、「大法弟子」の称号に申し訳が立つよう期待しています。ありがとうございます。(長時間の熱烈な拍手)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/7/4/203966.html)