旧勢力の按排したことを、すべての考えから否定する 文/中国大陸の大法弟子
(明慧日本)修煉して10年、いかに正念ですべての考えを心に留めるかという問題についての、困惑から理解まで相当時間がかかりました。特に、頭に浮かんだ念が、正念なのか、観念なのか、どの部分が旧勢力の押し付けなのか分かりませんでした。2回も労働教養所に拘禁されて迫害された原因は、それをよく分別できないため、旧勢力の押し付けてきたすべての考えを、自分の思ったことと勘違いしていました。
1回目は「7.20」の迫害が始まって以降、頂いた師父の経文を拝読した時に感激して涙を流し、「これを労働教養所の同修にも見せられたらいいのに! これで彼女たちは正念を持って魔難をきっと乗り越えられるだろう。しかし、どうやって届けようか? もし届けることができれば、1年の労働教養をされてもかまわない」と思いました。さらに、その思ったことを実際に行動して準備をしました。数日後、突然捕まえられて、1年の労働教養の判決を言い渡されたことが本当に起きました。そして、経文を同修の手元に届けることも実現しました。経文によって同修の100人くらいが以前の強いられた「転向」を否認して、煉功をやめると書いた「保証書」を廃棄しました。自分は余程の苦労をなめたとしても、やり甲斐があると思いました。
2回目は2002年、不法に労働教養所に拘禁された一部の同修らが「転向」したことを聞いて、「あんなに堅く信じていた多くの大法弟子まで『転向』を認めたということは、彼女らがもっと高い法理を悟ったのではないか(実は、その時にすでに外に求めており、人に従って法に従わず、法理からずれていた)。また入って確認しよう、また2年拘禁されてもかまわない」と心の中で歪んだことを考えました。数日後に思ったとおり、再度捕まえられて2年の労働教養を言い渡されました。入って見たら、結局彼女らは虚言に洗脳された上で拷問に屈して、「転向」したと分かりました。しかも、自分も迫害に耐えられず、自分に背いた「転向」をして悔しい思いをしました。
その時の、一つの迫害事件を鮮明に覚えています。ある同修は「転向」を声明する保証書を廃棄したため、小部屋に半年くらい閉じ込められました。さらに、毎日のように警官と麻薬犯の受刑者に順番に暴行されたり侮辱の言葉を浴びせられたりして、寝ることや体を洗うこと、大小便などを許されず、立ちっぱなしにさせられ、しゃがみっぱなしにさせるなどの迫害を受け続け、最後に、精神異常に至りました。警官らは偉そうに「ほら、◯◯は煉功でおかしくなったぞ、『頭を抱えてもう殴らないでくれ、大法は本当の正法だ。ほら、法輪は回っている』とわけの分からない話をしていたぞ」と同修をからかいました。この話をみなに聞かせて、みなの意向を探ろうというのでした。
みなは恐れて自分に背いた同修のことを責めました。そして、順番に聞かれて自分に回ってきたら、私は泣きながら、「人間には限界があるのだ。彼女をずっと閉じ込めたままで、毎日違う人に暴行されていて、おかしくなりたくなくてもおかしくならざるを得ないだろう。彼女は煉功と学法をしたのか? していないだろう」と言いました。すると、警官は頷いて「そうか? え! え!」と言い返してきました。その場にいる同修らは私がきっと同じ小さい牢屋に入れられるだろうと思いました。結局、そうはなりませんでした。これで、私が悟ったことは、自分が当時邪悪に合わせず敢えて真実を言いましたが、その基点は法を守り、同修を守って、しかも少しの恐れる心がなかったので師父は私を守ってくださり、邪悪は動きようがなかったということでした。
以前、出てきた念について、いつも邪悪と思想業に影響されたまま動いてしまいました。法理からは、師父は私たちを天国へ連れて行く道を按排されましたが、旧勢力は巨大な難関を仕掛けて私たちを地獄へ落としていると分かるものの、師父の按排と旧勢力の按排がよく分別できないことに困っていました。
ある日、師父の『各地説法二』の『米国フロリダ法会での説法』を拝読する中、「つまり、このことはこれほど久しい年月を経て、全て系統的に按排されています。皆さん考えてみてください。人類社会やわたし達が目にすることのできるこの全ては偶然に存在している可能性があるのでしょうか? ひいては全ての大法弟子の一挙一動、一言一行、あなたが考えている事までただで済むことではありません。将来これらを見れば、全ては相当綿密に按排されていると分かります。わたしが按排したのではなく、それらの旧勢力が按排したのです」という教えにお目にかかりました。
なるほど、2回労働教養所に入ったのは、旧勢力が押し付けた邪念なので、よく弁えていないままに自分の思っていることだと勘違いをしました。知らず知らずのうちに邪悪の按排に落ちても分かりませんでした。
学法を精進し続けたことによって、だんだんと正念か、思想業による邪念か、師父の按排してくださった道か、旧勢力の罠かがはっきりと分かってきました。それは、「私が法を実証すること、衆生を救い済度すること、三つのことに支障をもたらしたすべての念は邪念であって、それを拒否すべきだ」と悟りました。ちょっとでも悪い念が出てきたら、すぐにそれを見破って否定し、消滅するという強い意識を持ちながら、全般的に旧勢力が按排したことを、すべての考えから否定します。
2009年7月9日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/6/22/203213.html)
明慧ネット:jp.minghui.org
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