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個人の趣味を放下し、衆生を救うことに全力を尽くす


文/河北大法弟子

(明慧日本)常人の中の趣味は要するにある物事に対する執着です。修煉者として、執着は捨てるべきです。私は文章を書くことと旅をすることの二つの趣味があります。どのようにこれらの趣味を、大法を実証し、衆生を救うことに正しく用いるかについて以下で自分の経歴と悟りを話しましょう。

 まず、文章を書くことですが、以前パソコンがない時は、私は日記、散文、詩歌などを書くことが好きで、常人の週刊にも投稿し、発表されたのも少なくありませんでした。後に、パソコンを使うようになって私はブログ、ネット小説を書きました。特にブログの誘惑は非常に大きいものでした。中には音楽、詩歌がありネットフレンドの評注とコメントもあって、ネットフレンドとチャットもできます。正法の最後の段階で、修煉と人を救う貴重な大量の時間を個人の趣味に使って、救われるべき人を救わず、法もちゃんと学んでいませんでした。これは自分の修煉に大きな悔いをもたらすのではないでしょうか? みんなは時間を無駄にせず人を救っているのに、自分は個人の執着から抜け出せませんでした。これで大法弟子なのでしょうか?

 私は常人の中で生じた趣味を放下しようと決心しました。文章を書くこの常人の中で習った技を、衆生を救うことに使おうと、明慧ネットに投稿して、正法弟子として大法を実証しました。何か悟ったことがあれば私は文章を書き、衆生が救われる物語なら全部書きました。真相を伝え、大量の学法と共に、少なくない文章を書き出しました。ここで、私が書いた文章を明慧編集同修が修正して発表し、人を救うことにより良い作用を果たしたことに感謝します。さらに師父に感謝します。常に私が心性を向上して、文章の題材を悟らせてくださり、人を救う作品を書く事ができました。

 旅をすることについて話しましょう。私は山と川があるところに旅行することが好きで、さらに神佛の彫刻がある所が好きです。修煉してからは夢でも師父が法の中で言及されたところに行きたくなりました。しかし、現在人を救うことが差し迫っているのに、まだ自分の趣味に執着し、縁がある人を救わないのは、師父の慈悲なる済度に顔むけができるでしょうか。ここまで悟った後、私は町から都市まで真相資料を配り、学校の入り口に真相の標語を貼り、縁がある人と面に向かって真相を話しました。

 一人一人が救われたあと、最高の笑顔で、「ありがとう」の一言は、山もあり川もありの美しい景色でした。私はこれから山、川などを見る必要はなく、旅行もいりませんでした。私が真に人を救ったら、師父は最も美しい景色を私に見せてくださいました。数回人を救ってから或いは、心性が向上してから、青い空、雲、鳥、花などを見せ、あるときは私に美しくて静かな、樹林で、群れ飛ぶ鳥の景色を見せてくださいました。私はこの一切は師父の励ましと加持であることを知っており、更に良く行ってこそ、師父と衆生に申し訳が立ちます。

 とにかく、私はもはや常人の文章を書くことに執着せず、自分が好きな日記を書く習慣も放下し、旅行に行きたい心も放下しました。心づもりを修煉と人の救いにおいて、非常に良い感覚を覚えました。これらの表れから私の心性はもっと向上して、師父は又私に美しい景色を表してくださいました。空には一枚の非常に美しい山水画が現れ、中には夕日、カモメ、渓流、舟などがありました。

 最後に師父の『2004年米国西部法会での説法』を皆さんと一緒に勉強して互いに励みましょう。「しかし、迷いの中でこの目標が見えないので、自分の目標が見えず、ひいては行ったそれらの偉大なことが果たした実質的な作用さえ見ることができません。このような環境の中からあなたは乗り越えてくることができ、修煉して成就することができれば、神まで感服するのです。あなたがこのような厳しい環境で、このような迷いと各種の妨害の中で、世の各種の名、利、情の誘惑を振り切り、人間から抜け出すことができれば、神は感服し、あなたが素晴らしいと思い、さすが神になれると思うのです。これが即ち威徳です」


2009年7月10日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/7/5/203981.html