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友人の万永紅さんは迫害により身体が不自由に

(明慧日本)私は親友の万永紅さんと長い間会っていませんでした。先日偶然に路上で万さんと出会い、彼女を見て驚き言葉のかけようもありませんでした。健康そのものだった彼女は松葉杖を使って歩いており、身体障害者になっていたのです。その訳を聞いてみると、彼女は「真・善・忍」を信仰し善い人になることを目指していただけなのに、この10年来野蛮な迫害を受けてきたため、このような不自由な体になったといい。彼女の私生活は家族の助けが必要なうえ、仕事が出来ないため収入もなくなり、家族も巻き添えになり仕事を止めさせられて、家族には精神的な圧力となり多大な苦痛を味わったというのです。

万さん(45)は河北省遷安市商工銀行の職員で、1998年に法輪功と出会い修煉を始めました。

2007年10月9日の午前、万さんは事務所で仕事していたとき、主任の王印軍が警官の哈福龍とほかの数人を連れて事務所にやって来ました。別の人に仕事の引きつぎをさせた後、万さんは警官に連行され、自宅に連れ戻され不法な捜査を受けて、ノート型パソコンと衛星放送受信用のアンテナを持ち去られたのです。

警察暑には電気技術者が待っており、持ち帰ったアンテナでどんなテレビ番組を見ることが出来るのか調べさせるためでした。そして、警官の哈は衛星放送を取り付けるのは違法であり、このアンテナはどこで入手したかと聞きました。万さんは店で購入したと言いました。どこの店で買ったかと問い詰められ答えなかった万さんは、数人の警官に殴る蹴るの暴行を受け、罵倒され、警官は万さんを地面に押し付け、2本のスタンガンを使い2〜3時間電撃しました。電撃で傷が酷く両脚は紫色に変色して水脹れが出来、両手にかけられていた手錠は手首の肉に食い込みました。このような迫害が繰り返された後、遷安市のある種の販売会社の中に設置した洗脳施設に送られ迫害され続けたのです。

迫害を認めないと、万さんは敷布団のカバーを切り裂いて繋ぎ4階から降りようとしたとき、繋いだ部分が解けて高いところから地面に落下し、腰椎複雑骨折になり、手術をしましたが未だに片脚の感覚が戻っていないため、歩くときはバランスが取れず松葉杖に頼り、よろよろと歩かなければならなかったのです。両脚も骨折してしまいました。

病院で治療を受けている間は5カ月寝たきり状態になり、私生活が不便でした。治療費の7万元は国民医療保険からの支払いが断られ、自費で支払わなければならず、しかも給料も停められたのです。
 
1999年7月以後、強い信念で法輪功の修煉を続けたため、幾度も迫害を受けました。1999年7月、万さんは陳情のため北京に向かう途中に警官に足止めされ、地元の警察に引き渡され、遷安鎮派出所に2日閉じ込められ、家に戻された万さんは1週間以上にわたり会社の監視役に付きまとわれていました。その後しばらくの間は会社に通うのに夫の送り迎えを義務付けられていました。

2000年7月19日、仕事をしていた万さんは再び連行され、遷安市留置場で49日間閉じ込められ、家族から5千元を騙し取った後釈放されました。2003年の年末に万さんは同修宅にいたところを三度連行され、同じく遷安市留置場に30日閉じ込められ、家族から更に5千元を騙し取った後釈放されたのです。

10年にわたる法輪功への迫害の中で、家族は想像を絶する精神的なダメージ受けてきました。特に夫は?安市役場に勤めており、周りから白い目で見られたり、嫌味を言われたり、叱責されたりしていました。そのため眠れない夜が続き、頭痛をよく起こしたりして、子供の学習にも大変な影響が起きていました。

この数年来万さんに対する中共の迫害により、受けた経済的な損失はおおよそ15万元を超えており、身体の負傷や精神的に受けてきた苦痛は金に換算できるものではありません。身体の不自由が万さんの今後の人生にもたらす苦難は計り知れないものがあります。

2009年7月10日


(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/5/31/201951.html