日本明慧
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邪悪の迫害を暴露し、修煉の道を正す

(明慧日本)私は1998年から修煉を始めて、病気だらけの身体が健康になり、大法の不思議さを感じました。1999年7.20の時、私達6、7人の同修は一緒に膠南市政府へ大法の真相を伝えに行くため、バスに乗って行きました。バスから降りて、市政府の入り口に着いたとき、派出所、村幹部らが車で後を追ってきて、有無を言わせず私達を車に乗せ、村へ連れ帰りました。あれから、再度陳情に行くことを阻止するため、村の幹部達はしょっちゅう私生活を侵害しにきて、私達を監視、尾行していました。

2001年10月1日晩、私はもう1人の同修と一緒に、自分達が書いた「法輪大法は素晴らしい」の旗を持って竜泉王家村まで貼りに行きましたが、その村の幹部に派出所に告発されました。当時すぐに私達は捕まえられなかったのですが、3、4日後、ある日の午前、村幹部が膠南市の610弁公室の滕と於という2人を連れてきて、私達を公安派出所まで不法に連行して、2人を別々に取り調べました。

ある警官が私に、旗は誰が書いたのか、何を書いたのかと聞き、記録してから、私に確認を取るために見せたとき、私はその記録をちぎって、地面に投げたので、警官が激しく怒り出して、直ちに3、4人を呼んできて、私の両手を背後までねじって、頭を地面に押し付けて、蹴ったり踏みつけたりしていました。当日の晩、また私達2人を膠南市留置場へ連行しました。

留置場の中で、私達は不法に15日間拘禁されました。留置場を出てから、610弁公室の人らは、また私達を不法に膠南市洗脳班まで連行して迫害を行いました。最初は、紅石崖政府の計画生育弁公室の2人を派遣して、私達を見張り、その後、本村のおばあさんにかえて、毎日強制的に私達に嘘のビデオを見せ、見ないと、警官らは足を踏みならし烈火のごとく怒りました。最後に、家族を呼んできて、私達を「説得」させようとしました。家族の「説得」に直面して、私の人心、肉親に対する情、心配、恐れる心が全部出てきて、早く家に帰るため、本心に背いて、付き添っているおばあさんに自分の代わりに「保証書」を書かせることに同意しました。「邪悪に協力しません」という要求を忘れて、大法と尊師に申し訳なく間違ったことをしました。

私達は洗脳班で、半月拘禁されて、家に戻されました。2003年2、3月、隣村のある同修は真相はがきを郵送したため、警官に不法に連行され、1カ月後、労働教養所で「転向」させられ、私の名前を言い出しました。5月、警官は大捜査を始めて、紅石崖鎮からスタートして、王台鎮で4人を捕まえ、20数人を巻き添えにして、青島の洗脳班へ送り、労働教養を科しました。

ある日の午前、私は自営業の工場で仕事をしているとき、派出所所長・庄懐闘が数人を連れて来て、私を無理やり車に乗せ、車にもう1人の大法弟子がまだいましたが、私達を紅石崖大酒店まで不法に連行しました。

部屋の中で、610弁公室の於という警官に立ったまま動くなと言われて、あれこれ聞かれ、またメガネをかけている背が高いもう1人の男にひどくびんたをされました。びんたで手が痛くなったら、革靴を脱いでさらに私の顔、頭をひどく殴りました。庄懐闘も入って来て、握りこぶしで私の身体、頭を激しく殴りました。庄懐闘は、私の後から手錠をかけられた両手を上に持ち上げて、私に「保証書」を書かせようとしました。

連続3、4日間、彼らに殴られて罵られて、ご飯を食べることや、水を飲むこと、眠ることも許されず、時にはトイレさえも行くことを許されませんでした。5、6日後、私達4人は大山留置場まで連行されて、身体検査をされた時、私達の体温がとても高く、当時ちょうどSARS(サーズ)が流行っていた時だったので、体温が高いと留置場は受け入れません。滕という警官は私達に無理やり薬を飲ませましたが、体温はやはり下がらず、私達の病気治療に使うようにと金を渡して留置場はやっと受け入れました。1カ月後、不法に私達に2年も労働教養を科しました。

王村に行く日の午前、身体検査で、私達はみな体温が高く、病気になっていたので、労働教養所は受け入れません。滕という警官はずっと日暮れまでねばって、最後に、また受付にお金を渡して、私達の病気治療に使うようにと言って、無理やりそれぞれに千元を渡して、労働教養所はやっと私達を受け入れました。

私は5大隊まで配置されて、その公安部門の幹部と警官はとても悪辣でした。その後、また4大隊に配置されました。4大隊の公安部門の幹部と警官らは、表面は温和で善良で、人に対してとても優しそうですが、彼らも中共に害毒されて、大法弟子を迫害することに参与し、偽善的な一面から私達の正信を和解しようとしました。毎日、猶大という人に私達を「転向」させようと、迫害に来させ、「転向」しなければ、寝かせず祝日などに、見た後に「感想」を書かされました。

労働教養が満期後、村に帰っても、村幹部は依然しょっちゅう私生活を妨害に来て、監視されましたが、私はもう彼らに協力せず、法輪功を新たに修煉するという厳正声明を書きました。

2009年7月11日


(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/6/7/202305p.html