日本明慧
■印刷版   

真に「他人のため」になったとき


文/中国大陸の大法弟子

(明慧日本) 先週、私のプリンタが故障しました。十数枚を印刷してからすぐ、紙が詰まったというエラーメッセージが表示されました。よく見ると、何も詰まっていません。なぜだろう、きっと妨害があったのだと思いこんで、自分の心を落ち着かせて発正念をしました。それで再び印刷をスタートしましたが、十数枚のところでもう一度エラーになりました。何回も繰り返したのですが、私は自分のことを探してみなければならないと思いました。

 最近のことを振り返りました。私の要求に協調の同修が協力してくれなかったため、とても落ち込んでいました。大法の仕事に対してもやる気がなくなり、やるとしても仕方ない状況でした。受け身で動かされて、学法も緩め、発正念も途切れてしまいました。実は、放下していない執着に駆使されて、法と大きく離れてしまい、かなり危険の境地に陥っていたのです。当時、自分が法に適っていると思っていた認識は、今振り返ってみると完全にわがままであり、他人に受け入れられるかどうかを無視した行為です。このような無理な要求に対して、協調人は何度も私と交流していました。私はかえって相手が頑固だと思い、人の非をたくさん探しました。私はどれほど劣っているかを悟りました。この事から私は完全に「私」の一字でまとめられます。自我に固執した私は、人を包容する協調人とくらべて、なんと情けないことでしょう!


 ここまで考えて、一人の同修が来て、一緒に発正念しましたが、プリンタはやはり治りませんでした。私は仕方なく、十数枚印刷してから再起動して、もう一回印刷しました。機械が壊れたと言うものの、印刷の効果は悪くありません。しかし、十数枚で必ず一回止まります。もともと速く終わるものですが、数時間費やしても終わりませんでした。では、協調人に頼んでみようと思いましたが、よく考えたらこれは明らかに機器の故障ではありません。協調人はあんなに忙しいのに頼むと迷惑です。自分で解決しようと思いました。これで、少し私心ではない考えが生じ、事が良くなる兆しが現れました。

 翌日、インターネットで同修がプリンタの紙詰まりについて書いた交流文を読んで、私も試してみようと思いました。電源を入れて、カバーを開けて中を覗き、どこもおかしい所はありません。明らかに紙は詰まっていません。と思いきや、急に、移動タンクの左にしわしわになった一元紙幣を見ました。一ヶ月前に真相紙幣を印刷した時に、一枚足りなかったことを思い出しました。当時、自分が数え間違ったかなと思っていましたが、実はここに挟まっていたのです。私は丁寧にそれを取り出して、これのせいだと分かりました。しかし、なぜ紙が詰まり、この移動タンクの端に挟まれていたのでしょうか? しかも、これほど長く続けて印刷していました。ここまで思って、私はのどが詰まり、涙が出る寸前でした。師父が啓示されているのです! 師父が慈悲に思い、弟子が他人のために考えたのを見て問題を解決してくださったのだと思いました。

 実は、師父はまさに私たちに他人のための正覚(悟りを開く)に修めるようと教えられています。常に人を優先にして、何かがあったら人のことを先に考慮して、真にこうすればきっと「柳暗花明」(悪い境地から良い方向へ向かう)となります。この『転法輪』の中で師父が繰り返し説いておられることを今やっと悟りました。情けないことです。私たちの修煉を照らし合わせてみると、トラブルに遭って、同修との対立が起きた時に、もし相手の立場に立って少しでも考えていれば、結果は違うはずです。さらに必要のない内部の消耗も省くことができます。

 このことを書き出して、私と似たような「他人のため」に気づいていない同修と共有したいです。足りないところはご指摘ください。

合掌

2009年7月13日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/7/5/203988.html