日本明慧
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束縛から解放され、最後の道を正しく歩む

(明慧日本)最近、自分の修煉が停滞していることに気が付きました。法を勉強して、三つの事もやり、生活も普通にできて、全てが順調なのですが、何か突破しなければならないものがあるように思いましたが、どこから突破したらいいのかが分からずに悩みました。同修に指摘を求めましたが平然と受け入れることができませんでした。甲同修は、私が他人の意見や見方を受け入れることが出来ず、意識的、或いは無意識的に優越感を表すため、同修たちは私の欠点を言い出せずに、当たり障りのない話だけを話していたというのです。大法の活動中、矛盾や問題点がある場合も、他の同修の考えをよく聞かず、いつも自分の意見に従うように指摘しました。私は同修の指摘を嫌がり、同修は私の事を針小棒大(物事をおおげさに言うこと)に扱う人間だと思っていました。

  娘は今年大学を卒業して就職します。彼女は大法を十数年修煉し、就職に関する見方が透徹しています。私は娘の見方を支持していますが心中は嬉しくもあり、心配もしていました。嬉しいことは娘が自分の将来について、大法に基づいて考え、外部の動きに動揺しないことでした。心配していることは、娘は私のアドバイスを一切聞かず、自分の主張を堅持することでした。娘に対して、私は文句や不満、落ち込み、仕方が無いなどと思う多くの執着心が現れ、それは自分に問題があるということを全く考えませんでした。

  今朝、法を暗記する時、師父の教えが目の前に現れました。「したがって、彼らから見れば、人間の生命は人間になるためのものではなく、返本帰真して、元に戻るためのものです。常人はそれを悟ることができません。常人は、常人社会において常人にほかならず、いかに発展しようとか、いかに良い暮らしをしようとかばかり考えます。贅沢な生活をするほど、私心が強くなり、ますます多く占有しようとし、ますます宇宙の特性に背き、滅亡に向かうのです」(『転法輪』) 師父の言葉は私を豁然として悟らせました。私は人間の観念や名利を追求する闘争心を子供に教えて汚染させました。私は娘を同修として扱わず、就職の件も、お互いの修煉を向上させるチャンスとして捕らえませんでした。はっきり言えば、「私」を固守し、常人の境界の中で徘徊していたのです。 

  内に向かって探した後、私は少しホッとしましたが、まだ根源まで探していないと感じました。その時、甲同修の指摘を思い出しました。私はいつも「自我」を堅持し、他人は私の願望のもとで事を始めなければなりません。同修間でも、家庭の中でもそうでした。長い間、私の喜怒哀楽は家族の情緒と繋がり、他人は私の表情、言行を見ながら事を行っていたのです。自我という根っこから顕示心や、闘争心、嫉妬心、名利心などのたくさんの枝と蔓が生まれ、数年の修煉の中で多くの枝や蔓を切り取りましたが、根本的なものを切り取ることができていませんでした。時々、根っこから色々な執着心が生じてきて、波が現れた後また内に向かって探す、このような状態を繰り返していました。

  その日の夜夢の中で、私は泥濘(ぬかるみ)の坂道を一歩一歩上り、家の門の前にある大きな蓮の花が風の吹くままに揺れ動き、前には鏡のように澄みきった湖がありました。今回の夢は私の以前の軽率さと焦りを洗浄してくれ、落ち着かせてくれました。同時に、長い間完璧の裏にある多くの欠点を見つけることができました。私はこれから直します。「私」のための物質を消してこそ新しい宇宙の生命になれるのですから。

 2009年7月14日


(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/6/23/203212.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2009/7/9/109028.html