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家庭環境は自分の修煉状態の表れである


文/大陸大法弟子

(明慧日本)修煉者として、常人の生活にどのように対処すれば良いかの問題で私は長時間迷いました。修煉者は常人の状態に符合して修煉していますが、自分が大法弟子であり、歴史の使命を背負っていることを自覚すべきです。しかし、時には、思わず修煉の状態から離れる現象が現れます。常人の中の物事を、内に向って探さず、正念を持って自分が出遭った一切のことに対処しませんでした。時には、真相を話す時、無意識に悪党の迫害を人が人に対して行った迫害だと認識しました。これも正念が足りないためにもたらされた表れです。

 法理は分かっているように見えますが、具体的な事に出会ったら、正念が足りない現象がありました。時には正念が満ちて、一切のことを良く行いましたが、時には正念が足りず、常人の形式に留まり、焦りながら結果を求めました。一言で法をよく学ばず、修煉中自分の考えをよく制御しませんでした。問題は結果に執着し、自分の感受を重く考え、一回一回真相を話す機会を見逃しました。

 修煉者が肝心なところで自分が正法時期の大法弟子である事をしっかりと自覚し、正念が足りれば、何でも出来ます。日常の生活の中で、往々にして常に純粋な考えを保たないと、容易に常人の思惟に陥り、人の形式に留まります。甚だしきは真相を話す時常人と争い、もともとは神聖なことを、神聖に行わず、真相を知らない常人に私達が政治に参与しているように誤解させ、大法に泥を塗りました。

 私はかつて不法に労働教養所で迫害されました。帰ってから人の情が正念に代わり、夫が私のため苦難に遭ったため、夫にもう心配させたくない、夫に私のため失ったものを返済しようとする心がありました。結果、夫は常に私のせいで何々を損したと不満を言いました。誰かが大法のためどのくらい払ったら、どのくらい得るもので、善悪には報いがあり、さらに大法弟子の家族は大きな善い報いがあるという、こんな根本的なことを思いつきませんでした。そのため家族には良くない状態が現れました。私が法理をわかってから、夫は不満を言わず、私も常人のような不安な気持ちがなくなり、正念でこのことに対処することができました。

 修煉の過程で、夫の私に対する妨害は大きいものでした。夫は常人の中でも頑固な人で、私がどのように彼に話しても、ずっと私が無知だと思いこみ、私が何を話しても反面に理解していきました。その度に私は苦しく、どうしようもないと感じました。同修は、私が世の中の生活に執着していて旧勢力が私を妨害していると話しましたが、98年に修煉するとき、夫は反対しないだけでなく、私が姑を連れて講法の録画を見に行くのを支持しました。99年7月20日以降はだんだん大法に抵触していきました。これはいったい誰の問題でしょうか、私はどのようにすればいいのでしょうか?

 引越しや、子供を生んだりしたので、長い間同修と離れていました。再び正法の勢いの中に入ってから、絶えず内に向って探すにつれ、私も正念を持って問題を考えることができました。常人の理は逆のもので、私は時々刻々に正念で一切を対処しました。以前私は常人の中の理のために争い、常人の理では私が正しいですが、大法に照らしてみると、修煉して修めるべき執着でした。私は何のためにここまで来たのか、常人の理のために存在するのか、争って何の意味があるのか、これらは全部捨てる執着ではないかと悟り、私は大法によってはかり、常人の事に執着しないようにしました。

 幼い時から身についた人に言われることを怖がる心が頑固で、捨てることが難しく感じました。私は常人の一切が偶然でないことを知っています。99年「7.20」以降夫があんなに悪くなったのは、私に大きな責任がありました。私達修煉者がよく行っていないと、本当に衆生を駄目にします。後で、私が良く行っている時は、師父も常人の口を利用して私を褒めて励ましてくださいました。

 常人が私達に対する態度に執着すれば、自分をよく修められないと感じました。自分が

 常人の中の地位、形象に執着したら、真相をよく話すことができず、衆生を救うことができません。「常人の観念で法を正すことと大法弟子の修煉形式を量らないでください。いつも常人の心のために、皆さんの認識を高める過程を長く延ばさないでください」。(『新年の挨拶』) 最後の多くない時間をしっかり精進し、常人の考え方から飛び出して、神の正念、正法修煉者の考え方で法を実証し衆生を済度しましょう。

 2009年7月16日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/7/11/204320.html