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執着心を放棄し、最後の道をしっかりと歩む


文/中国大陸の大法弟子

(明慧日本)師父は長い間修煉者に説法をしておられませんでした。今年の6月7日に『二〇〇九年大ニューヨーク国際法会での説法』が明慧ネットに発表され、私たちの地域の大法弟子は心を落ち着かせて学び、また一緒に切磋して交流しました。交流では二つの点に対する認識について、偏した修煉者がいました。

一、正法は長くて終わらないと思っています。法が人間界を正すのはまだ数年先のことだと認識して、待っている中でどうにもならないと思っています。
  
 今回、師父が第一に話されたのは、「先の見えないこの修煉環境、長い寂しさは最も忍び難いのであって、人間が最も緩みがちなのです。これは修煉の中の最大の試練です」で、師父が私たち一部の修煉者の心の中の苦しみを話されたと気づきました。以前、この残酷な迫害の中で、一部の大法弟子たちが早く迫害が終結することを望んでいることを直接言えないままでした。未だに、共産党建国60周年を守るなどの理由をもって、610弁公室は去年のように大法弟子の尾行、監視を強化し、さらに厳しい状況が続いています。

二、今回師父が説法された中で、大審判を話題にされました。特に宇宙の衆生、各種の生命、負の作用を働く生命、正の作用を働く生命が、すべて大審判に直面する問題を話されました。私は前世でどんなことを願ったのかと思いました。もし、師父の正法の中でしっかりと行えなかったら、圓満どころか、どんな結果になるか分からないのです。

 以上の二点について、自分の簡単な観点を述べたいと思います。一、大審判は現実に起きると言うと、時間を気にする執着心が現れてしまいます。師父はまた明白におっしゃいました。「しかも最もひどく迫害されているのは中国人であり、それは旧勢力による皆さんへの妨害であり、そのため彼らはここまで迫害されたのです。ですから、なおさら彼らを救い済度すべきです」(『二〇〇九年大ニューヨーク国際法会での説法』) 個人の意見を口論するよりも、心を多くの衆生を救い済度することに置くべきです。これは自己中心なのか無私無我なのかの区別で、私心と正念の分け目です。大法弟子は正念を持って自分に要求すべきです。

三、大審判に関する説法は、キリスト教の『聖書』の中で確かに書かれており、誰でも知っていることです。佛道両家は大審判についで述べていませんが、人間は死後六道輪廻に入り、業力によって審判されます。私たち大法弟子は師父の正法を手伝う中でどの程度尽くしたのか、落ち着いてはっきりと考え直すべきです。以前しっかりと行えなかった人は、今からただちにしっかりと行うべきです。こうすることは積極的で正念に満ちている証拠です。

 皆さん、修煉を怠けてはなりません。いつも師父の正法に遵い、衆生を救い済度する使命を忘れてはならないのです。落ち込んで、貴重な時間を浪費し続けてはなりません。これからの時間は、師父が私たちに人を救うことに使うための時間なのです。

2009年7月17日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/7/13/204436.html