嫉妬心に対する自分の認識
(明慧日本)師父は「二〇〇九年大ニューヨーク国際法会での説法」の中で、同修が法を実証するプロジェクトを行う中で他の同修の按配に従わないことについて言及されましたが、実際、私も以前同じ経歴がありました。私よりよく修めていると感じる同修から按配してもらったら、文句なく喜んで従いましたが、よく修めてない同修(自分の判断)の場合はやる気がなくなりました。甚だしくは、集団交流している時も、自分より悟りがよくない同修が交流するときに、よく悟ったような様子であるときは焦りました。同修に指摘してあげても聞かない時はもっと焦りながら、心から「悟りが間違って、指摘してあげたのに聞かないなんて」と考えました。
後で、学法をする中で自分に強い嫉妬心があるのに気付きました。師父は『転法輪・嫉妬心』の中で次のようにおっしゃいました。「ところで彼のグループにあるいは同じ事務室に、何をやっても駄目で、何の取り柄もない人がいたのですが、ある日のこと、彼ではなく、その駄目な人が抜擢されて、しかも彼の上司になってしまいました。彼は心のバランスがとれなくなり、あちこちで不満を訴え、心中穏やかでなく、この上なく嫉妬するのです」 自分よりよく修めてない同修から按配してもらった時に従わない心理状態は、その駄目な人が自分の上司になってもらうことと何が違うのでしょうか。交流する時のことも同じで嫉妬心が作用していました。穏やかな心理状態で同修の不足を指摘し、同時に寛容な心で同修に向上する時間を与えるのも必要ですが、なぜ焦るのでしょうか。実はこれも心のバランスが崩れて、自分よりよく修煉していない人は、自分より低い姿勢を取るべきだと思い込んだからです。
自分のちょっとした悟りなので、同修のご指摘をお願いします。
2009年7月18日
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/7/17/204674.html)
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