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四川省成都市:頼祖華さんは自ら経験した迫害を語る

(明慧日本)四川省成都市の60歳過ぎの頼祖華さん(女性)は、2004年5月真相資料を配っていた時、警官に連行され、不法に自白を強いられ、連続3日間睡眠を奪われて、強い光を照射された。2005年3月、頼さんは不法に判決を言い渡され、2007年5月、刑期が満了した後、再び洗脳班に移送され、同年7月、やっと釈放された。下記は頼さんが自ら経験した迫害を語ったものである。

 連行

 私は頼祖華(64歳女性)で、四川省成都市環城1路東2段15号に在住している。2004年5月14日、私は110式(220枚)の法輪功の真相資料を持って玉龍町で、2枚を配布した途端、待ち伏せていた陳世忠に連行され、近くの派出所に送られた。

 14日夜10時から16日朝6時にかけて、西御河派出所の警官は私の睡眠をずっと奪い、三つの電気(100ワット以上)を使って同時に三方向から私を照射した。その期間、私に手錠を掛け、警官はひっきりなしに資料の出所を尋ねた。わたしはずっと真相を伝え、16日朝6時に正念を持って派出所を出た。

 安全のため、兄は友人の家に私を移した。しかし、警官は家族や兄を訪れて騙し、翌日の5月17日正午12時過ぎ、兄と警官が突然私の前に現れ、再び私は派出所に連行され、夜9時成都市留置場に入れられた。

 不法に自白を強いられた

 5月19日朝8時過ぎ、西御河派出所の警官は留置場から私を近くのあるところに連れて行った。派出所の出口でパトカーに乗った途端、警官2人はすぐに私に手錠を掛け、目隠しをして行き先を私に隠した。

 到着した後、2人の警官は私を真ん中に挟み、歩いてある部屋に入ってドアを閉め、目隠しを外し、長い椅子に座らせ、両手を椅子の足に錠を掛け、再び強い光で私の顔を照射し、再び資料の出所を審問した。時に私の両手を椅子の足元に錠を掛け、結局、私の腰はまっすぐに出来なくなった。21日の夜9時過ぎてから、私から何も審問できなかった警官は私を留置場に戻らせた。この期間、私を3日間寝かせなかった。警官はこのように60歳過ぎの年配者を痛めつけた。

 私に判決を言い渡すために、警察は事実を歪曲し、110式(220枚)の資料を220式(440枚)と記録した。弁護士は共産党の悪法では300枚を上回ると刑罰を下すことになっていると教えた。

 不法に判決を下す

 

 2005年2月4日、1回目開廷され、審判官は「何か言いたければ言ってもいい」と言ったため、私は、「法輪功は『真・善・忍』を煉功者に教えており、煉功者は『真・善・忍』に従ってより良い人間になるので、間違っていません」と話した。また、審判官の邪教論について、私は「法輪功には宗教のようなルールがなく、宗教のような教義もなく、教会堂もなく、入会手続きなど一切無く、『教え』さえないのに、どうしで邪教と言えるのですか」と述べた。

 審判官は「お前の考え方を改造してやる」と言うと、金槌を叩いて休廷した。2回目の開廷は3月の終わりごろになった。私の弁護を全く許さなかったのに、3年の判決を下した。私はサインしなかったが、審判官は「代わってサインしてくれ」と言いながら現場を離れた。

 2005年4月23日、私は不法に四川省女子刑務所に送られ、2007年5月16日に刑期が満了した。家族は2日早く派出所へ訪ねに行ったが、「家で待ってくれ」と言われた。

  洗脳班に連行

 5月17日、警官は「お前はあるところに行かなければならない、向こうはもう用意してあるから」と言って、私を成華区法制教育中心の洗脳班に入れた。7月3日、私はやっと釈放された。

  2009年7月20日


(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/7/17/204662.html