■日本明慧 http://jp.minghui.org/2009/07/21/mh235516.html 



山東省膠南市:610弁公室および王村労働教養所の私への迫害

文/王鳳梅

(明慧日本)1999年7月20日に中共政権が法輪功を迫害し始め、恐怖が全国各地の法輪功修煉者の間へ天地を覆う勢いのデマが広がり、いわれなく罪を着せられた。私たちの村も例外ではなく、法輪功修煉者すべてをブラックリストに登録し、一同に集められ、無理やりいわゆる「保証書」を書かされた。

 法輪大法は最も正しいので、政府は状況を知らないから間違っていると思っている。同修と法輪功の真相を人々に伝え、横断幕を吊るし、真相資料を配り、法輪大法が素晴らしいと人々に伝え始めた。法輪功修煉者が真実を言うので、同修たちは絶えず連行され、拘禁され、でっち上げの罪を着せられて労働教養処分を言い渡され、邪悪なアジトでひどく洗脳され続けた。

 2003年5月のある日の夜、数人の同修が強制連行され、王台警察署に拘禁、隔離され自白を迫られた。連行に関与したのは膠南610弁護室、王台警察署、紅石崖警察署で、数台のパトカー、20数人の警官が出動した、中の荘、滕という人は最も凶悪であった。

 警官は私を椅子に縛り付け、私のベルトを外して両足を縛った。イスに縛られ肩は曲がった。警官は皮靴で私の両足を強く蹴り、髪の毛を掴み振り回した。しばらくして痛くて失神した。警官は殴るのに疲れて、ビニール袋を頭にかぶせ、締め付けた。しばらくしたら息ができなくなった。

 何日苦しめられたか覚えておらず、自分の忍耐が限界に来ていると感じた。精神と肉体の苦しみがもたらした苦痛は言葉で表現できないほどだ。その時期はちょうど新型肺炎が流行している時期で、警官は私に労働教養させるために熱を下げると言って強制的に点滴を打ち、私と同修を「法輪大法は素晴らしい」と書いてある所に連れて行き写真を撮った。私と同修は手錠を掛けられ、長い髪を振り乱され、顔に青や紫色の跡が付いた。もし警官に協力しなければ、平手打ちをくらわされ、侮辱された。

 何日苦しめられたか思い出せず、また私たちを青島大山に移送した。そこで1カ月迫害されて、王村労働教養所に送られた。

 王村労働教養所に行く途中、空が暗く小雨が降っていた。車の中では一つの手錠を2人にかけていた。指でなでつけたら、手錠が落ちて、車から飛び出した。高速道路で私は遠くまで転がったが、脱出できず、警官に連れ戻された。頭は出血し、肩を怪我して、身体は血だらけだった。他の同修は労働教養所に移送され、私は病院に移送された。病院で毎日手錠を掛けられ、その状態で点滴を打ち、1日5、6瓶の点滴を打った、家族の面会も拒否された。傷はまだ治らないまま、膠南610弁公室が労働教養所に送り返そうとしたが、他のいくつかの病院で検査しても労働教養所に収容される基準を満たさないため、労働教養所は引き取りを拒否したが、何度も贈り物をされた挙句、受け入れた。このようにして私は不法に3年間の労働教養を科された。

 この邪悪なアジトで、私は一大隊に分けられ、「転向」を強いられた。もし「転向」を拒否すれば眠らせないと、二夜連続で苦しめられた。警官に協力しないと、彼らは非人道的な手口を使う。師父の肖像を持ってきて、法輪功修煉者を専門に説得する2人が私の足で師父の肖像に踏みつけさせた。私は涙が枯れるまで泣いた。これが私の「転向」された経緯である。その後、私は法輪功を煉功しないという声明文に「法輪大法は素晴らしい」と書いた。警官はこれを見て、「反逆者だ」と言い、私を眠らせず、トイレに行かせなかった。寒い冬、外は大雪が降っている中で、労働を強いられた。

  2009年7月21日


(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/7/18/204763.html

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