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ナショナル・レヴュー誌の報道:府右通りで起きた中南海事件の真相(写真)

(明慧日本)法輪功修煉者が迫害停止を求めて十年にあたり、アメリカ経済界の専門家で、「新中国を失う」の著者であるEthan Gutmann氏は7月20日、アメリカの権威ある雑誌「ナショナル・レヴュー」(National Review)に文章を発表し、1999年4月25日に発生した中南海事件について調査を行い、その真相を記載した。文章は長年、中南海事件に関して欧米マスコミはしばしば中共の(報道)言論を引用してきた。即ち、中共の法輪功に対する迫害は4.25の法輪功修煉者による中南海の取り囲み事件に起因すると思われるが、Gutmann氏の調査により、事実は中共の報道と大きくかけ離れていることが証明された。
アメリカ経済界の専門家で、「新中国を失う」の著者であるEthan Gutmann氏


 欧米の法輪功に対する報道は一面的

 Gutmann氏は十年前、1999年4月25日に友人の披露宴に参加していた時、数多くの中国民衆が中南海の国務院の外に集まっているという話を聞いた。すぐ「華南早報」の友人に電話をかけて確認したが、友人は「この団体の名前は法輪功のようで、中国国内に多くの信者を持つ宗教団体の一つのようだが、詳しいことはあまり知らない」と返信した。

 当時、法輪功に詳しい人はあまりいなかったが、その日の集会の規模は本当に驚くべき数だった。一万人あまりの法輪功修煉者が静かに中南海付近の国務院の外に立っていた。これは天安門事件以来、最も規模の大きい集会となった。同様に驚くべきことは中共からの残酷な迫害である。迫害が始まった日は同年7月20日だった。

 法輪功修煉者はかつて7千万人に達していたが、中国国内の記者達はあまりよく知らず、欧米マスコミの法輪功に対する報道は、なおさら少なかった。

 ワシントンDCの政府関係者らは法輪功を問題のある団体とはみなしていない。これら政府関係者は天安門事件の記念活動(集会や公聴会を開くなど)への参加などに熱中している。たとえば、アメリカ国会議員Nancy Pelosi氏(民主党リベラル派、08年G8で来日)は上海にしばしば人権への支持声明を発表した。欧米のマスコミは「天安門事件において、体で戦車(バトルタンク)を阻止する様な人が現在どこにいる」というような文章をしばしば発表する。それに対して、法輪功団体が中共の大使館と領事館の前で開催する集会に参加するのは、わずか300人たらずである。彼らは往々にして法輪功修煉者からなる5000人のパレード隊列が大使館に到着して開催する集会に参加し、数名の国会議員が集会で発言するかもしれないが、数多くの議員はわざと法輪功と距離を保って自己保身を図っている。法輪功団体の開催する集会に参加しないことは彼らの政治生命にいかなるマイナス要素をも、もたらすことがないからである。だから、これがマスコミのこれらの活動についての報道が少ない理由である。これらのマスコミにとって、法輪功の活動を報道することは、一つの小さな公益事業とみなしているようだ。

 法輪功の功績から見ると、政府関係者とマスコミの法輪功に対する態度は非常に摩訶不思議に思われる。法輪功団体は中共の大規模なネット封鎖を突破した唯一の団体である(イランの政治見解の異なる人々は法輪功団体が開発したソフトを利用してネット封鎖を突破して真相を知ることができた)。法輪功団体が経営するテレビ局は、今までに中国に向けて放送することができた唯一の独立したテレビ局であり、毎日24時間放送している。法輪功団体が経営している中国語日報は唯一中共と異なる声明を出すことのできる中国語新聞であり、また、法輪功団体が運営している短波ラジオ局は唯一の実質的な意義を持ったラジオ放送である。

 欧米マスコミは中共の4.25事件についての報道を受け入れた

 もし、マスコミが血生臭いニュースに最も注目するという観点から見れば、毎年6月4日に中共大使館前で開催される集会に参加した一人は、約3、4人の天安門事件の罹災者を代表していることになる。法輪功団体に対しては、最近になってやっと我々は彼らが引き受けてきた災難を推定し始めたが、少なくとも3千人余りの身元が確認された法輪功修煉者が中共の拷問と虐待により死亡したという。

 私の最新研究によると、少なくとも一万人以上の法輪功修煉者が臓器狩りの対象とされて謀殺されたと思われる。本当の数字はこれを遥かに超えていると私は確信している。なぜなら、法輪功修煉者への臓器狩り事件がまだ続いているからである。集会に参加した5千名の法輪功修煉者は、一人が10人或いは20人の被害者(労働教養所、留置所、精神病院、各種の移植センターで虐殺・謀殺された者)を代表すると仮定するならば、私の同僚であるLeeshai氏の数量分析によると、アメリカのマスコミの法輪功への注目度は死亡者数の増加と共に減少している傾向を示しているという。

 法輪功団体が迫害を受けてから今日まで10年にあたり、過去を省みると、西洋社会の迫害に対する反応は中共政権の法輪功への迫害に加担することになっている、といっても過言ではない。西洋社会の犯した過失の源は、当初西洋社会が中共政権の4.25事件への報道発表を受け入れたことにある。

 欧米マスコミは中南海を包囲するという言葉を用いて4.25事件を説明

 1999年4月25日、晴れ渡った青空の下に一万人あまりの法輪功修煉者が秩序を保ちながら中南海を「囲んでいた」(AP通信、ロイター通信の言葉)或いは中南海を「包囲した」(AFP通信)が、中共はまったく防備措置をとらなかった。法輪功修煉者が中南海を包囲し、中共指導部に脅威をもたらしたという報道は、実は中共の特有の思考方式である。このような言い方は法輪功を研究するあらゆる文章に繰りかえされて引用され、法輪功修煉者に対する誤解の元となっているようである。法輪功修煉者でさえこの歴史を釈明するのを難しく感じている。彼らは通常4.25を中南海集会と言う。

 法輪功修煉者はデモという言葉をあまり好まない、この言葉は下品な言葉のようで、中共もこのようにデモという言葉を見ている。どの言葉を使ってこの陳情活動を解釈しても、このデモは中南海に対するものではなく、政府機関に対するものでもない。周知のように中国において中共だけが歴史に対する解読権と解釈権を持っているのは事実である。

 外交エリートたちでさえ誤った考えを持っている

 ベテラン外交専門家であるキッシンジャー氏はかつて天安門事件に関して「首都の主要広場で一万人あまりの抗議者に2ヶ月以上占められることを許す政府はこの世界に一つもないだろう」と明言した。オバマ政府が最近任命したアメリカ国家情報委員会の主席であるフレーマン氏も天安門事件について同様な発言をした。

 外交エリートたちでさえ天安門の学生運動に対してこのような論調で言い出すのに、あまり知られていない東洋の伝統修煉に対してどのような言論をするかは想像できるだろう。彼らは「ここは中国だから、それは法輪功の自業自得だ」というかもしれない。或いは言葉遣いにちょっと工夫して「法輪功への迫害は中共の4.25事件に対する反応であり、さらにその後の悲しいことをもたらした」というかもしれない。これらの言論からは法輪功団体があまりにも他人に弱みを捕まえられるかのような印象を受ける。

 1996年、法輪功書籍の出版は禁止された

 法輪功修煉者が自ら積極的に殉難したい、或いはどこからの指示を受けて、皆労働教養所に入って虐待されるよう、若しくは移植センターに行って臓器狩りをされるようという説は非常に納得しがたい。もしあなたがこのような説でさえ信じるならば、よくこの十数年の歴史を顧みてほしい。そして、4.25活動に真摯に参加した法輪功修煉者をインタビューし、4.25前に発生した一連の4.25事件を引き起こす引き金になった出来事について調べたほうがいい。

 中国の社会構造はいつもピラミッドになぞらえられる。それは帝国の尊厳と屹立して揺るがないことを表している。中共統治下の中国社会はより早期に発射したロケットに似ている。野望に満ち、いい加減に仕上げ、爆発して粉塵になる危険性が随時存在する。ロケットの最下層は大量の農民と貧乏な労働者からなり、第二層は学歴の高い人々、軍隊、企業主、第三層は新興した中産階級で、一番上にあるのは中共の官僚らからなる小さい宇宙船である。中共から見ると、中国の伝統的な道徳を重要視する法輪功はすでにロケットの各部分に浸透している。1996年、法輪功はわずか4年間で宇宙船の内部にも浸透し、これは中共の上層階級の注目を引き起こした。法輪功創始者である李洪志先生の著作「転法輪」の出版はこの年から禁止された。

 その後、中共は引き続き法輪功を監視したが、弾圧の行動はとらなかった。1998年初め、広い人脈を持つ法輪功修煉者・李さんは広州から山東の実家に帰省したところ、目の前の光景に驚いた。李さんの両親も法輪功修煉者であったが、法輪功のポスターと李洪志先生の写真が全部壁から取り外され、あらゆる法輪功の書籍がなくなっていた。中共の血生臭い運動を数回にわたって経験してきた李さんの両親は第六感の超能力をとっくに備えるようになっており、彼らは暴風が来る前の動物のように地下活動に入った。

 法輪功は虚言を暴露し、真相を伝える方式を選んだ

 1999年、中国公安部の推計によると、7千万人の法輪功修煉者がおり、中共党員より500万人超えているという。当時、中国科学院のアカデミー会員であった何柞庥氏は、天津のある雑誌に法輪功を誹謗する文章を発表した。何氏は中共の公安・政治法律委員会を主管している羅幹氏と相婿である。

 中国において、もしあなたがこのような状況を見たら、自分が打撃される対象に置かれていると分かる。この時、二つの選択肢がある。沈黙を選んでもよいが弾圧される可能性も大いに存在している。或いはあなたは抵抗を選ぶかもしれないが同様にあなたは弾圧を受ける可能性が高い。法輪功は虚言を暴露する、真相をはっきりと伝えるという道を選んだのである。

 天津で法輪功修煉者が逮捕され、法輪功は法律に照らして上申

 1999年4月22日、法輪功修煉者は天津師範大学に駆けつけ、対話を通して何氏の文章の掲載を取りやめるよう求めた。結局警察がやってきた。郝鳳軍氏(2005年から邪悪な中共と決裂すると宣言した)もその中にいた。郝氏によると、ほぼ警察署の全員が動員されて師範大学に行った。戒厳するように命じられ、現場まで駆けつけたら、状況は報告されたことと大きくかけ離れていることに気づいた。しかし、われわれには選択の余地はなく、現場の監視カメラが撮った映像から見て、数十人の座り込んだ人がいただけにもかかわらず警察は45名の法輪功修煉者を逮捕した。その後、法輪功修煉者は北京へ請願に行くようにと警察に言われた。

 その2日後、請願という言葉が法輪功修煉者の中に広がっていった。組織者がなく、リーダーもいない中、口から口へと伝わっていたのである。

 天津事件が恐ろしい先例を作ったとすべての人は分かった。家にいるべきだと思う人もいれば、デモではなく、真相を伝えるべきであると思う人もいた。4月24日には数多くの法輪功修煉者が北京へ向かった。彼らは尾行されていた。吉林省の一部の修煉者が駅で私服警察に止められた。彼らは「家に戻れ、天津事件はすでに解決した」と言われた。また一部の修煉者は瀋陽で止められた。20名の法輪功修煉者は直行電車で北京に駆けつけたが、北京駅に降りたあと、たくさんの法輪功修煉者がすでにそこにいることに気づいた。結局、ハルビンに戻る電車に乗せられた。

 国家上申局は詳細住所を公表しない

 中国上申局(中南海の付近にあるという)は詳細な住所を公表していない。このことはまったくおかしいことではない。私がインタビューしたすべての法輪功修煉者は地図上で中国上申局の場所を正確に見つけた人は一人もいない。謎のような中国上申局の住所は事件の肝心なところである。中南海の西側の壁は紫禁城に接しており、壁の外に府右通りがあり、府右通りの北側は文津通りと交わっており、そこは中南海の北側の壁となっている。中南海の南側に府右通りは長安大通りと交差している。

 中国上申局が文津通りと交わったところにあると思う修煉者がいれば、長安大通りとの交差点の近傍にあると思う修煉者がいた。一部の人は中南海付近の小路にあると思っていた。しかし、これらの小路の入り口は厳しい警備がしかれた中南海西側のドアの真正面にある。

 2009年4月25日の朝、法輪功修煉者である曾錚氏が自転車で府右通りに来ていたが、すぐに妙な雰囲気を感じた。彼女はかつて中南海で短期間働いたことがある。そこのセキュリティ検査が非常に厳しいことをよく知っていた。通常、そこにはたくさんの警備員が配置されているが、検問なしにはなかなか府右通りには入れない。7時になると、修煉者が続々と来た。彼らは府右通りに沿って中国上申局を探していた。このとき、府右通りの南側に警察が現れて、逆の方向に行くようにと法輪功修煉者に指示を出し、中南海の西のドアの真正面の小路の入り口に到着したところで、そこに立って待つように命じた。中国上申局の始業時刻が8時であると分かっていた曾氏は当時、政府側の準備がすでに整っており、われわれを待っていることを曾氏は強く感じていた。

 7時半ごろ、一組の若い夫婦が上申局に行く途中、紫禁城東側のお堀を経由した。数多くの兵士がジープに座っており、機関銃に銃剣が装着されているのを見かけた。8時になると、新婚の婁宏偉氏は中南海の西の門に駆けつけ、修煉者は非常に規律をよく守っているからトラブルは起きないと思っていた。彼女の話によると、当時は府右通りに人がいっぱいで、混乱が生じてもおかしくなかったという。8時半、一人の年配の法輪功修煉者である狄お婆さんは、長安大通りと府右通りの交差点に来て、道が修煉者で埋めつくされ、彼らの大多数は田舎から来て、安い布靴を履いていたのを見た。修煉者はみな携帯用の食品を食べていた。このとき、彼女はいわれもない恐怖感に襲われ、ずっと抑えていた焦りが爆発した。突然あるシーンが目の前に浮かんできた、それは10年前の天安門事件で中共が学生を残酷に虐殺したシーンであり、戦車の轟々とする音があたかも耳に響くようであった。

 警察の指示で法輪功修煉者は中南海の真正面に立った

 修煉者は中南海の西の門の真正面にある小路の入り口のところにぎっしりと並んでいた。上申局の小路から出てきた警察がますます多くなってきた。恐怖を感じた狄お婆さんは早くここから離れようとした。彼女はこそこそと人の群れから押し出ようとして、ようやく府右通りと文津通りの交差点までやってきた。このとき、大量の警察が東北方向からやってきて、中南海の真正面の文津通りに立つようにと修煉者に命じた。狄お婆さんはやむを得ず、友人の沙おばあさんと一緒に文津通りに立った。このとき、巡回のパトカーと大型バスが府右、文津と長安大通りを回り始めた。狄お婆さんは突然、バスやパトカー内のビデオカメラが修煉者に向かって映像を撮っていたことに気づいた。「もし私が撮られたら、警察は私を見つけることができるじゃないか」と非常に強烈な恐怖心に襲われた。狄お婆さんはこの恐怖に引っ張られてひそかに最初の列から後ろの列に移った(その後、狄さんと沙さんはそれぞれ三年の労働教養を言い渡され、曾氏は二年の労働教養を言い渡された。婁宏偉さんの夫は去年釈放された。)

 9時になると、朱鎔基首相が法輪功修煉者の代表と接見したが、江沢民は車で中南海の周辺を回って上申過程を見ていた。16時間の上申過程で、法輪功修煉者の挑発行為を記録したビデオや写真は一つもなかった。紙くずや吸殻ひとつなく、スローガンや記者のインタビューを受けることも一切なかった。一人の修煉者が皆ご飯を食べるようにと勧めたときに、すぐに異議が出された。理由はもし食べ物や飲み物を摂ったら、トイレに行く必要が生じ、そうすると、この辺の住民や店に大変迷惑をかけることになるからという。結局、中共は紫禁城に待ち伏せていた大軍を使う理由を見つけることができなかった。当日の夜、天津で逮捕された法輪功修煉者は釈放された。皆はほっとして静かに家に戻った。

 請願者は皆安心した気持ちで中南海を後にした。翌日、沙氏が中国政府関係の新聞を読んだが、文章は法輪功修煉者が中南海を包囲したとは書かれておらず、単に法輪功修煉者が中南海に集まったと報道していた。しかも、人々には修煉する自由があると報道した。その後、中国政府関係の新聞は今回の請願活動をテロ事件と描き出した。西洋のマスコミが法輪功に対してほとんど知識がないということは、中共の4.25事件の捏造報道にある程度市場を提供したといえる。

 その日から、法輪功修煉者の電話が盗聴されたり、煉功場所に警官が出没し、かなりの法輪功修煉者が職場で警告されたりした。中共は法輪功取締本部である610弁公室という組織を設立したが、この組織は秘密警察機構にあたる。すでに迫害体制が整っており、7月20日になると、正式に大規模な迫害が始まった。

 中共が法輪功を迫害することはすでに決められていた

 大規模な逮捕、監禁が開始された後、7月21日に法輪功修煉者たちは再び府右通りにやってきた。婁宏偉さんも行った。彼女の話によると、4.25と同様に政府官員が出てきてわれわれと対話することを待っていたが、結局やってきたのは数台のトラックと大量の警察であり、彼女達を連行したという。

 2000年から郝鳳軍氏は610べm校室に派遣された。彼の話によると、当時の監視室に法輪功修煉者に関する資料が非常に大量にあり、これらの資料は1、2年以内に集めることは不可能であるという。

 ある上層階級の官員の話によると、中共が法輪功を弾圧するのはすでに決められていたもので、その迫害のための準備もかなり前から企てられていたのだという。

 西洋のマスコミは、中共の言論報道を非常に信じやすい。中共は自ら歴史の舞台から降りるはずがない。西洋社会は真実の中国に直面するときがやってきており、ポスト共産主義を考えるならば、法輪功の歴史をよく知るべきである。今は外交上の一つの誤った認識「中国の内政に干渉してはならない」を正すときである。法輪功は、すでに単に中国国内のことではなく、国境を越えた人権侵害の問題となっている。

 法輪功がこの「戦争」を引き起こしたのではなく、起こしたのは中共そのものであり、中共はこれに対して全責任を負うべきである。

 2009年7月27日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/7/21/205000.html