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修煉の中、なおざりにされた私の貪欲な心

(明慧日本)私は1996年に修煉を始めました。古い弟子として勇猛に精進すべきですが、私は自分の安全を守るため、今なお知り合いにしか真相を伝えることができず、その伝えた効果もあまりよくありません。自分の修煉に不足があると分かるのですが、具体的にどのような不足かはずっと深く掘り下げていませんでした。最近いくつかの出来事に出遭って、やっと自分は充分に精進していないだけでなく、心の奥に深く隠れた「貪欲」があることに気づきました。このような不潔な心を持っていてどうやって衆生済度ができるでしょうか。

  例えば先日近所の百貨店で販促活動が行われた時、私は例年のように貪欲さを抑えきれず、家には買わなければならないものは何もないのに、600元ぐらいの買い物をしました。支払った金額は400元ぐらいだったので、私はとても自慢げに家に持ち帰りました。結局、夫にと買った靴は全然気に入ってもらえず、夫は返品だと堅く言いました。しかし、この靴以外の買い物は実は買う必要のないもので、返品に行ったらかえって100元ぐらい払うことになりました。本当に当初予測もしなかったことでした。

 もう一つは「インターネット使用料金払いで携帯電話贈呈」の販促活動に心が動じたことです。私は既に携帯電話を持っていますが、貪欲さに振り回されたため、知恵を絞って得か損かの計算をしながら、これは間違っていない、修煉と矛盾しない、販促商品を買うのは売り手と買い手両方に対してお得なことだ、修煉者の原則に違反していないと、自分の貪欲さの言い訳を探しました。

  しかし、その前に師父は何回も私にメッセージを送ってくださいました。例えば、お金を拾った後に、またどこかにお金が落ちて無いかと思って周りをチェックした夢を見たことがあります。もう一回は夢の中で金メッキの腕時計を拾ってとても自分のものにしたくて、持ち主に聞かれた時にやっと自分が修煉者なので返すべきだと思いつきました。目が覚めたらとても恥ずかしくて、どうしてこうなったのか、現実の中では自分は決してそうしないのに、と思いました。

  しかし、現実の中で似たような事が起こってもなかなかすぐに悟ることができませんでした。長年の貪欲さはこんなに頑固なものだと分かりました。長年の修煉の中、私は貪欲の問題に対してずっと重視していませんでした。例えば、『転法輪』の中に書かれている、北京の学習者は子供が宝くじを買った時に当たった子供用自転車を返そうとした部分を読む時、私はいつも納得できませんでした。つまり、自分が似たような事にあったら間違いなく自転車を返さずに手元に残します。長年学んでも大法を心の中に植え付けておらず、特に貪欲の問題においてとても深刻です。

  今日思い切ってそれを暴露したのは、反省して徹底的に不潔な貪欲さを取り除いて、厳粛に修煉の縁を大切にして、師父の慈悲な済度と衆生の私に対する期待に背かないようにしたいと思ったからです。今日から精進して、「恐れる心」の障害を突破して、大法弟子と一緒に早く家に帰ろうと思います。

  今朝煉功してから二度寝をしたとき、自分は家に帰る道にとても遠く遅れて、一生懸命皆さんを追っている夢を見ました。

  以上は現段階で私の少しの悟りです。明慧ネットに投稿するのは初めてなので、同修の慈悲なご叱正をお願いします。

  2009年7月27日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/5/6/200303.html