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しっかりと帰る道を歩むべき


文/山東省の大法弟子 浩青

(明慧日本)

 1.大法を修煉し、脳血栓の後遺症が完治

 私と家内は共に「7.20」前に大法の修煉を始め、家内は私よりも1年早く始めています。法を得る前は2人とも他の気功をしていましたが、家内が突然、脳血栓を発症しました。1カ月入院し、高額の治療費を支払い、やっと退院できたものの、ひどい後遺症が残り、左半身がまったく動かせず、介護が必要となりました。畑仕事や家事などはすべて私がこなさなければならず、その上、家内の介護もしなければなりません。苦しい事と疲労と悩みが一気に降りかかってきたのです。

 ある日、同じ市内に住んでいる法輪功修煉者の親戚が家内を訪ねて来ました。病気治療が出来ない気功は止めて、法輪功を始めるよう勧められました。その親戚は多くの実例を挙げ、法輪功の不思議な効果を説明し、さらに家内に1冊の『転法輪』をプレゼントしてくれました。その日から家内はずっと読み続け、3日足らずで手足に感覚が徐々に戻り、10日が過ぎたところ、自力で何とか歩けるようになり、1カ月弱で基本的な生活がほぼできるようになりました。そこで、隣の村の修煉者に5式の功法を教えてもらいました。

 家内の奇跡を目の当たりにして、私は心を動かされました。私は病気がないから修煉する必要はないと思い、サポートをし始めました。農村の女性は教育水準が低く、字が読めない人も、内容が理解できない人もおり、私はその人たちのために、読んだり、説明したりするようになりました。そうしているうちに、私も修煉の道を歩み始めました。

 当時の我が村には煉功点はなかったのですが、家内の奇跡が多くの人々を惹きつけ、さらに私たちの積極的な宣伝で修煉する人がだんだん増えていきました。そのうち、我が家で煉功点を立ち上げ、私がインストラクターとなり、口コミで人がどんどん増えていき、1年足らずの間に、四つの煉功点が相次いで立ち上がり、100人以上の人々が修煉の道を歩み始めました。毎日法を学んで煉功し、定期的に洪法し交流して、とても意気盛んです。

 2.迫害に遭っても、修煉する信念を曲げず

 「7.20」になって、中国共産邪党の大規模な迫害が始まりました。私たちはどうしても理解できず、こんなに良い功法をどうして修煉してはならないのか? 法輪功及び師父の名誉を挽回するために、私たちは陳情したり、チラシを作ったり、ポスターを貼ったりしました。昼間に資料を準備し、夜になってから配りに行き、夜中まで続きます。この活動は私たちの村のみならず、周辺の数十の村にも何回も資料を届けました。また、「法輪大法は素晴らしい」や「真善忍は素晴らしい」などと書いた小さな旗を作って街路樹に結び付け、一晩で数キロに渡り1本の美しい色とりどりのテープとなり、それはとても壮観でした。

 私たちが修煉をやめないため、共産邪党は私たちを妨害したり、後をつけたり、連行し、私と家内はそれぞれ相前後して4回洗脳クラスに、4回留置場に、私はまた不法な労働教養2年などで拘禁されました。当時は法の勉強や理解が足りないため、恐怖心、逃れたい心、古い観念や党文化への認識不足など多くの執着を取り除いていなかったため、旧勢力に隙に乗じられたのです。

 不法な労働教養所での拘禁中、私は共産邪党の圧力に負け、修煉を止めるという保証書を書いてしまいました。釈放されてから周りの修煉者のサポートで、特に師父の『至難の関から抜け出す』の経文の中で、「私は道を間違えてしまった修煉者が、これ以上間違いを重ねないことを望んでいます。これは、このような修煉者に対する師父の最後の説法かもしれません。機縁を掴んでください。無量の神々は皆さんを見ています。私と大法弟子も、あなたたちが戻ってくることを心待ちにしています」を勉強してから、私は、師父はまだ私を救おうとしてくださっていることに気づき、幾千年を待ち続けたことを無駄にできないと思い、明慧ネットで声明を発表し、再び修煉の道を歩み始めました。

 この10数年の歩みを振り返ってみると、何度も挫けたり、回り道をしたり、教訓もあれば収穫もありました。取り除いた執着心もかなりありました。たとえば、師父の『精進要旨』の中の「責任者も修煉者である」を勉強してから、責任者への執着を取り除いたこと、より多くの時間、大法の仕事をするために、金銭欲を放棄し、一部の収入源である果樹園を人に譲ったこと、また、子供たちは都会で独立して、生活条件はすべて良く、何度も私と家内を都会に呼び寄せようとしましたが、私たちはいまだに農村に住み、するべきことをしています。

  2009年7月27日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/7/4/203874.html