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揺るぎなく師父に遵い、最後の道を歩む


文/遼寧省の大法弟子

(明慧日本)私は1997年に修煉を始めて、12年になります。毎期の明慧文章、同修の素晴らしい文章を見ると、自分はとても及ばないと考えて、今まで自分の修煉体験を書きませんでした。私が知っている同修の中にも、このような考えを持っている人は少なくありません。修煉過程の中で、自分がどのような魔難を経験したとしても、すべて自分の業力からもたらされたことで、その中に自分が捨て去るべき執着心があったのです。大法を堅く信じて乗り越えたのか、それとも堕ちてしまったのか、これは全部個人の試練です。

 長年、ならず者の中共政権の統治下で、中国では人々が臆病で自分勝手になり、人の思想が歪曲されてしまいました。先日、大陸の某テレビ局は次のことを報道しました。路線バスに40人あまりの乗客がいました。ある人が3人の泥棒が盗みを働いているのを見て制止しました。そのため、その人は3人の泥棒にその場で殴られて3本の肋骨が折れ、血まみれになって倒れました。そのとき1人の人だけが前に進み出てその人を止めました。他の40人はずっとこの状況をただ見ているだけで動きませんでした。中国古代のような、是非の前で大義に徹し、正義のため身を捧げる精神は見られません。これがつまり長年党文化によって改造させられた後の中国人です。こんな環境の中で、修煉して人を救うことは本当に難しく、魔難も大きいと感じました。一人一人の修煉者は社会、家庭と親友からの魔難があり、その上、自身の思想業力もあります。

 迫害が始まったばかりの時、職場の上司、派出所の警察、家族親友などが一緒に私に圧力を加えました。子供の時から党文化で養われた重い闘争心で、誰かが私に法輪功について話したら、私は直ちに喧嘩をするかのように相手と争いました。後になって少しずつ闘争心を捨て去り、誰かが話しても、私は穏やかな心理状態で相手に真相を話しました。

 2002年に真相を伝えて留置場に監禁されました。当時、怖がる心と面子を重んじる心などの人心が一度に湧いてきました。私達数人は日ごろ職場で名もない小人物でしたが、千人を越える同僚の前でパトカーに乗せられて、心は口では言えないほど嫌な気持ちになりました。留置場で苦しくなり、座って夜を明かしました。自分でいろいろな執着心を見つけ、師父にご加持をお願いし、取り除こうと思いました。翌日になったら、そんなに苦しくなくなり、ちょっと楽になりました。私は、師父がこれらの良くない心を取り除いてくださったと分かりました。

  職場の上司たちが留置場に私達を見に来た時、彼らは私達の心の底から出てきた慈悲と穏やかな心理状態に驚いていました。彼らが考えていた如何なる苦しい表情も私達になかったからでした。後で上司が、彼らは以前、共産党員が刑場に赴くときよりも揺るぎなかったと話したのを同僚から聞きました(当然これは彼らの比喩で、中共党員は大法弟子と比べられるものではありません)。留置場から出てきてから、私は慈悲の心を持ち、心を込めて当時の党書記に手紙を書きました。自分がどのように修煉を始めたのか、大法はどんなに良いものなのか、人は恩に背いてはならないなどの真相を長く書きました。それを見て書記も感動しました。後で新年会の飲み会で、多くの人々の前で単独に私に飲みものを勧めました。その後、私達は再び上からの妨害を受けることはありませんでした。おそらく彼らに真相が分かったのかもしれません。

 当然、肉親の情からの妨害は多く、病業の関もあります。これらは全部自分の人心からきたもので、心を正して、自分がまだ何に執着して放下できないのかを探せば、どんな関も乗り越えられます。

 私が修煉を始めた後、不幸な運命の妹も修煉を始めました。妹は交通事故でもう少しで命を失うところでした。退院してから、片方の耳が聞こえず、鼻は嗅覚を失い、大脳の反応も鈍くなりました。交通事故から1年経たないうちに、夫が突然心臓病で亡くなりました。当時、妹は33歳で、未成年の娘もいました。姑との関係が悪く、家や金などは全部姑が独占しました。

  家族の助けの下で、妹は両親の家に留まりました。かつて、夜中に山に登って自殺も試みました。こんな状況下で修煉を始めた妹は、寝るときにも『転法輪』を放しませんでした。後で迫害が始まったとき、彼女は警察と肉親の情にも揺るぎ無く、2回北京に行って2回監禁されても法を実証しました。こんな大法弟子でも、姑と家の問題で自尊心と面子の執着心を放下できず、一回一回涙を流しました。これは彼女が捨て去るべき関だったのです。私との数回の交流後、自分も努力すると話して、今は良くなりました。修煉は難しいもので、最後になればなるほど人々に対する試練はもっと肝心であることが分かりました。

 ある同修は70歳あまりで、若いときから夫は怒りがちで人を殴り、罵ることは日常茶飯事でした。退職金は少なくありませんでしたが、子供達に占有され、毎月資料点に寄付する資金は、こっそり節約して貯めたものでした。私にこのことを話す時、同修は泣きながら話しました。私は同修に、これらは全部旧勢力があなたを引っ張って、あなたを修煉できないようにしているのだと話しました。同修は、旧勢力がどのようにしても私はずっと修めていくと話しました。なんと素晴らしい同修でしょうか! 彼女は毎日、学法と真相を伝えることを続けているのです。

 人々はすべて自分の修煉の道を歩み、多くの関を乗り越えるべきです。しかし私はこれらの法を得た人がどんなに幸せなのかを知っています。万古に得難い大法に出遭い、これらの個人のわずかな恩と恨みは何ものでもありません。師父は『転法輪』の中で、またその後の多くの説法は全部私達大法弟子が、どのように修煉し、どのように人の次元から飛び出すかを教えてくださいました。悪党の迫害を重く見ないことです。人間の理は逆なのです。「現在、このならず者の政権、国家政府の全体、海外の領事館を含めて、そのすべては法輪功のために存在しています」(『二〇〇八年ニューヨーク法会での説法』)

 現在、多くの同修は悪党がいつ潰れるか、いつ法が人間世界を正す時期がくるのかと期待しています(自分も含めて)。実はこの一切は師父が決められることで、人がどうして決めることができるでしょうか? 私たちは、自分が行うべき三つのことをしっかり行い、衆生を救う中で自分を修め、揺るぎ無く師父に遵って自分の修煉の道を歩むべきだと悟りました。

  2009年7月30日 

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/7/25/205247.html

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