一念の差で違う結果 文/大陸大法弟子 縁至
(明慧日本)その日は大雨でした。私は母の家に師父の最新経文『2009年大ニューヨーク国際法会での説法』を持って行きました。姉に見せて、さらによく学法に励むようにと願いました。その後、話は妹の家庭のことに及びました。妹の生活は経済状況が悪く、「それは妹の夫が怠惰で、出稼ぎをして家族を養うこともしないのが原因だ」と私はぶつぶつ文句を言いました。多くの愚痴をこぼし、両親も相槌を打って聞くので、私は余計に興奮してきて、自分が大法弟子である事をすっかり忘れてしまいました。
しばらくして帰りましたが、私は車を運転していて不意に溝に嵌りました。左側の2つのタイヤともどろどろの溝に嵌って、ドアも開けられません。アクセルを踏めば踏むほど車は深く嵌るので、私はすぐに姉の家族に手伝ってくれるよう呼びましたが、当時は大雨で、車はちっとも動かないので、仕方なく母の家に戻りました。
このとき私は突然「自分の心性に問題があったのでこういう羽目になったのではないか」と思いました。先程は、なぜ自分が大法弟子だということを考えなかったのでしょうか? またなぜ、ずっと天気のせいにして天気ばかりを考え、師父のことを忘れてしまったのでしょうか? ここまで考えたら私はすぐ姉に「我々は大法弟子であり、法輪大法は素晴らしい、真善忍はよいと言わなければなりません。普通常人が復唱してもよくなるのだから、我々はなおさらよいはずです」と話しました。
続けて、「さっきは私が悪かったです。あんなふうに彼(妹の夫)のことを言ってしまって、よくなかったです。人はみな各自の運命があるのに、なぜ私はそれほど酷い事を言ったのでしょうか? 私が悪かったです」と補足しました。
自分に問題があると分かって師父にも謝りました。私は常人の事に執着してはいけません。きっとこれから改めます。
間もなく雨が止んだので、私は再び車に乗って外からロープで引っ張ると奇跡が現れました。車が出てきたのです。本当に師父に感謝します。
おきた出来事自体は小さい事ですが、このことで私はたくさんの執着心を発見しました。安逸心、親族への情、怨恨の心、などなど。ズバリ言うと、私心があり、自分の利益と親族のよい生活を追求していたのです。このすべては修煉者として失くさねばならないものでした。
これからはしっかり学法をして、絶えず自分を鍛え、真に師と法を信じて、師父が要求される大法弟子に相応しくなるよう頑張ります。
2009年7月30日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/7/21/204932.html)
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