楊文強さんが鞍山労働教養所で受けた迫害
(明慧日本)河南省商水県の法輪功修煉者・楊文強さんは2006年に遼寧省の海城市で真相を伝えた時、不法に拘留され、鞍山労働教養所の迫害で危篤状態になり、家族の元に返された。彼は迫害のため体がぼろぼろになり、精神異常になって年末にこの世を去った。楊文強さんの悲惨な結末は、残虐な拷問を加えた拘留所と労働教養所によるものであった。
楊文強さんは河南省商水県黄寨鎮出身。子供の進学のために遼寧省の海城市へリサイクル関係の仕事の出稼ぎに行った。2006年5月16日、南台のある学校前で法輪功の真相を伝えた後、真相を理解しない学校の教師に通報され、王石派出所の李慶祝と王志平に捕まえられて不法に15日拘留され、鞍山労働教養所へ送られた。
労働教養所で、警官の示唆により受刑者に殴られたり火で焼かれたり、酷い暴行を受けた。2006年8月6日前後、大量出血をした彼は危篤状態になり家族の元に返された。
当時、楊文強さんは下半身全体に真っ青な傷跡が残り、歩くことさえできなかった。さらに、家族の顔までわからなくなり、連れて帰ろうとしたら、「あちこちへ行くのはもう嫌だ。どうしてくれるのか」と変なことを言ったりして乗車を嫌がった。彼は家族を悪辣な警官と見ており、完全に精神状態がおかしくなっていた。出所の時、家族はゲートを通る費用として600元を強要された。
家に戻っても、全身に痛みが走り、精神状態が悪化した彼を入院させて3カ月治療したが好転しなかった。偶に意識が戻ると、「隊長の平は私たちを遠く分からないところへ連れて行った。そこでずっと寝かせず、針のようなもので体を刺し、木の板や皮の鞭や三角帯で暴行して、病気を検査すると言って体に変な薬物を注入した。汪洋という警官は毎日のように私を殴り続けた」と迫害のことを話した。2006年12月11日(旧暦10月21日)に、楊さんは精神状態が朦朧としたままこの世を去った。
2009年8月1日
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/7/31/205656.html)
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