日本明慧
■印刷版   

自己を実証する心を放下し、寛容で全体を円融する

(明慧日本)

  1、顕示心と歓喜心を取り除く

  『転法輪』の中で師父は「多くの学習者は常人の中で修煉しているため、いろいろな心が捨てられず、そうした多くの心がすでに当然なものになっていて、本人も気づきません。この顕示心理もいろいろなところに現われており、良いことをする時にさえ現われてきます。普段から自分の名誉や利益のために、ちょっとした良いことがあると、それをことさらに言いふらしては、自分がいかにすごいか、強いかを吹聴します」とあります。また『精進要旨』の「定論」には「顕示心にさらに歓喜心が加わると、魔の心に最も利用されやすいのです」と言われました。日頃から自分で心に思ったことを注意していますが、なかなかそれを排除することができず、抑える事ができません。

  ある日、真相を伝えに出かけました。衆生を救い済度することだけを考えて真相資料を配り、あっという間に終わりました。八百屋さんでは2人の女性が真相を聞いて涙を流して感動し、感謝の気持ちから野菜をあげると言うので、ただでもらうわけにはいかないと断ったのですが、追いかけてくるのですぐその場を去りました。

  自分に自慢する心が生じたとわかったので、私はすぐ心を引ききしめ、「これは私の心ではない。捨てなければならない」と内に向けて探しました。何を顕示したがり喜んでいるのでしょうか? 満身業力だらけの私を、地獄から救い上げてくださった師父は私たちに力を与えてくださったので、日頃の出来事に対応するとき、人の観念をなくして慈悲心が生まれたとき、自分のレベルに相応する法と同化すれば、大法はそれに応じて私に力を発揮させる事ができます。すべては法の力で、偉大な仏法が世に顕現しています。決して自分で成し遂げたということではありません。

  修煉を深めれば深めるほど、自分が小さく見えてきます。師父の按排されたレベルまで辿り着いたとしても、まだ修煉が終わったわけではありません。師父は法理を悟らせてくださいました。法は如何なる人心も瞬時に解体させるのです。「衆生を度し、観念も転ず、敗れた物は滅し、光明は顕れる」(『洪吟』「新生」)

  2、自己を実証する心を捨てる

  自分の修煉を振り返ってみると、師父の慈悲なるご加護があったからこそここまで歩んで来ることができました。「私(し)」を認識しない最初のときから「私」を見つけたあと、「私」に執着することもあり、「私」を放下できたこともありました。「私」に惑わされ、無駄に時間を費やして人心に執着してしまうこともあり、かなり苦を嘗めました。師父は、私たちに心性を高める機会を作ってくださり、執着を探し出す度に私は心性を向上させてきました。何かあったら内に向けて探し、向上する機会を逃さないように気をつけなければなりません。

  当時、地元の学習者が何人か連行される事件が起きました。このことで、輔導員と交流することが多くありました。ある日、同修を救出する対策を考える会で、私は各学習チームの輔導員を集める役割を受け持ちました。半日かけて歩き回った中で、それぞれ違う意見を持つ人に出会いました。参加意欲のない人や、あまり積極的に行わない輔導員を責める人等、様々な人がいました。帰る途中で2人の輔導員に止められて、参加者を約10人集めたら十分だと言われましたが、その2人とも意見が一致していないようでした。そのため、また一人一人尋ねて、一部キャンセルの知らせを伝えて歩きました。

  帰ると、家で子供がインスタントラーメンを食べながら、ある輔導員が交流会に誘われていないのは私のせいだ、私は資料点をやる資格がないというような話が出ていることを聞いたと言いました。その後、法を学んだことでその同修は私を許しました。

  迫害の圧力を前にして、当初多くの同修が恐れる心から、真相を伝える資料である週刊明慧を受け取りに来ませんでした。翌日、同修と週刊明慧を配りに出かけて、途中で夫の同僚に会い、夫が私に内緒でしたことをしゃべり出しました。それを聞いて、「私は師父の真修弟子です。常人に心を動かされるわけにはいかない」と思いました。家に帰ったら、彼女(交流会に誘われていなかった人)が私の悪口をさんざん言っていたと同修から聞きました。「私はその中にいません。これらの物事に動じません」と笑って水に流しました。

  夜のグループ学法後、同修らに最近の出来事を言おうとしたら、「もう知っているよ」とはね返されました。同修は、内に向けて探すべきだと私に言いました。いったい私のどこが悪いのか、「あんなに他人に誤解されても、少しも動じはしないが、どうして今更内に向かって探せと言うのか?」と不満に思った一瞬、「同修にそれを説明しようとする心に捉われたことは、自分を実証したがっている心ではないだろうか? どれほど汚い心だろうか! 捨てなければならない!」と悟りました。

  師父は『2004年ニューヨーク国際法会での説法』で「もしあなたは法を実証していれば、ほかの人から何を言われても心が動じることはありません。もしほかの人があなたの意見、あなたの気になるところを刺激し、あなたの気分は斜めになったとしましょう。つまり、ほかの人が何かのことについてあなたに反対する意見、またはあなたの意見に同意していない時、あなたは気分が斜めになり、相手に反対したり、弁解したりすることによって、話題を脱線させ、今までの話題をまったく考慮していなければ、あなたの弁解が最も善意な弁解であっても、あなたは自分を証明していることになります。(拍手) なぜならば、あなたは大法を最も大事なこととしてみておらず、そのとき最も気になっているのはあなた自身のことなのです」と説かれました。

  3、差別する心を取り除く

  ある輔導員から一つの計画を甲同修には伝えたが、乙同修には知らせていないということを聞きました。その時は遠慮して彼にその非を指摘しなかったのですが、私は良くない心を見つけました。翌日、会いに来た彼は夢で見たことを話してくれました。夢の中で「彼の頭の半分に髪が生えていないと知っていながら、私は気づかせてあげなかった」というのです。自分の重い私心の影響を受けて指摘するのをやめたので、私はそれを反省し、「あの日のことは、私もよくなかったです。同修と一緒に計画をやり遂げることはとっくに師父の按排されたことです。乙同修がこの活動に参加するか否かは師父の段取り次第です。差別してはいけません。乙同修には、善意を持って話を持ちかけたほうがいいでしょう。その気遣いが私たちを堅固な全体にするのです」と言いました。

  数日後、その同修が「あなたの話を聞いて心性が上がり、上の次元に突破したと感じた」と言うので、突然これを聞いたのは偶然のことではなく、「二人がトラブルに遭ったとき、それを見た第三者まで自分を考えるべきです」という師父の『オーストラリア法会での説法』を思い出して、これからも更に内に向けて探すことに努めようと思いました。

  「この場の空間には、人の前額のあたりに鏡があります。煉功しない人は、鏡が裏返しになっており、煉功する人の場合は、それが表向きになります。 遠隔透視の功能が現われようとするころになると、それが表裏を変えながら反転します。皆さんがご存じのように、映画のフィルムが一秒間に二十四コマで動くと映像をスムーズに見られますが、二十四コマ以下ですと、画面が跳ねて動くように見えます。それの反転速度は二十四コマより速く、捕らえたものを鏡に映して見せてくれると、すぐ裏返って消します。また映しては消すというふうに絶え間なく反転します。ですから、見えたものはすべて動いているのです。つまりそれがあなた自身の空間場にあるものを映して見せてくれているわけですが、その空間場のものはほかでもなく大宇宙から映って来たのです」(『転法輪』)

  師父の上記の法理は、人の自己保身の心や差別の心などが自らの空間場に形成され、良くないものとして鏡に反映するのだと私に悟らせました。師父はそれを映し出されるのです! 宇宙は相対しているものだからです。

  修煉では、いつも視点を調整しながら、内に向けて探しました。最初は、自分の根源にある「私」を見つけることを知らないので、修煉にさまざまな人の物を加えて危険極まりない状態に陥りそうでした。「神:これらの問題はすでに非常に深刻になっていますが、彼らが相手のどうこうを見る時の目で、逆に自らを見ることができれば、と思います」(『精進要旨』「時間との対話」)

  現段階では自分が修煉して悟った一部を皆と交流したいと思っています。次元に限りがありますので、法に符合していない処があれば、慈悲に指摘してください。

  2009年8月1日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/6/27/203515.html
(English:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2009/7/12/109097.html

■関連文章