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大法は人を救っている


文/中国大陸の大法弟子

(明慧日本)私は、人に直接法輪大法の真相を伝えるとき、自分があまり堂々としていない気がしました。私はいつも自己を保護する意識が強いと感じていました。常に何かしらの抵抗があり、突破しようとしても、突破口が見当たらない気がしました。

  自分を保護することは恐怖心からきていると知っていますが、ただ毎回、常人の力でその恐怖心と抗争しているので、たとえ私が相手に勧めて、相手が「三退」をしても、ただ一つのことを達成したとしか感じず、神聖感と慈悲はあまり感じませんでした。

  今日突然、人に「三退」を勧める過程で、自分は後天的な観念が重いことに気づきました。例えば、縁のある人と出会ったから、この人を救わなければならない。これは私の使命だと考える一方で、実際はいつも任務としてやっているような感じで、そのやり方ははっきり言うと、相手に言うことは不本意だが、自分は大法弟子として、仕方なくやらなければならないから、やっていると考えていました。

  また、従来のやり方では「私は、絶対にあなたを救いたい、私は恐怖心を持っていても、突破して、あなたを救いたい、私は人を救うため、ここに来ました。師父、お願いします。私を加持してください。私はできます」のように、いつも「私、私、私」という根深い考えの出発点でした。その中心は私であり、根本的な「大法」を軽視していました。今日、私は「私が人を救っているのではなく、大法が人を救っている。私が力を持っているわけではなく、大法が力を持っている。私たちがもし、法に基づいて物事を考えれば、恐怖心や利己的な心を取り除くことができ、力も、法の中の慈悲や神聖感も得ることができる」と悟りました。

  以上のことを悟ってから、私は、突破口を見つけることができました。それは、「私が長い間、大法のことを軽視したことで、常に自分がどうやればよくできるのか、自分自身がどうやれば突破できるのか、自分がどうやって恐怖心を取り除くことができるのか、そして、慈悲と正念がわいてくるのか」と考えてばかりいたからでした。この一切を獲得したければ、大法を確信し、その後、自分が大法の中の一粒子として、大法から賦与された使命を履行し、法を正すものをすべて圓容しなければなりません。自分を実証するのではなく、大法を実証することをやり遂げていくべきです。

  私は、これを悟ることができ、いっそう自分の過ちは、根本的な執着心と大法を軽視したことだと分かりました。これから、必ず大法を最優先にします。物事をやる前に、ただやるのではなく、「このことは法に従っているのか」と自分に言い聞かせます。そうすると、もたらす結果も違ってきます。なぜかというと、大法こそ「私」を破ることができるからです。そうでなければ、永遠に「私」の中に沈んでいるに違いないからです。

  2009年8月2日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/7/30/205462.html

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