■日本明慧 http://jp.minghui.org/2009/08/03/mh044272.html 



明慧記者としての修煉体験

(明慧日本)2002年まで、台湾各地での洪法や迫害を暴露する活動はよく行われていました。たとえばSOS緊急救援や大型の集団煉功が、各郷、学校、政府機関、民間の地域祭り及び夜の市場など至るところで行われました。大法は台湾の民衆に深く愛され、雨後のタケノコのように、各地で目覚ましい発展を遂げたのです。

 各地での洪法活動は大成功を収めましたが、活動に関する報道や投稿は非常に不足しており、投稿のない時もしばしばありました。それは皆がこの方面の事を重視していなかったからです。ある日、台湾中部のある煉功場の協調人が師父の話を伝えました。話の概要は大体次の通りです。即ち、活動がいくら成功を収めても、報道しなければ、半分の成功に過ぎないということでした。

 それから煉功場の協調人は報道を重視し始めました。活動を報道することは重大な使命で、活動の後半の作業を完成することに等しく、活動全体の成功と活動の情報を世界各地に伝えることだと、私は理解しました。

 報道の重要性を認識したあと、自分の文章レベルはさて置き、ただ大法に必要なら全身全霊でやるべきだと思い、カメラや録音機、ノートパソコンを買い、活動があれば必ず取材に行きました。大型の法会や煉功活動、『共産党についての九つの論評』の記者会見、飛行機で出国する同修への取材、香港に行けば、観光地で同修が真相を伝える物語などの多くの題材を、掘り出して報道することができます。

 明慧報道に参与、神聖な使命を果たす

 週に1回の明慧海外報道交流会に初めて参加した時、この上なく神聖な厳粛さを感じ、エネルギーが全身を駆け抜け、下腹部で法輪が急旋回していました。世界各地からの明慧記者の交流や評論を聞き、自分の思惟が絶えず浄化され、視野が広められました。

 「絶えず自分の執着心を取り除くことこそ人間の修煉の過程のすべてです」(『転法輪』) 明慧報道に参与してきたこれまでの道を振り返って見ると、まるでよろめいてきた過程でした。修煉状態がよければ、記事を作成するスピードは速くなり、質も量も良くなりました。修煉状態が悪かった時は、疲れて意気消沈し、損得の心が出てきて、良い文章が作成できないことを心配し、恥ずかしくて交流に参与することもできませんでした。

 記事を作成する過程は個人の観念を取り除き、人間の殻を破り、自分の思惟を浄化する過程で、同時に時間との競争でもあります。投稿する時間が近づくとき、気持ちは焦りました。どんなテーマで、如何に文章の段落を段取りするかで常に知恵を絞らなければなりませんでした。やっと完成したときは、重荷を下ろしたように「任務を果たした!」という満足感が溢れました。しかし、文章のレベルの向上はなかなかできませんでした。

 自分の執着を深く探し、記事のレベルがアップできない原因は邪悪の妨害だと気づきました。良い記事ができ、迫害を暴露して、真相を伝えるよい効果があれば、邪悪が滅亡することに等しいので、邪悪は許さず、妨害しました。作成している過程で、人心や疲れ、怠慢などの状態が現れるのは、魔性の現れであり、修煉を緩めたからこそこういう状態が現れたのです。

  人心や観念を放下してこそ最も良い効果が現れる

  疲れや面倒なことを恐れることは、まさに取り除くべき人心です。個人の観念や人心を持たず、恐れる心を取り除いた時、「修は己にありて、功は師にあり」(『転法輪』)を実感しました。掲載された文章を読むと、当時使った言葉や用語など自分のレベルを超えたものだとしばしば感じました。それは、師父が私の智恵を開いてくださったからだと思います。

  純粋な心境を持ち、注意して体験し、自分が見たことや聞いたこと、同修の法を実証するストーリーを客観的に記録し、真相を伝え、大法の素晴らしさを読者に理解させることができれば、あるべきレベルに達することができると思います。

  神韻公演報道に参与した体験

  幸い2008年と2009年の神韻報道に参加しました。神韻報道は一定レベルの基準がありますが、私は自分ができるかどうかについてあまり考えず、明慧報道記者の一員として、使命を果たすべきだと思い、純粋な心境で、大量の時間をかけて学法と煉功をし、連続十数回の神韻公演を鑑賞しました。こうして、千百年にあった観念や人間の殻を一層また一層と剥がし、絶えず浄化され、長い歳月に埋もれていた記憶を呼び覚ますことができました。

  衆生を救い済度するために、師父はすべてを尽くし出されたと、私は実感しました。神韻公演は世界トップレベルで、神韻公演に出演する同修達は素晴らしく、多くの観衆を感動させました。その神聖で純潔な場で、自分に何か良くない観念が浮かんだらすぐに気づいて取り除くことができました。例えば、明慧記者に配る取材のリストに、VIP(重要人物)がいなかったことに対して、不平の心が浮んでもすぐになくなりました。

  私の責任は、正念を発し、思想を浄化し、不足したところを静かに補足することだと思い、明慧にVIPが配られなくても、大法に縁がある人ですので、協力しなければなりません。純潔な心境を持っていれば、効果は往々にして良くなります。例えば、台湾建築界の大物である金控龍頭総経理はVIPのリストにない人物ですので、私が取材をしました。実は、我々は一つの全体で、誰が取材しても同じなのです。

 法を正すことは人間を待たないことで、「この村を行き過ぎれば、この店がないこと」なので、自分に何か貢献できるなら、道義上断れません。神韻公演に参与していた期間、修煉は非常に精進しており、三つのことをしっかりでき、ノートパソコンを常に持ち歩いていました。

 平凡な報道のようですが、この偉大な時期は、師を助け、法を正し、衆生を救い済度する歴史を残し、迫害を暴露し、衆生を修煉に導くことでした。堅持することが大切で、堅持してこそ、はじめて自分の使命を果たすことができると思います。

 間違いがあれば、ぜひご指摘ください。

 (2009年明慧10周年法会への投稿)

  2009年8月3日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/7/30/205583.html

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