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人心を取り除き、修煉の道を正す

(明慧日本)私は1995年から法輪大法の修煉を始め、師父に遵って風雨の中を今日ここまで辿りつきました。10数年来、私は修煉の中で失敗したり、過ちを犯したりしていました。ここで、オリンピック時の修煉体験をもって、皆さんと交流したいと思います。

 一、正念正行で洗脳班から脱出する

 2008年8月上旬オリンピック開催の直前に、地域担当の警官は自治会会長に、私を洗脳班に連行するつもりだ話しました。会長は私に「私が守るから、あなたは行かなくてもいい」と言いました。警官は、「お前に守れると思うのか?」と会長に言いました。私はこの話を聞いて、避けるか立ち向かっていくかを迷いました。師父は「あなたがぶつかった魔難はちょうど、あなたが向上する機会であり、内に向けて探すことができれば、それはまさにあなたが難関を乗り越え、新しい状態に入る機会になります。なぜこのように見ないのでしょうか?」(『二〇〇八年ニューヨーク法会での説法』)を教えられています。ですから、私は逃げることはしない、旧勢力の按排を否定し、正念を発して大法弟子を迫害するすべての企みを解体しようと思いました。さらに、師父の要求に従って、法に照らし合わせて、自分の人心と執着をなくして三つのことをしっかり行います。

 8月4日朝7時ごろ、自治会の役員および警官ら6人が突入して、強硬して私を連行しようとしました。私が真相を伝えても聞く耳を持ちません。悪辣な警官の一人は「担いででもお前を運んでいくぞ」と叫びました。それを聞いた私に闘争心が起きたので、邪悪にその隙に乗じられ、本当に運ばれて洗脳班に連れて行かれました。

 洗脳班で、私は心を静めて、自分の心を一通り探しました。そして強烈な闘争心と恐怖心があることを認識しました。その時点で私は法を暗唱して、正念を強めました。師父の『洪吟二』の「你(なんじ)に怕れ有らば 它(た)就(すなわち)抓(つか)む 一正を念ずれば 悪は就(すなわち)土夸(こけ)る 修煉の人 法を装着し 正念を発すれば 爛鬼炸(さ)ける 神世に在りて 法を証実す」を思い出しました。それで強大な正念を発して、衆生が本性から真相を知って救われるように念じました。

 翌日、われわれ大法弟子は一丸となって、一緒に法を暗唱し、発正念して交流する中から内に向かって探しました。また、全体が協力して、真相を伝えました。師父と大法への固い信念を持って、魔窟の邪悪の要素を解体し、そうして一緒に洗脳班を脱出することができました。

 二、恐怖心を放下し、真相を伝え、世人を救う

 ある日、数人の同修が私と一緒に市委員会、610弁公室、政治法令委員会へ真相を伝えようと計画しました。しかし、即時に私は恐怖心が出てきました。このとき、師父の経文「見た目はかなり勢いがあるように見えますが、私に言わせると、それは滅亡する前の最後のあがきにすぎないのです。(拍手) 見てみましょう。その続きを見てください。この芝居はこのように演じられています。この歴史は大法弟子が衆生を救い済度するために按排されたもので、皆さんはなぜ主役にならないのでしょうか?」(『二〇〇八年ニューヨーク法会での説法』)を思い出しました。 

 われわれは法を正す時期の主役を演じなければなりません。衆生を救い済度することは大法弟子としての責任と使命であり、私は個人の私心のため今回の衆生を救い済度する機会を見逃してはいけません。自我を放下しなければ自分の修煉の道を正すことができません。「恐れ」、これは「私」のためであり、それを解体し、なくさなければなりません。

 そう考えた私は翌日、何にも気にする事なく、同修と一緒に委員会、610および政治法令委員会へ真相を伝えに行きました。

 三、人心を放下し、法を正す道を歩む

 ある日、同修は「今日と明日は留置場で開廷審理がある」と電話で教えてくれました。私は、即時に付近の同修と相談して翌日7時30分の開廷のときに行くと決めました。

 同修の家から帰って、良くない考え、後天の観念、人心が一斉に湧いてきました。夫に止められたら、同級生や友達関係のことがあるとごまかそうと思っていました。しかし、私は「真善忍」に従って修煉しているのに、嘘を付いたら「真」とは言えない、騙したら善とも言えない、これは決して大法の基準に合わないことです。大法弟子は決してこのようにしてはいけない、自然に任せればよいのだと考えました。

 翌朝7時過ぎころ、私は夫に何も言われずに順調に家を出ました。こうして、心になんとなく歓喜心が起きました。すると直ちに階段から滑って落ちました。この事が起きて、良くない心があるからこそ酷い目に遭ったと分かりました。 師父と法があるので、私のすべての執着心、人心、後天の観念は大法の中で正されることができます。これからは、人心を徹底的に排除し、法をよく勉強して、正念を強めなければなりません。

 法に照らして相応しくないところがあれば、慈悲にご指摘ください。

 2009年8月4日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/7/25/205249.html

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