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家族との約束


文/カナダの大法弟子

(明慧日本)一年前、夫と子供は私の紹介で、大法の修煉の道に入りました。しかし、彼らはずっと真面目に修煉することができず、ただ、大法は素晴らしいと知っている程度で、たまに煉功したり、法を勉強したりするだけでした。私はいつも彼らに、時間を大切にして修煉するように促しても、その効果は微々たるものでした。それに、私自身も法を実証する仕事で忙しく、家庭の面倒をみることを疎かにしていたため、夫は常に怒り、ひいては私と離婚しようとまでしました。ある日、私はまた夫に学法し、煉功するように催促しました。すると、彼はなんと「私が修煉したくない最大の障害はまさにあなただ!」と言い出しました。私はこの話を聞いて、びっくりしました。これは師父からの啓示であるにちがいないと考えました。もし私に問題があれば、私の間違いはどこにあるのでしょうか?

 内に向けて探すと、自分は常に、彼らは悟性が優れていない、苦を嘗めることを恐れている等と指摘していました。また時には、「自分はこれほど多くの苦を嘗めてやっと今日まで修煉してきた。彼らは遅く法を得て、悟性も大して優れていないから、修めて向上できるのか?」と思っていました。彼らにいったん常人のいろいろな良くない状態が現れると、私ですら法を得たのに、まだこの状態だから、本当に彼らは見込みがないと思っていました。実際、これこそ自分の人間の観念をむりやり夫と子供に押し付けることであり、それによって、ひとつの塀が私と家族との間にできて、彼らが本当に修煉し始めることを妨げていました。

 私は法を実証するプロジェックトに参加する時、それを自分の仕事とみなし、彼らが私にその仕事をする時間を与えてくれるよう、便宜を与えてくれるように要求し、彼らの気持ちに配慮しませんでした。ある時、とても遅い時間に帰宅したとき、夫はまた怒りました。彼は「あなたは自分ひとりで生活したほうがよいのではないか!」と言いました。その時、私は非常に苦しくなり、どうしてまたこうなったのかと考えました。

 その夜、夢を見ました。夢の中で私は子供をつれて、大法の集会に参加し、横断幕を掲げようとしました。しかし、私がとても早く歩いたため、子供はついてこれなくなり、間もなく姿が見えなくなりました。私が集会場所についたとき、誰もいませんでした。私は仕方なく、また元に戻りましたが、出発点のところに戻ると集会に参加する人らが皆そこにいました。子供と夫もそこにいました。夢から目覚めた私は、自分が自分の修煉だけに気を使い、家族のことを配慮しなかったため、家族との気持ちが通じなくなってしまったと気づきました。もしかして、私は夫、子供と前世で約束があったかもしれません。私が先に法を得て、彼らを導いて、一緒に修煉し、一緒に向上し、一緒に昇華するという約束をしたのではないでしょうか。しかし、私は自分のことだけに気を取られ、1人で走っていました。ひいては自分は「古い弟子」としての優越感を持ち、彼らの修煉を妨げていました。これは約束を破ったことになるではないですか? 彼らが怒らないはずがないですね。私はやっと夫がどうしていつも私をあんなに怒っていたかを少し理解できるようになりました。それは人間のこの一面が怒っているのではなく、彼の分かっている一面が本当に怒っていたのです。

 その翌日、私は夫に私の夢を話し、彼に「今日から私はあなたたちと一緒に学法し、煉功します。私たちは一緒に法を実証する活動に参加し、私は絶対あなたたちを見捨てません」と伝えました。夫は私の話を聞いた後、「あなたには絶対できない!」と言いました。私は、今回本当に正しく悟ったと感じ、笑いながら「絶対やり遂げる!」と言いました。こうして、その日、夫と子供たちは喜んで私と一緒に学法し、一緒に交流しました。それ以降、私はほとんど毎日自分で学法する以外、彼らと一緒に30分から1時間ほど学法し、毎日彼らに『洪吟』を一首暗記させました。彼らが心性の関を乗り越えるときには、彼らが向上できるように助けてあげました。現在、我が家に矛盾はほとんどなくなり、私が遅くなって寝ても彼らは文句を言わず、私が大法の仕事で出かけても彼らはとても支持してくれます。夫は現在、同僚たちに脱退を勧め始めています。

 この体験により、私は一つの理を悟りました。私たち家族が家族の縁を結んだのは、この法を得るためであり、いかに優しく彼らの面倒をみてあげても、例えば、生活上いかに十分世話をしてあげても、彼らに法を得させ、修煉させることには及びません。なぜなら、それこそ彼らが本当に必要とすることだからです。一部の同修は自分の家族は頑固すぎると思っていますが、実際はそれらは表面上の表れであり、真の姿ではないと思います。やはり私たち自身が良くできてないから、彼らが修煉することを妨げています。師父は「全世界のすべての人はみな私の親族です」(『二〇〇三年旧正月十五日の説法』)でおっしゃいました。宇宙の中のすべての生命は師父が創り出されたので、全ての人は師父の子供ということになりませんか? 私たち家族も同じ師父の子供です。大法弟子と親族の縁を結び、血縁関係のある生命にとって、彼らと大法との縁は通常普通のことでしょうか。必ず法のために来たのです。私たちがただ人を救う考えを持ち、常人の情を捨てて、私たちと家族との関係を考えて、また生活の中、些細なところでも自分をしっかり修め、彼らが私たちから大法の素晴らしさが分かるようになったら、彼らも必ず変わるはずです。私たちは自分の家族に自信を持つべきです。

 以上は私が最近得たわずかな修煉体験です。不正なところはご叱正願います。

 2009年8月6日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/7/30/205428.html

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